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その日、歴史が動いた

聖少女メジャーデビュー!ジャンヌ・ダルクがオルレアンを解放!【その日、歴史が動いた】

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日本での歴史教育だと、世界史=ヨーロッパ史+時々中国史くらいの扱いですので、誰もが知っている人物というとかなり限られてきます。

一カ国に限定すればさらに絞られてきますけども、それ故に「あの国の歴史的人物といえばこの人」みたいな共通意識もありますよね。
今日はそんな人のお話です。

1429年(日本の正長二年)の5月8日、ジャンヌ・ダルク率いるフランス軍がオルレアンの街を解放しました。
ジャンヌ・ダルクは、多分「有名なフランス人の名前を挙げて」といったらまず間違いなく出てくる名前ではないでしょうか。他には先日取り上げたナポレオン、ルイ16世、近年であればシャルル・ド・ゴールやココ・シャネルあたりですかね。マリー・アントワネットは王妃ですけどオーストリア人ですし。(ドイツ語読みではマリア・アントニア)
まあそれはさておき、そもそもこのときの戦争は誰と・いつ・どんな理由でやっていたものなのかというところから見て行きましょう。

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百年戦争の徒花「オルレアンの乙女」

まず、この戦争は「百年戦争」といいます。実際は120年ほどの期間に休戦を挟んでいるので、戦闘が120年続いていたわけではありません。というかそんなん物理的に無理です。
何でかというと、戦争になれば人も物資も大量に損耗します。物資は大量生産でまかなうことも(技術力によっては)できなくはないですが、失った兵力の回復はそう簡単にはいきません。
一人の人間が戦闘できるくらいまで成長するには15年以上はかかりますし、子供は男女どちらかだけでは作れないですよね。となると、非常に元手と時間がかかるわけです。身も蓋もない言い方ですが。

「じゃあどっかから連れてくればいいじゃん」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、そうした兵は総じて練度や忠誠心に欠けることが多く、頭数だけそろえても物の役に立たないケースのほうが多いのです。
外国人部隊として有名なものにスイス人傭兵とかフランス外人部隊がありますけども、彼らが優秀なのは基本的に「自分の意思で」その道を選んでいるからと思われます。
これ、現代の移民許可云々にも似てますね。

というわけで、「戦争状態」と「戦闘が続いているかどうか」はまったく別の事象ということになるわけです。これは他の戦争も同じでで、日本に関する例で言えば「日露戦争のときに宣戦布告したけど、実際には遠すぎて戦闘のしようがなかった。でも終戦協定結んでなかったので100年以上”戦争状態”のままだった」なんて相手国もいます。
お相手の国も途中で国名や体制が変わったりしてたのでしょうがないんですけどね。
んで、百年戦争の理由は何かというと領土争い+玉座です。ベタですね。大本の理由は実に単純なんですが、それまでの経緯がこんがらがっているせいで非常にややこしく見えるのがヨーロッパの戦争の共通点です。
この頃はまだどこの国も王様に絶対的な権力がなく、各国の境界線も曖昧だったことがより拍車をかけました。
例によってテキトーにまとめてみましょう。

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【百年戦争の原因をムリヤリまとめてみた】

・フランスの王様が亡くなる

・血縁があったイングランドの王様が「じゃあ次のフランス王は当然俺な!」と言い出す

・フランスの貴族からすれば「いやいやいやいやいやナシでしょ」なので大反対

・間に挟まれたフランドル地方(現オランダ・フランダース)、「ウチはイングランドから羊毛輸入して毛織物作ってるから、戦争されると困るんですけど;」と言い出す

・イングランドもフランスもお構いナシでドンパチ開始
そして商売の元手を人(物)質に取られた&「国が守ってくれなかった」ことに腹を立てたフランドルの人々は「フランスサイテー!もうウチはイングランドに味方します!!(そんでまた商売したい)」ということで、イングランド側につきました。
この辺から当事者以外の他国も「じゃあ俺はこっち」「なら私はあっち」なんて風にどんどん介入してきてもはやカオス。国名を挙げると余計わからなくなるのでやめておきましょう。知りたい方はウィキペディア先生へお尋ねください。

さらにその後、あっちこっちの領主や王様が亡くなる度に戦闘が始まってしまうという国家レベルの学級崩壊状態になったせいで、全体の戦争が終わるまでに120年もかかったというわけです。
開始から40年くらい経った頃に「そろそろお互いボロボロだし、戦争やめませんか」という話になったのですが、その直後両国の王様が亡くなってしまい再度大混乱に陥りました。
その時点ではイングランドが圧倒的に有利。現在のフランス領の半分近くはイングランドが占拠していたので、いずれ国内がまとまればフランス全土がイングランド領になってもおかしくはない状態でした。フランス大ピンチ!

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ジャンヌちゃん 神の子 不思議な子

天使の声が聞こえた

……というところに表れたのが本日の主役、ジャンヌ・ダルクです。
12歳のとき初めて「神の声」(ジャンヌによれば天使と聖人)を聞いたことで「神が私にフランスを救えと仰っている」との使命を感じたジャンヌは、まず話を真面目に聞いてくれる貴族を見つけだします。
当初門前払いしていた貴族も、ジャンヌが「この日こういう地名のところでフランス軍が負けるだろう」という予言をし、見事的中させてからは彼女を信用するようになりました。情報伝達技術のほとんどない時代ですから、遠方にいたジャンヌが情報を分析して勝敗を予測できたはずはありませんし、「神のお告げ」がなければできないことと判断するには充分だったでしょう。
勝つか負けるか二つに一つの大博打にジャンヌが勝っただけかもしれませんが、まあそれはそれで。

こうしてジャンヌは何人かの貴族を通じて、当時即位前だったシャルル7世へ謁見します。彼女を一目見たシャルル7世は「これは本物かもしれない」と思い、ジャンヌへ騎士の装備を与えて軍に同行することを許可しました。
その頃には既に「聖女」としての名声が生まれ始めていたようで、フランス軍の中に「聖女様が一緒に来てくれるんだってよ!いっちょやってやろうぜ!!」ということで、ジャンヌの存在が士気高揚の一因になっていたとか。

オルレアン解放!

そしてテンションうなぎ上りのフランス軍は、イングランド軍が包囲していたオルレアンというパリから南下したところにある街に到着します。ここの領主が敵の捕虜になっており、その弟がオルレアン奪回を目指して頑張っていました。
領主の弟はなかなかジャンヌを信用してくれませんでしたが、彼女は冷たい視線やイヤミ(※イメージです)を無視して軍議に参加し、戦場へも出ました。
といっても女性ですし、「神のお告げ」を聞くものとして剣を取って戦うのはふさわしくありません。そこでジャンヌはフランス軍の旗を持ち、味方の士気を保つ役目を果たしたといわれています。

オルレアン出身じゃなかった

それまで慎重にも程がある消極策を取っていたフランス軍でしたが、ジャンヌがときには命令違反をしてでもやってのけた強攻策によって、見事オルレアンを奪い返すことに成功しました。ジャンヌ達が到着してからわずか10日ほどの出来事です。
彼女の指揮によってほぼ1日に一つという超ハイペースで砦を奪い返したこと、ジャンヌが首に矢を受けても生きていること、彼女が常に前線で指揮を取ったことなどから、ジャンヌはエライ人(=前線に出ない人)よりも現場の兵士達から熱狂的な支持を得ることができました。
そのうち彼らの中から「やっぱりジャンヌは神の使いなんだ!聖女様バンザイ!!」と称える人が現れ始め、いつしか「オルレアンの乙女」とも呼ばれるようになります。
ジャンヌの出身がドンレミ村という小さな農村であるにもかかわらず、オルレアンの名を冠して呼ばれているのはこのためです。
しかし、皆さんご存知の通り彼女は19歳にして火刑に処せられてしまいます。
この奇跡の勝利から処刑に至るまでの間に何があったのかは、また後日。
長月 七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャンヌ・ダルク
   http://ja.wikipedia.org/wiki/百年戦争




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