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織田家 その日、歴史が動いた

織田信長のご生誕!やっぱりイカすぜ我らが第六天魔王の素敵エピソード

更新日:

 

最近ヨーロッパ絡みの話ばかりでしたが、本日は「日本史といえばこの人!」といっても過言ではないあの人の話です。

天文三年(1534年)の5月12日、織田信長が誕生しました。
例の歌でも流すべきですかね。dear(親愛なる、大事な)と言い難い気がしますがゲフンゲフン。

富永商太・絵

富永商太・絵

これほどの有名人に対して今更その生涯や戦ぶり、政治スタンス、はたまた最期についてお話するのもどうよという気がしますので、今回は信長に冠する逸話アラカルトでいきたいと思います。
というのもですね、個人的に信長は「知れば知るほど情に厚い(ただしプラスマイナス両方向)」人だと思うのです。
その根拠となるお話をいくつか挙げていきますね。

 

NOBUさんの逸話その1・火起請事件

あるとき、信長の部下の部下(陪臣)ととある村人との間で揉め事が起きました。
そこで「話し合っても拉致があかねえ!根性比べで神様に判断してもらおうじゃねえか!」(超訳)ということで、火起請(ひぎしょう)という方法が取られました。

火起請とは「熱く焼いた鉄を素手で持ち、一定のところまで無事持っていけたほうが勝ち。できなかったほうの負け」というヤのつく特殊サービス業の方々でもやらなさそうな根競べのことです。
誰がこんな物騒な方法を考え出したのかサッパリわかりませんが、当時は度々行われていました。

そして信長の陪臣のほうが負けかかったのですが、その身分からして「コイツ処罰すると信長様に怒られるんじゃね?」というで、村人は処分を躊躇っていました。するとそこに、たまたま狩りに出かけていた信長が通りかかります。

……この辺でもう、話が出来過ぎてるとかいっちゃいけません。

一連の流れを聞いた信長は「じゃあ俺がやってやるから、無事やりきったらコイツ処分な。それで文句ないだろ?」と言い出します。
そして信長は自ら焼けた鉄をもってずんずん所定の位置まで歩いていき、「ほらできたぞ。じゃあコイツ処分!」ということで陪臣のほうを斬って捨て、トラブルは無事解決されましたとさ。

直接関係がないのに、どう考えても痛いに決まってる火起請をやると言い出すあたりがマジパネェ。

 

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その2・ホームレス事件

信長が地元と京都をよく往復するようになった頃の話です。
だいたい特定のルートで行き来していたのですが、ある村を通るとき、いつも同じ場所にホームレスがいることに気付きました。

そこで信長は村人に「奴らは普通あっちこっち渡り歩くもんだろ。なんでアイツはいつもあそこにいるんだ?」と尋ねました。
すると、「アイツの先祖が常盤御前(源義経の母親)を殺したので、その祟りであそこを動けないんです」という答え。
その場を動けないのですから、ホームレスになるより他に食べていく方法がないというわけです。

これを聞いた信長、そのときはスルーしました。

が、後日再びその村を通った際、村人を一つ所に集めます。
「まさか焼き討ちか!?」「誰だよ怒らせたの!!ああ神様仏様お助けをおおおおおおお!」なんて会話が繰り広げられていたかは定かではありませんが、戦々恐々とする人々と違って信長は至って平静。
そして何故か反物をたくさん取り出し、一同にこう言いました。

「あの者の話は聞いた。本人が悪くないのに、先祖のせいで不幸なことだ。
この反物をお前らにやるから、半分を売ってアイツの暮らしに役立ててやれ。
ついでに隣近所のヤツは少しでいいから食べ物を分けてやってくれたら俺も嬉しいんだけど、どうよ?」
という何とも”魔王”らしからぬ発言に、村人一同感涙したとさ。

……その後実行に移されたのかどうかがわからないのですが、多分村人がガメてたら信長が今度こそ焼き討ちにしたでしょうから、多分皆でホームレスの面倒を見たのでしょう。

 

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その3・治安維持

信長は、治安維持にもかなり力を入れています。
地元はもちろん、信長が上洛して以降の京都は見違えるほど治安がよくなり、「鍵をかけずに寝られるのは、日本中探しても信長様のお膝元だけ!」とまでいわれたこともあったとか。
十三代将軍・義輝が存命中も「公方(将軍)様の威信で治安が良くなってありがたやありがたや」なんて話があるので、トップのコワさ……もといイメージというのはかなり効果があったようです。

また、信長は自分の軍で狼藉を働いた者については、エラかろうが一兵卒であろうが容赦なく成敗していました。残念なことに当時の軍はどこも「規律?何それ美味しいの?」という状態だったので、信長がいかに厳しかったかがわかります。

大阪夏の陣が終わった後、大阪城下で直接戦に関係ない庶民への暴力がふるわれまくっていたことと比較すると、やはり軍の統率力としては家康より信長のほうが圧倒的に上だったのでしょうね。

「満足に恩賞を与えられない代わりに、兵卒の狼藉を黙認する」というのは、古今東西問わずよくある話なのですが。

 

その4・家族へ

信長は裏切られても基本的に謝罪があれば「お前使えるヤツだから許すよ」というスタンスでした。
前にも織田家関連の記事でちょこっとお話しましたが、庶兄信広の反乱をあっさり許していたりするのです。
よほど悪質な場合は容赦しませんが、基本的には肉親を大事にしていたといえましょう。

それが最も表れているのが、末妹お市への態度です。
浅井家を滅ぼしはしたものの、信長はお市とその子供たち(いわゆる浅井三姉妹)は殺さず、戻ってくることを許しました。
しかも、お市を無理やり再婚させようとはしていないのです。
もし妹を道具としてしか見ていなかったとしたら、すぐさま「次はだれそれに嫁げ」と言っていたことでしょう。

そうしなかったということは、信長なりに妹と姪っ子たちに対して罪悪感があったのではないでしょうか。
万全を期すのであれば、お市と三姉妹まとめて尼寺に入れておいたほうが良かったはずですからね。

いずれ三姉妹がどこかに嫁いだあと、その子供達に「お爺様の仇である伯父様を討つのです!」なんて言わないとも限らなかったですし、そうなると信長には時間的に害が及ばないとしても、織田信忠の代にデカイ禍根になっていた可能性は高いです。
まさか姪っ子可愛さに全く考えてなかったなんてことはないでしょうし。

 

NOBUさんの逸話・まとめ

出典が例の「信長様最高!もっともっと脚色していいよね!!」な信長公記だったりして信憑性の怪しいものもありますが、逸話というのは基本的にそういうものですから目くじら立てるほどのことではないかと。

むしろ、「確かなソースはないけど、こういう人だったよ」という話が語り継がれていること自体が、信長に対する信頼感を表しているのではないでしょうか。
これは他の人物でも同じですけども。

弟にきびしくしちゃった(くらたにゆきこ・絵)

弟にきびしくしちゃったね、ごめん…(くらたにゆきこ・絵)

そりゃ、これだけ逸話に富んでいればどこかしら「なんだよ魔王とか言ってるけどいいヤツじゃん」って思いますよねえ。
信長の人気が高いのは、歴史的な功績の他にこうした逸話の多さからきているのかもしれません。

その割に「生まれたばっかりなのに癇癪持ちで、乳母のtkbを噛み切った」なんて話まで残っているのがアレですが。
さすが信長公!おれたちにできないことを(ry

長月 七紀・記
参考

織田信長/Wikipedia

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神明裁判/Wikipedia

 




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