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その日、歴史が動いた イタリア

イタリア戦争・ノヴァーラの戦い 欧州中の国や勢力がやってきてボコスカウォーズ

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先月末ご紹介したコンスタンティノープル陥落時、”イタリアは都市国家の集まりに過ぎなかった”というお話をさせていただきました。

実はもっと詳しく言えば、さらにその都市国家と周りの国がくっついたり離れたりして、半世紀近くイタリア全土がずっと戦争になっていたのです。
温暖な気候であること、優れた文化を持つこと、カトリックのトップがいること、そして何よりローマ帝国発祥の地を抱えるという、他国から見れば「ここを取らないとかないわー」的な土地だったからでしょうね。一つだけでも充分戦争の原因になりますし。
このため、イタリア半島に面してる国で攻め込んでこなかったところはないんじゃないかってくらいドンパチが続いていました。
それに加え、当のイタリア諸都市はあまりにも”オレの街”という意識が強く、連合して他国に抵抗しようという気がまるでなかった(できなかった?)ので、余計よそからの介入を招いてしまったわけです。

卑弥呼登場前の日本列島という感じなイタリア中世

Illustration of the battle of Novara in the cronicle of Johannes Stumpf, 1548(Wikipediaより)

Illustration of the battle of Novara in the cronicle of Johannes Stumpf, 1548(Wikipediaより)

ナポリを巡ってフランス、スペイン、オーストリア三つどもえ
ナポリとれなかったフランスがミラノ狙う
スイスなど神聖同盟できた!

15世紀から16世紀にかけて行われたこの一連の戦争を、そのものズバリ「イタリア戦争」と呼びます。
19世紀にサルデーニャ王国のオジサマ達が頑張った戦争(イタリア”統一”戦争)とは違いますので、学生の皆さんは要注意です。学者先生方ももうちょっとわかりやすい名前にしてくれればいいのになあ。
まあそれはさておき、1513年(日本の永正十年)6月6日は、その中でも激戦だったといわれているノヴァーラの戦いがあった日です。

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ノヴァーラとはイタリア北部の都市で、ミラノから40kmほどのところ。スイスやフランス方面との商業・交通の拠点として栄えた街です。
豊かな街が戦争の舞台になるのはもはやテンプレですね。

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スパゲティナポリタンが戦争の原因か…もしれなくはない

そもそもイタリア戦争のきっかけは、半島南部にあったナポリ王国の継承権争いでした。もうツッコむ気にもならない理由ですね。
まずここを巡ってフランスの貴族とスペインの貴族が争い、後者が勝ってナポリ王国を傘下に組み入れます。

ここで神聖ローマ皇帝を代々輩出していたオーストリア(ハプスブルク家)が「イタリアには教皇がいるんだから、ローマ帝国の後継者であるウチが治めるべきですよね^^」と言い出し、大ざっぱに見て三つ巴の構図が出来上がります。
既にスペインにもハプスブルク家の人が行っていたので、フランスからすればここでイタリアを取られると四方向のうち三方(しかも全部温暖な地域)を塞がれる事態に陥ることになります。

現代日本で言えば、アメリカ・中国・東南アジア及び中東方面への航路を全部塞がれたようなイメージです。
何それ勘弁。

というわけでフランスは「じゃあこっち取るもんね」と言わんばかりに北部イタリア・ミラノ公国の継承権を主張しました。
どっちにしろナポリやミラノの人々にとってはいい迷惑ですね。
これにご近所のスイスが加わり、さらに直接は繋がってないイングランドやスコットランド、オスマン帝国が我も我もと名乗りを上げてもはやカオス。
ナポリはスペインのものということで一旦落ち着きましたが、北部イタリアを巡る戦いは続きました。
構図は「フランス気に入らん」という国々が組んだ同盟vsフランスに切り替わります。
前者は言いだしっぺが教皇だったので、”神聖同盟”という厨二もとい宗教的な感じの名前がついていますが、覚えなくていいと思います。ウィーン会議のときにも同じ名前が出てきますし。

フランスは一時ミラノを占領しましたが、神聖同盟側はもちろん気に入らないので頑張って追い出しました。
しかしその程度で諦めるはずもなく、フランスは翌年再びミラノを手中に収めるべく進軍。
その過程で足がかりとなるノヴァーラを包囲し、神聖同盟側と戦争になったのでした。

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永世中立国の前のスイスは結構好戦的

ノヴァーラで実際に戦ったのは、フランス軍vsスイス軍。
「何でスイス?」と思われたかもしれませんが、これは単純な話で、スイスがミラノの味方についたからです。
スイスはスイスで自国の領土を拡張したい→イタリア方面にフランスが進出してくると邪魔だったので、「ミラノの皆さんをお助けしましょう!」というような感じではなく、ビジネスライクだったようですが。
国と国との付き合いなんてそんなもんです。世知辛いなあ。

スイス軍(傭兵含む)は世界史上稀に見る精強な軍隊の一つでして、このときの戦いぶりは日本語的な表現で言えばまさに「鬼」。
特に銃火器による攻撃は容赦のよの字もないほどで、3分でフランス兵が700人も死んだとさえいわれています。
損害もフランス軍のほうが圧倒的に多く、5000~1万ほどの死傷者を出したとか。
フランス軍の歩兵が2万程度だったそうなので、実に1/4~1/2が戦闘不能に陥ったことになります。今の軍事基準で言えばおおよそ”壊滅”相当です。
フランス軍はここで撤退したのですが、もしそのまま踏ん張ってたら文字通りの意味で全滅してたでしょうね。3分おきに700人死んでるような状況じゃ、生存者の士気もガタ落ちだったでしょうし。
スイス軍KOEEEEE!

が、この散々な負けっぷりに憤慨したフランス軍は、次のマリニャーノの戦いで勝利を収め、ミラノ一体を支配下に置くことに成功します。
損害的にもそっくりそのままやり返したような数です。いろんな意味で怖いわ。

ちなみにウィキペディア先生ではイタリア戦争=1494年~1559年になっていますが、実際のいざこざは1430年代あたりから起き始めており、まさに東ローマ帝国が「ヘルプミー!」と言っていた頃でした。
これじゃ元は同じ国とはいえ、よそんちを助けに行ってるヒマはないですよね。
そもそもその前に第四回十字軍でいろいろやらかしtゲフンゴホン。

ちなみにノヴァーラの戦いもマリニャーノの戦いも日本語版記事がないので英語版を見たんですけども、他国語版だと挿絵が実にエグいので拡大表示はオススメしません。魔女狩りの図かと思うレベルです。
欧米ではグロ画像の規制も緩いそうですが、昔からそうだったんですかね……?

長月七紀・記

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参考:http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Novara_(1513)
http://ja.wikipedia.org/wiki/イタリア戦争

 




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