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大阪戎橋にたたずむ山下清 (1955年、Wikipediaより)

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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

「裸の大将」山下清はドラマと違い渋い男前だった!?

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歴史というほど昔のことではなくても、ドラマや映画等の脚色によって実際とは異なる人物や出来事として認知されているケースは意外と多いです。
お話として盛り上げるために多少の演出は必要ですけども、当時を知っている世代が生きている間に事実のほうも知られていかないとえらいことになってしまいます。
本日はそんな人のお話です。

裸の大将一代記―山下清の見た夢 (ちくま文庫)

(こういうイメージですが)

おにぎり・タンクトップ・短パンの「裸の大将」は実像と違う

昭和四十六年(1971年)7月12日、ドラマ「裸の大将」で有名な画家・山下清が亡くなりました。
おにぎりが好きだったとか、旅先で得意のちぎり絵を残し、去った後で人々が大騒ぎするというイメージが定着していますよね。服装には全く気を使わず、タンクトップに短パンで全国を歩き回っていたとか。
しかし、そのほとんどはドラマ上の演出であって、必ずとも事実と合致するものではなかったようです。
では、実際の山下はどんな人だったのでしょうか。

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 幼少期の病気でどもりが

山下の言動で特徴的なのが「どもり」。

これは3歳のとき、重い消化不良にかかった後遺症です。「何でお腹の病気で言語障害になるの?」と言いたくなりますが、消化不良を起こす病気の中に高熱が出るものもあるので、おそらくその辺が直接の原因なのでしょう。
ヘレン・ケラーといい、比較的近年にもかかわらず詳しい経緯や病名が不明確というのはちょっとモヤっとしますね。

このとき言語だけでなく知能的にも少し障害が出てしまい、「普通の学校だとキツイ」ということで、現在の養護学校にあたる施設へ入りました。
とはいえ、家族の証言からするとどもりはあっても普通に会話できていたようですから、命を落としかけた代償としては軽いほうなのかもしれません。自分で日記も書いていますしね。ケンカになると容赦できないなど、「やりすぎる」きらいはあったようですが、これが後々絵の分野で生かされていくことになります。

余談ですが、こういう「よくない衝動を芸術その他良い方向へ利用・発散する」ことを心理学で「昇華」といいます。学校やお稽古事で子供の情動教育に絵や音楽、スポーツをさせるのはこのためでしょうかね。本人がイヤだったら意味がないですけども。

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 養護施設で運命の出会い

さて、山下はこの学校「八幡学園」にて運命の出会いをします。
一つは代名詞であるちぎり絵、もう一つはそれを認めてくれた式場隆三郎でした。
式場はこの学校の顧問医で、たびたび学園へ来ていたところ山下のちぎり絵を見、「これは!」と思ってアドバイスを始めます。

山下は「何かを押し付けられる」ことが大嫌いだったので、普通の勉強もあまり好きではありませんでしたが、ちぎり絵への助言は素直に受け入れていったようです。多分、式場の教え方や人間としての相性が良かったのでしょうね。
言っている内容が正しくても、伝え方が悪いと「こいつヤな奴だな」としか思えないこともありますし。

山下のちぎり絵をきっかけとして、同園にいる他の子供たちの絵も注目され始めました。最初は早稲田大学の講師が「ウチでちょっと展覧会をしてみませんか」と誘い、早稲田大学で八幡学園の子供たちの作品を集めた小さな展覧会が何回か開かれます。
その後山下の個展も東京・大阪で開かれ、一般の人々から絶賛を受けました。
山下16歳のときのことです。

第二次世界大戦の徴兵逃れで放浪の旅 

が、ときは第二次大戦中。成人男子はもれなく徴兵検査を受けなくてはいけなかった時代です。
心身ともに健康でないと合格にならなかったので、大なり小なり障害のある人は不合格になる公算のほうが高かったのですが、そもそも「兵隊」という響き自体が嫌いだった彼は学校を飛び出して放浪の旅に出ました。
しかし学校のほうでも必死に探しますから、やはり見つかって検査を受けることに。結果はやはり不合格で、晴れて自由の身となり再び放浪の旅を始めます。

旅先の記憶を再現する驚異的な能力 サヴァン症候群説も

彼の旅は夏は北へ、冬は南へという実にシンプルな方針のもので、しかも絵を描くための素材を探すのではなく「きれいなものや珍しいものを訪ね歩く」というスタンスでした。だからこそのびのびと描くことができたのかもしれません。
ドラマでは旅先で作品を残していましたが、実際には家に帰ってから製作していました。これは山下の驚異的な映像記憶力の成せる業で、一説には”サヴァン症候群”だったのでは?ともいわれています。

サヴァン症候群とは、知的障害等がある人の中で稀に起こる「○○だけを極めて詳細に記憶できる能力を持ったり、詳細に行うことができる」ことをいいます。精神疾患の一部とされていますが、特徴からすると特殊能力といったほうが近いでしょうかね。
一回読んだ本を全て暗記するとか、一度聞いただけで曲を全て再現できてしまうとか、山下のように一度見た風景を鮮やかに記憶できるという人もいます。能力が発揮されるのはピンポイントな分野のため、バリエーションが非常に多く、同じ症例は滅多にありません。

山下は特に花火が好きだったので、諏訪やその他花火大会の絵を多く作っていますが、花火の色はともかく形まではっきり再現していることからして、サヴァン症候群だった可能性は非常に高いでしょう。
その他の絵でも、写真と見まがうほど形や遠近感がはっきり再現されていますしね。
サヴァン症候群であってもなくても、彼が優れた画家であったことは変わりないですけども。

実際は「裸」でなかった

ところで、実際の彼は「裸の大将」ではなかったようです。
ドラマではタンクトップ・短パン・リュックサックが定番でしたが、本当は服装にもとても気を使う人だったとか。旅先では着の身着のままに近かったものの、マスコミに注目されるようになってからは「自分がどう見られているのか」を気にしていたそうですから、その辺も関係あるのかもしれません。

大阪戎橋にたたずむ山下清 (1955年、Wikipediaより)

大阪戎橋にたたずむ山下清 (1955年、Wikipediaより)

写真を見ても、着物のよく似合う渋い人です。モノクロの時代なのでどんな色だったのかわからないのが惜しいところですが、多分色合わせなんかも気にしていたのでしょう。
山下に限らず、芸術家ってこういうところを気にする人としない人の差が極端ですよね。先日ご紹介したアントニオ・ガウディあたりとは対照的です。
ドラマのイメージだけが先行していたりニセモノが出回るなど、現在では人気の高さゆえに弊害に近いことも度々起きています。
本人や親族の書いた本がもっと広まり、実像とドラマ両方の山下清像が広まればいいのですが。

長月七紀・記

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参考:http://www.yamashita-kiyoshi.gr.jp/index.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/山下清
http://www.namiki-shobo.co.jp/order10/tachiyomi/nonfict016.htm




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