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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

油屋熊八の「お・も・て・な・し」 かつて別府温泉で酒が出なかったたった一つの理由

更新日:

 

ここのところ物騒なネタが続きましたが、本日は比較的穏やかな世界のお話をさせていただきます。
二回目の東京オリンピック招致の決め手となった、あの言葉の父ともいえる人です。

文久三年(1863年)の7月16日、油屋熊八が誕生しました。

大分県別府市の別府温泉を、現在のような観光向けに作り変えた人です。
また、世界に知られる日本の「おもてなし」を、おそらく宿泊業で初めて実践した人でもあります。
が、その大きな成功を収めるまでには同じくらい大きな失敗もしていたのでした。

油屋熊八/wikipediaより引用

別府の対岸の四国でうまれ アメリカンドリームを夢見る

彼は宇和島藩(現・愛媛県宇和島市)の裕福な米問屋に生まれました。
明治に入った27歳の頃には宇和島町議になり、30歳の時には米相場でウハウハなど成功まっしぐらの前半生を送ります。
しかし日清戦争の影響でその儲けが全てふっ飛んでしまい、アメリカに渡りました。渡航費用が残ってるくらいならそれを元手に商売すればいい気がしますが、当時のアメリカはゴールドラッシュの興奮冷めやらぬ頃だったので、海を越えてアメリカン・ドリームを見ていたのかもしれません。
ちなみにこのとき既に結婚していたのですが、妻を置いていっています。ひでえ。

ですが、時代が時代とはいえ東洋人がアメリカですんなり成功するはずもなく、あちこちを放浪することになりました。
そして「異国の地では異国の神に頼るべき」と思ったのか、キリスト教の洗礼を受けました。その後さらに三年ほどアメリカで過ごしてから日本へ帰ってきます。うまくいかなかったんでしょうね。

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挫折の繰り返しで別府で亀の井旅館を創業

帰国してからは再び相場の世界に入りましたが、鳴かず飛ばず。そこで彼は、とっくに見限られていてもおかしくないほどの間別居していた妻を頼ります。
彼女がいた地こそ、熊八が最初に作った旅館・亀の井旅館創業の地、別府でした。

ここでようやく神のご加護が発現したのか、熊八は大きな成功を収めます。
新約聖書に出てくる「旅人を懇ろにもてなせ」という言葉をモットーとし、それまでなかったサービスを提供し始めたのです。
例えば、万が一お客さんが急病になったときすぐ対処できるよう、旅館に看護婦を待機させていました。医療機関と連携・親密な旅館やホテルはあるでしょうけども、現代でもそうそうないですよね。

創業から13年目には、亀の井旅館を洋式のホテルに改装しました。ここは今でも営業しているので、もしかしたらご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。
さらに5年後の昭和三年(1928年)にはバス業界にも進出し、日本初の女性バスガイド(少女車掌)つき観光バスツアーを始めました。有名な”別府地獄めぐり”も彼の発案です。
また、近辺にゴルフ場を作って温泉とレジャーをくっつけたのも熊八のアイディアでした。

現在の亀の井ホテル別府店(Wikipediaより)

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 看護婦、ゴルフ、少女バスガイド、もてなしまくりでも酒はなし

一方ですっかり敬虔なクリスチャンになっていた熊八は、自分の旅館やホテルでお酒を出すことを固く禁じていました。「ワインはキリストの血」のはずなんですが、キリスト教の一部には「酒に酔って醜態を晒すのはけしからんし、依存するなんてもってのほか!」→「酒は悪魔の飲み物!!」と考える人たちがいますので、多分その影響を受けていたのでしょう。
熊八がアメリカにいたのは、禁酒運動が盛んになっていた時期ですし。

これに関するエピソードとして、森永製菓の創業者(そしてキャラメルの発案者)森永太一郎が来たときの話があります。
太一郎が「お酒出してくださいよ!旅館でしょう!」的なことを言ってゴネたのですが、熊八は「子供のための菓子を作っている会社の社長さんが、酒が飲めないのかと悔しがるのはおかしい」と真っ向からバッサリ切り捨てたのです。話がそこで終わっているので、多分頑として出さなかったんでしょうね。
ちなみにその後「楽しい旅行に来てるのに、お酒が飲めないのはちょっとかわいそうじゃないですか?;」という意見が多数派になったため、「一日につき清酒は二合、ビールは一本だけ」まで緩められました。牛丼の吉野家か!
呑み助からするとかなり少ないですけども、オーナーの方針なら仕方ない。

別府駅前の銅像がフランクすぎる

こうしたスタンスでも順調に行ったのは、おそらく熊八の経営方針の影響も大きいと思われます。
別府温泉の宣伝等の費用は、全て彼の私財と借金でまかなわれていたからです。熊八が亡くなるまでに完済することができず、ホテルと会社が売られてしまったのですが、それでも現在に至るまで地元では尊敬されているとか。

2007年には、別府駅前にフランクとしかいいようのないポーズの銅像が建てられているほどです。普通こういう銅像って胸像とか厳しい顔つきだったりすることが多いと思うのですけども、すごく……朗らかです……。
作者さんいわく「天国から明るく呼びかけているイメージで作った」らしいのですが、そのセンスに脱帽するしかありません。熊八は子供が好きだったそうなので、それに合わせて親しみを感じさせる方向にしたのでしょうね。

こういう「一代で成り上がった」人にはやっかみや悪評がつきものですけれど、熊八にそうした話がないのは、お金のことはもちろんこの明るさにもあるのでしょう。
人間、バカデカい失敗をすると人に優しくなれるんですかねえ。うっ耳が痛い。

 

長月 七紀・記
参考:別府市HP

亀の井ホテル別府店HP

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http://ja.wikipedia.org/wiki/油屋熊八
http://sago.livedoor.biz/archives/51464815.html




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