母・北条政子から嫌われて?暗殺された2代将軍源頼家の悲劇【その日、歴史が動いた】

「なんでこんな目に遭わないといけないんだろう」というのは、人間誰しも一度は思ったことがあるでしょう。
歴史を見ていても、当人がどう思っていたかはともかく「どうしてこの人がこんなことに」なんてことは残念ながらよくあります。
本人のあずかり知らぬところでいつの間にか最悪の事態になっていた、というケースが多いですが、それにしても「?」を連発したくなるようなことも珍しくありません。
今回はその類のお話です。
元久元年(1204年)の7月18日、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家が暗殺されました。
二代目という重要な立ち位置の人なのに、鎌倉幕府の公式記録「吾妻鏡」には「今日、頼家殿が亡くなりました。終わり」(超訳)程度で済まされているという実に不可解な出来事です。
というのも、吾妻鏡は一貫して「北条氏サイコー!文句あっか?」というスタンスで書かれているため、同家にとって不都合なことは全て削除されていると思しき部分がたくさんあるのです。これもその一つだといわれています。
つまり北条氏=母親・北条政子の実家と仲が悪かったということになるのですが、それにしたって何で殺されることになってしまったのでしょうか。

17歳で鎌倉幕府を背負う

源頼家(Wikipediaより)

頼家は源頼朝と北条政子の間の子供としては長男で、そのため生まれた直後から「次代将軍」として見られていました。
特に武芸の腕を賞賛され、15歳の時には朝廷から位をもらって前途洋々といったところ。本人も自信を持って「トーチャンの次は俺が幕府をリードしてやるぜ!」と思っていたことでしょう。
が、頼家17歳のときにトーチャンが亡くなると、彼の予想とは違った方向に事態が進み始めます。

17歳といえば、当時の感覚としては若造とはいえ立派な大人です。頼家は当初から後継者として見られていたので、しかるべき教育も受けていたでしょう。
なのに、北条氏は「頼家はまだ若くて心配だから、これからはデキる人たちで合議制にするわw」(超訳)と言い出し、頼家が直接訴訟などを捌くことをやめさせてしまいます。
当然頼家は反発し、「そっちがその気ならこっちだってやったるわい!俺の近習(主君の側でいろいろやる人)を通さないと話聞かないからな!!」(超訳)と言い、真っ向から北条氏にケンカを売りました。どっちかというと売ったのが北条氏で買ったのが頼家ですかね。

母の実家北条氏との争いが激化

しかし、北条氏のほうがやはり一枚上手。
どうあっても実権を握りたかった彼らは、頼家の側室・若狭の局が比企(ひき)氏=北条氏のライバルであったことを利用して、権力を一気に奪おうと試みます。
運の悪いことに、頼家がこのタイミングで重病にかかってしまったため、北条氏はほくそ笑み「あれじゃどうせ頼家は助からない。今のうちに比企氏を丸ごとやっちまえ!」と兵を挙げ、あっという間に比企氏を滅ぼしてしまいました。
吾妻鏡によれば「一度は危篤に陥った」とされている頼家がその後あっさり回復しているので、この”重病”もアヤシイ話だったりするのですが。きたないなさすが北条氏きたない。
このとき若狭の局とその間にできた子供も亡くなったといわれており、事態を知った頼家は完全に激怒。軋轢はますます深まっていきます。

北条政子(Wikipediaより)

伊豆で入浴中に暗殺

ここで政子が取り成しなり何なりしてくれれば良かったのですが、このカーチャンはそうしてくれませんでした。
そして頼家と北条氏の溝が埋まることはなく、頼家は無理やり修善寺へ引っ込まされた挙句、暗殺されてしまったのです。同時代の史書「愚管抄」には「北条の兵が入浴中に襲ったんだけど、頼家がとんでもない暴れ方をしたもんだから、男の大事なところ(婉曲表現)を切り落としてやっと殺したんだってさ」(超訳)と書かれているのですが、腕とか足とかもっと他に拘束すべきとこあんだろ。確かに急所中の急所だけども。
ときに頼家21歳、若すぎる上に恐ろしすぎる最期でした。

記録が残っていないだけで本当は政子も何かしていたのかもしれませんが、吾妻鏡の記述やその後の言動からして、このカーチャンが実家と息子のために奔走した可能性は極めて低そうです。
そもそも、頼家に対しての政子の態度は全体的に冷たすぎます。
後々彼らが強引に後を継がせた三代実朝も暗殺されてしまいますけれど、そのとき政子は「実朝は唯一残った子供だったのに」と悲嘆していたことが記録されているのです。”尼将軍”として女丈夫のイメージが強い政子に母親らしい一面があったことを示すものですが、頼家の死亡時にそうした動きは一切見られません。お墓は建ててますけども。
また、頼家が幼い頃初めて鹿を射止めたとき、頼朝は大喜びしましたが政子は「武士なんだからそのくらいできて当たり前でしょ」と取り合いませんでした。確かにそれもそうなんですけど、実の子供なんだからもうちょっと喜んでもいいんでないかい。
「上の子を冷遇して下の子を可愛がる」というのは伊達政宗の母・義姫にも似てますね。暗殺関与疑惑があるところもそっくりです。義姫のほうは現在否定されてますが。

不幸な最期の源氏将軍3代

ちなみにいわゆる”源氏将軍”は三人とも不幸な死に方をしています。頼朝の死因は実は不明・頼家は上記の通り・実朝は頼家の息子(実朝にとっては甥)に殺されていますからね。北条氏も百年単位で実権を握ったものの、短命が多い上鎌倉時代以降生き残ることはできませんでした。
ついでに言えば幕府そのものも同じ源氏一門の足利氏・新田氏に滅ぼされてますし、後世から見ると一体誰が得をしたのか全くわかりません。中世のことですから、そこまでロングスパンで物事を見ている人がいなかったのかもしれませんが。
となると結局頼家は殺され損ということに……(´;ω;`)

黒幕として後鳥羽上皇(朝廷vs鎌倉幕府の「承久の乱」を起こした人)が何か絡んでたりしたら歴史ミステリーとして面白そうですが、流石にないですかね。
長月 七紀・記
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/源頼家


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コメント

    • samurai
    • 2015年 9月 03日

    「修禅寺物語」という昭和30年頃の映画をご存じでしょうか?
    原作は明治時代に活躍した岡本綺堂という劇作家・脚本家です。
    私はこの映画を見て源頼家という若くして暗殺された鎌倉第二代将軍の哀しい運命に心を揺さぶられました。
    源家将軍家の嫡男に生まれたということがここまでの悲劇的運命に暗転するという・・。
    心からご冥福を祈りたいと思います。
    来世はもっと幸せに・・そして少しでも長生きでありますように。

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