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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

大正天皇が即位 明治天皇とは対照的で、ランドセルやマイホームパパの発祥に?

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親子兄弟というとどこかしら似るものですが、中にはまったく似ていない印象が強い人達もいますよね。
戦国武将でいえば、宇喜多直家(暗殺のプロ)と宇喜多秀家(イケメンリア充)とか。
これほどの差ではありませんが、近代の皇室でもあまり共通点のない親子がおられました。明治天皇と大正天皇です。

明治維新で「見える化」された天皇陛下

大正天皇(Wikipediaより)

大正元年(1912年)7月30日は大正天皇が即位された日ということで、今回はこのお二人のお話をさせていただきます。
江戸時代まではそれこそ神社のご神体のように、庶民が直接天皇の姿を見たり声を聞くことはまずありませんでした。以前取り上げた「御所千度参り」(過去記事:幕府へ物申した天皇、隠れた名帝・光格天皇崩御す)などは、まさに神社仏閣へお祈りしに行くのと同じ感覚だったでしょう。

しかし、明治時代に入って軍事演習や各種儀式で「天皇が皇居以外の場所に出向く」ことが増えたため、それまで御簾(みす)のうちに隠れていた天皇の言動が、より多くの人々に知られる機会も増えることになったのです。

それとともに明治政府が皇室の神格化を推し進めたことにより、天皇の役割にも若干変化が起こりました。姿を見られる機会が増えても神聖な存在であり続けなくてはいけない=言動に細心の注意を払わなくてはいけなかったのです。

威厳を求めた明治天皇(Wikipediaより)

明治天皇はこれをとても強く意識しておられ、自らの言動が周囲の多くの人々に影響を与えるということを理解していたので、ときには臣下の前にわざと姿を現さないというのも珍しくはなかったそうです。

例えば、宮中で年始の儀式をするとき、学習院の子供たちが后妃方のドレスの裾を持つという習慣がありました。しかし遊びたい盛りの時期ですから、儀式自体では大人しくできても、終われば騒ぎたくなるのは必定です。

たまたまそうした場にかち合いそうになると、明治天皇はわざと足を止め、少年たちが遊ぶ様子を耳で楽しんでいたとか。

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気さくな「元祖マイホームパパ」大正天皇

一方、大正天皇は真逆に近い言動をしていました。

即位前の皇太子時代から気さくで、行啓(天皇以外の皇族のお出かけ)先でも庶民に親しく話しかけていたのです。上記の前提があるため、お付きの人は「身分にふさわしくない」と止めることが多かったようですが、父である明治天皇や公的に母とされていた昭憲皇太后がきつく止めた形跡はありません。多少はたしなめられていたようですが。

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以前、夫人であらせられる貞明皇后の記事(過去記事:日本の皇室・歴史を支えた皇后たちの功%B




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