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その日、歴史が動いた 中国

袁世凱が中華民国の大総統に就任!猿じゃなくて袁さんです(受験生は要確認)

更新日:

 

「舌の根も乾かぬうちに」という表現がありますよね。

現代的そしてネット的に言えば「鏡見てみろ」ですが、もちろん(?)この表現が生まれる前からこういう言動をする人はいました。
やっている本人としてはわざとなのか自覚がないのかツッコミたいところですが、どっちが多いんでしょうね。

今回お話しするのは、そのうちの一人。
中国暦咸豊九年(1859年=日本の安政五年)に生まれた袁世凱です。

 

「眠れる獅子」 は、いつ起きるのでしょう?

日清戦争のとき中国側のお偉いさんだったので、何となく名前に見覚えのある人もいるのではないでしょうか。
彼が実験を握っていたのは日本の幕末~明治時代のこと。つまり我らがニッポンもよそ様のことはあまり言えないのですが、この頃の中国は実に舵取りの難しい時期でした。

二千年来の中華思想その他諸々によって他国をナメきっていたところ、アヘン戦争・アロー戦争で威厳も何もかもぶっ飛ばされてしまって、欧米諸国からは「眠れる獅子(笑)」扱い。しかも国土をあっちこっち割譲させられるという罰ゲームつき。

ついでにずっと支配下に置いていた朝鮮では民衆が「俺らもうビンボーに耐え切れません」と反乱を起こし、北からは「不凍港欲しいから朝鮮くれ^^」とロシア帝国が迫る迫る。

遣唐使の時代には渡り難かった日本海もずっとカンタンに通れるようになって、日本も諸々の動きを見せていたころです。おそらくどんな人物がこの時期の中国を担ったとしても、全方向をうまく収拾することはできなかったでしょう。

 

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科挙試験に二回も落第(´・ω・`)

そんな時代に生まれた袁世凱は、地元ではちょっとした名家のお坊ちゃんとして知られていました。本人も野望のためか周囲の期待ゆえか、立身出世の望みが強かったようです。

が、中国のエリートが必ず通らなければいけない科挙試験に二回も落第(´・ω・`)

「三度目の正直」には賭けず、彼は路線を180度変えて軍人の道を志します。そして朝鮮のドンパチを収め、朝鮮の責任者だった李鴻章(りこうしょう)の副官的な位置で権力を手に入れました。

その勢いで朝鮮併合を狙う日本ともアレコレ駆け引きをしていますが、結局日清戦争にボロ負けして「ウチの軍隊も西洋化させないとヤバくね?」と考えを少し変えました。気付くの遅すぎね?

 

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カネを借りまくった挙句に国内設備へ投資

が、彼が西洋式の装備と訓練を取り入れたことで、清の軍隊は飛躍的に質を上げます。
視察に来た欧米各国や日本の高官にもそれなりに評価されていたそうです。「ストロング・マン」というよくわからないあだ名もつけられています。

どうでもいいですが、袁世凱は妻妾10人・子供31人と夜のほうも(が?)達者だったので、そこから来てるんですかね。そうだとしたらゲスい。
この頃には信頼できる部下ができており、これからが袁世凱の本番といったところなので力強さを感じてつけられたものかもしれませんが。

この軍事力を背景に、彼は政治の世界にも影響を及ぼしていきました。

が、袁世凱には理屈が先立って現実が見えなくなるような癖があったらしく、( ゚д゚)ポカーンものの事態を招いてしまいます。なんと、あっちこっちの列強から金を借りまくって国内の整備を始めたのです。

少々乱暴ですが、これは現代の株式会社でいえば”複数のデカイ会社に株を発行しまくるかわりに社内設備や福利厚生を充実させた”ようなもの。

そんなことをすれば、当然株主の意向をより尊重せざるをえませんよね。スポンサーですから。

 

やっぱりこの方もお決まりの独裁者ルートへ・・・

しかし、なぜか袁世凱は「いろんなとこから借りれば、お互い牽制しあうだろうからウチは安全」と信じ込んでいました。
アヘン戦争以降あっちこっちを切り取られている状態だというのに、なぜそんなアホなことを信じ込めたのか理解に苦しみます。

だんだんきな臭くなってきましたが、おそらく大多数の方が予測されている通り、この後袁世凱は独裁者への道を歩み始めます。

清王朝が宣統四年(1912年)に最後の皇帝が退位して滅亡すると、彼は待ってましたとばかりに新しい国号「中華民国」を打ち立てて、そのトップになろうとしたのです。

世襲ではなくなったというだけで、「一人の絶対的な権力者による政治」という点では帝政と何も変わりません。

 

そしてついに最終ウェポン 皇帝宣言!

そうした中で第一次世界大戦が勃発。

中華民国は中立を宣言しましたが、日英同盟の「どっちかが複数の国と戦争になったら助太刀すること」(超訳)という取り決めにより、日本が中国大陸のドイツ領を攻撃してきたのでそうもいってられなくなりました。

日本は日本で欧米に対抗するために大陸へのとっかかりが欲しかったので、袁世凱に抗議されてもタダではどきません。むしろ21カ条の要求を突きつけて「もっとオマケくれますよね?さもないと……^^」という態度を示しました。

この間袁世凱はいろいろ情報戦を試みていますが、どれも失敗した上に、国内外から「何だよあいつ口先ばっかかよw」という目で見られるようになります。gdgdの後手後手ですね。

にっちもさっちもいかなくなった袁世凱、ついに奥の手に出ます。

なんと権力の集中を狙って「皇帝」の復活と自ら帝位につくことを宣言したのです。数年前に清を滅ぼしたのはいったいどこのどいつなのかと。

当然国内外からさらなる反発を招き、たった数ヶ月で退位しましたが。

本人としてはよほどの自信策だったようで、落胆からか退位の三ヵ月後に亡くなっています。

……まさか、死ぬ前に皇帝のコスプレしたかっただけとかそんなバカな。中国には皇帝しか使っちゃいけない色とか紋様とかいろいろありますけども、まさかそんな(ry

 

長月 七紀・記

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参考:袁世凱/wikipedia

 




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