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西郷どん特集 その日、歴史が動いた 幕末・維新

白虎隊、自刃す 時代の犠牲になった若者たちの素顔あれこれ

更新日:

これまでいろいろな物に対する古今東西の違いや共通点をお話してきましたが、今回もそんな話題になりそうです。ズバリ「犠牲」でございます。
多くの宗教ではこれを「神のために捧げられる尊いもの(だが本人の意思は知ったこっちゃねえ)」としていますよね。洋の如何というより宗教や民族性のような気もしますが、こまけぇこたぁいいんだよ。

一方日本では、「犠牲=英雄の条件」みたいな扱いをされていることが多いのではないでしょうか。特に当事者が若ければ若いほど、語り継がれたり特別視されることが多い気がします。

古くは平家物語の「敦盛の最後」ですかね。視点は敦盛を討った側の熊谷直実ですが、タイトル通り真の主役は討たれた側である平敦盛。息子とほぼ同年代の堂々たる若者を手にかけたことも一因となって(ということになっている)直実は後々出家し、現代では国語の教科書で「戦における”もののあはれ”」の代表として扱われています。
前置きが長くなりましたが、本日はもっとずっと後に”時代の犠牲”になった若者達のお話です。

白虎隊をめぐる3つの誤解

慶応四年(1868年)の8月23日、会津藩に組織されていた白虎隊の多くが会津若松城を望む飯盛山で自刃しました。
「戊辰戦争時に人手が足りず、会津藩が集めた少年部隊が落城を知って全員自刃を選んだ悲劇」として世に知られていますね。
でも、このイメージには少しだけ事実と違う点があります。大きく分けて三つです。

その1 年齢別に編成された白虎隊は徴兵か?

一つは、白虎隊は志願制の部隊であって無理やり徴兵されたわけではないということ。
当時の会津藩にはいわゆる四神の名を冠した部隊が他にもありました。
儒教の影響か、能力ではなく年齢順に分けられています。

シニアもとい50歳以上の古強者たちを玄武隊、36~49歳の者が青龍隊、18~35歳が朱雀隊、15~17歳が白虎隊に振り分けられていました。
白虎隊はよく「最年少部隊」といわれますが、実はこの下に14~15歳の元服しているかどうかも怪しい子供たちの部隊・幼少組がいます。「幼」なんて字をつけるからには戦の役に立たないことはわかっていたでしょうに、なんでわざわざ部隊にして親元から引き離したのやら。

当然のことながら、主力は一番兵に適した年代の朱雀隊。もちろん最前線に行っています。
次点が青龍隊で、こちらは会津と他藩との国境に配属されました。
その他の隊は会津若松城で主君・松平容保の護衛をするか、予備戦力(補欠みたいなもの)として後方に控えていたのです。

また、白虎隊の中には生年を偽って無理やり所属した人もいたそうです。中には幼少組にすら入れない13歳の少年もいたとか。
これだけでも、「いたいけな子供を無理やり戦線に送り込んだ」わけではないということがわかります。
そもそも無理やり戦場に送り込んだ兵ばかりだったら、自刃する前に逃亡するでしょうし、その場合は犠牲者ではなく裏切り者として悪名が残っているでしょうしね。

なお、なぜ年齢別にわけたかというと、鳥羽伏見の戦いで、年齢ごちゃごちゃに編成したところ、行軍速度が年寄りに合わせて遅くなったためという説もあります。

その2 全員自刃したわけではない

二つめは、白虎隊は全員自刃したわけではないということです。
上記の通り、彼らは当初前線へ出る部隊ではありませんでした。が、各所で押される朱雀・青龍の両隊を支援すべく、戦闘に加わらざるを得なくなります。
当然のことながら戦い慣れていない白虎隊の多くが戦死もしくは負傷による撤退を余儀なくされました。
自刃の場となった飯盛山へ逃げてきたのは、白虎隊340人のうち20人だったといわれています。さらにこのうち一人だけ偶然地元の人に助けられた人がいますが、その話はまた日を改めて。
飯盛山へ行かなかった人=おそらく自刃時に別のところで戦っていた人の中にも、昭和年間まで生き延びた人がいます。

また、飯盛山で自刃したとされる人の中にも実際には、周辺やその前の戦いで戦死した人もいましたが、あとでまとめて飯盛山で自刃とされたそうです。

その3 「お城が燃えてる」はああ、勘違い

最後は、彼らが自刃したとき実は会津若松城はまだ落ちていなかったということです。
「城下町から上がっていた煙を見て、落城したものと勘違いした」という有名な話ですね。
しかし、絶望的な戦況の中で、かつ若さゆえに経験に乏しく判断力も培われていなかったであろう白虎隊士が冷静に判断を下せたとはとても思えませんから、無理もありません。

これは現代から見ているからこそいえることですが、そもそも近現代の戦で少年兵を採用して最終的に勝った軍など(多分)いないでしょう。現在は国際法で(基本的には)禁止されていますし。
戦国時代のように平均寿命が短く、それに伴って「大人」とされる年齢も低かった頃であれば十代前半で戦に出ることは珍しくありませんでしたが、ときは幕末。彼我の戦力差や戦況などを総合的に鑑みる力のない少年たちでは、気持ちが先立つばかりで満足な結果を得ることはほぼ不可能。
若さゆえの純粋さと、長じてからの忠誠心とは違うのです。

 

とはいえ、戦の最中というのは基本的に情報が錯綜するもの。
当事者の証言や書き残したものといえど、記憶の錯誤や勘違い・思い込みが多く含まれている節があります。
もしかしたら強制的にかき集めた部隊だったかもしれませんし、上記の中でも事実と食い違う点があるでしょう。
トンデモ説にまで走るとしたら、「白虎隊は自刃したのではなく、何者かによって全員殺害された」可能性だってゼロではないわけですしね。

タイムマシンが完成したら、おそらく多くの学者先生方や歴史ファンが本能寺の変前後を見に行くと思うのですけども、白虎隊の最期を確かめに行く人も多いのではないかと思います。
ロマンを求めるのは文学の世界、事実を明らかにするのが歴史の世界ですからね。
個人的には、松平容保に突撃インタビューでもしてみたいところです。実現できなそうだけど。

 

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%99%8E%E9%9A%8A
http://www.h3.dion.ne.jp/~byakko/




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