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女性 その日、歴史が動いた 徳川家

徳川家康の母ちゃん『於大の方』ってどんな人だったの?

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当コーナーでも散々狸狸と呼んでいる徳川家康ですが、当然のことながらお父さんもお母さんもお爺さんもいます。お爺さんとお父さんは二代続けて暗殺されたという不幸っぷりで有名ですが、お母さんについてはあまり知られていませんよね。

というわけで、本日は慶長七年(1602年)8月28日に亡くなった、家康の母・於大の方(おだいのかた)のお話です。生まれは享禄元年(1528年)ですから、74歳となかなかの長寿ですね。

絵・富永商太

絵・富永商太

 

嫁いだ後に実家の水野家が急に方向転換

彼女は三河・刈谷(愛知県刈谷市)の武士・水野家に生まれました。刈谷は尾張と三河の国境線付近で、織田と松平(のちの徳川)に挟まれていました。

当時はまだ東海道の情勢も落ち着いておらず、水野家も生き残るためには何か手を打たなくてはなりません。そこで於大の方の父・水野忠政は、三河に勢力を築いていた松平家へ娘を嫁がせました。

結婚の翌年に家康を産んでいるので、そこそこ順調な新婚生活だったと思われます。政略結婚ですから、義務といえばそれまでですが。

が、実家の父が亡くなってお兄さんが家督を継ぐと、水野家は方針を大きく変えてしまいます。
「当主が家臣に殺されるような家と手組んでてもしょうがなくね?今川と組むのもヤだし」と考え、当時急激に勢力を伸ばしていた織田信秀織田信長のトーチャン)に味方したがったのです。そりゃそうだけど節操ないなあ。

そして於大の方は無理やり離縁させられてしまい、水野家へ戻ることになりました。

 

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出戻ったかと思ったらすぐさま久松家へ

出産の翌年ですから、家康はまだ物心もついていません。家康って歴史上の超有名人の割に兄弟の話があまり出てこない人ですが、これじゃ両親共に同じ弟や妹が生まれるわけもなく、当然の話ですね。

時代が時代ですから、実家に帰ってもそのまま穏やかに暮らすことはできませんでした。
これまた兄の意向で尾張・阿久比城主(愛知県阿久比町=あくびじゃなくてあぐい)の久松家という別の家に再度嫁いでいます。久松家は織田家と松平家の間でうまく身を処しており、水野家が松平家から織田家に鞍替えするにも便宜を図ってもらえると思ったのでしょう。

ここでも三男三女に恵まれていますし、於大の方は比較的子供ができやすい体質だったのでしょうね。

当時の衛生状況や医療技術からすると、一人で何人も産める女性はそう多くはありませんから、体力や健康面でも優れていたようです。

阿久比町立図書館所蔵「於大の方」絵画。日本美術院院友安沢阿弥作『母情仏心』(阿久比町HPより)

 

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桶狭間の戦い!家康も織田家に近づいていく

そうしてしばらくは久松家で暮らしていたのですが、健気に家康との音信を取り続けていた彼女に、どこかの神様か仏様が味方してくれました。

永禄三年(1560年)に桶狭間の戦いが起こり、家康は今川家の支配を脱することができたのです。ここから家康は織田信長と連携を取っていくわけですが、それに伴って母親を手元に引き取ろうと考えたのです。

かといって於大の方だけをまた離縁させるような荒っぽいことはせず、久松家ごと松平姓を与えて傘下に組み入れるというダイナミックな方法でした。ケチくさいくせにこういうときだけは気前いいですね。

これから配下が欲しい時期でしたから、異母弟や異母妹も迎えれば母も喜んで一石二鳥と考えたのかもしれません。手駒増やしたかっただけとかそんなまさか・・・。

 

天下人とはいえ実母にはアタマが上がらない

二人めの夫・久松俊勝はその後秀吉が関白になった頃に亡くなり、於大の方は当時の習慣として出家しますが、ずっと家康や徳川家のために働いていました。

例えば、家康は小牧・長久手の戦いの後、松平定勝(於大の方の息子、家康からみて異父弟)を秀吉の養子にしようとしたことがあります。於大の方はこれに大反対。家康が断念せざるを得ないほどの剣幕で説得したそうですが、「母は強し」とみるべきか、狸も母親には勝てないとみるべきか……。

また、豊臣家との関係が悪化した後には、高台院(ねね)に会いに行ったり豊国神社へ参詣するなど、間を取り持つようなこともしています。その頃には70代のはずですから、やっぱり若い頃から体力のある人だったんでしょうね。

於大の方が亡くなったとき、家康は59歳。関が原の戦い前後にはアレコレ黒い思惑を巡らせていた狸が、一方で母親に頭が上がらなかったと思うと笑えてくr……母の偉大さがわかりますね。

長月 七紀・記

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参考:於大の方/Wikipedia

 




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