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ちょっと変わった絵柄ですなぁ/wikipediaより引用

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イギリス その日、歴史が動いた

オレのスタンドは獅子心王! リチャード1世が9月8日に誕生す

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最近物騒な人のネタが続きますが、本日も懲りずに暴れん坊のお話です。

1157年(日本では保元二年=保元の乱があった翌年)の9月8日、後にその勇敢さから”獅子心王”とあだ名されるリチャード1世が誕生しました。イングランドの王様です。

彼を含めた四人兄弟の人生は、父王ヘンリー2世との争いから始まります。
当時のイングランドはフランスの西半分との連合王国であるアンジュー王国を作っていたのですが、これを相続させる際四兄弟へテキトーに割り振ったため、争いが絶えなくなってしまったのです。

しかも末っ子のジョンがわずか2歳のときにこの配分を決めたため、「アイツにはまだ領地はやれないけど、その代わりひいきしてやろう」というアホにも程がある扱いをしてしまいます。

リチャード一世1

リチャード一世の肖像画/wikipediaより引用

 

あろうことかフランス王に味方(・ω<)

さらにリチャード1世のすぐ上のお兄さんで王太子だったヘンリーが亡くなると、その座に繰り上がる代わりに「お前にやった領地はジョンに渡しなさい」と言ってしまったのでリチャード1世は当然激おこになりました。

お兄さんが王太子とは名ばかりの状態だったことを知っていたリチャード1世は、「その手はくわねえぞクソ親父!!」と遅すぎる反抗期を炸裂! 誰だって名前だけの王様になんてなりたくないでしょうから、もっともな話ではありますが・・・。だから相続問題は慎重に扱えと・・・。

そしてあろうことか、父に反感を持つあまり、ときのフランス王・フィリップ2世に味方してしまうのです。
仮にも王太子が異国の王についたという前代未聞の事態でしたが、内乱にまでは至らなかったので、ヘンリー2世が亡くなるとリチャード1世は一応スムーズに王位へつくことができました。

ウェストミンスター宮殿には銅像も立っているが・・・/wikipediaより引用

ウェストミンスター宮殿には銅像も立っているが・・・/wikipediaより引用

 

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エルサレムを奪回するぞ!奪回するぞ、奪回す・・・ 

しかしこの「身内相手ですら穏便に話し合いができない」というデカすぎる欠点は後も尾を引いていくことになります。

彼は第三回十字軍の中心人物でもあり、フランスや神聖ローマ帝国と共に聖地エルサレム奪回へ取り組んでいく……はずだったのですが、各国との領土問題を十字軍中にも引きずり、結局協調することができなかったのです。

資金集めの段階では「ロンドンを売っても構わん!」と言っていたほどやる気満々だったのですが、アンタ聖地と領地とどっちが大事なんだ。
お金ができてからはすぐ大陸に渡っていて、その後もほとんどイングランドにはいなかったので、やる気があったことは間違いないんですけども。

ちなみにこの最中に結婚してます。奥さんとその妹も十字軍と一緒に連れまわしていて、彼女達は一度捕まってしまったこともあるのですが、「ウチのに何してくれてんだてめえ!!!」とブチ切れて戦って取り返したとか。アンタは少年漫画の主人公か。
しかも最初はフィリップ2世のお姉さんと婚約してたのに、それを破棄してフランスと敵対していた国(ナバラ王国=現在のスペイン北東部)から迎えた奥さんだったので、フランスとの仲も険悪になりました。あーあ。

 

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2700人の捕虜を全員処刑 

それでも十字軍は進み、アッコン(現・イスラエル北部)を陥落させて着々と聖地へ近付いていきます。
ここで当時のイスラム王国・アイユーブ朝へ「これこれの条件を飲めば停戦してやってもいいけどどうする? あ、言っとくけどこっちには2700人くらい人質がいるんでそこんとこよろしく」(超訳)という通達を出します。

が、その程度で事が収まるわけもなく、アイユーブ朝の要人との会合もすっぽかされてプッツン切れてしまったリチャード1世は、なんと捕虜を皆殺しにしてしまいました。
この手の話ではお決まりですが、老若男女お構いなしだったそうで……そのためアッコン周辺ではその後しばらく言うことを聞かない子供への脅し文句として「リチャードが来るぞ!」と言うのが定着したとか。って、「なまはげ」かいな!

ですが、それから一年以上戦ってもエルサレムを落とすことはできず、「非武装のキリスト教巡礼者を今後通してくれれば、今回は引き上げてやろう」「おk」(意訳)という休戦協定が結ばれ、第三回十字軍は比較的マシな終わり方をします。

この次の第四回がアレすぎるので、その分まともに見えるだけかもしれませんが。

 

獅子心王のスタンド発動! 幽閉から救出される

こうしてビミョーな気持ちで帰国の途についたリチャード1世、ここで今までのしっぺ返しをくらいます。
神聖ローマ皇帝・ハインリヒ6世とフランス王・フィリップ2世、さらには弟のジョンがリチャード1世の廃位を狙って結託し、彼を捕らえようと画策していたのです。

母親のアリエノールが「アンタ夜道に気をつけなさい!」と知らせてくれたので、変装したりいろいろ工夫はしたのですが、結局バレて幽閉されてしまいました。
ジョンは「やったーこれで俺が王様だ!」とホクホクしますが、イングランドの貴族が揃って審議拒否&多額の身代金を払ってリチャード1世を救い出したため、この計画は結局ポシャります。
乱暴者ではあっても、リチャード1世のほうが部下や民衆からの信頼は厚かったんですね。”獅子心王”というのも、そのあたりの人々がつけたのでしょう。

しかしこのときフィリップ2世からジョンへの手紙には「気をつけろ、悪魔が解き放たれた」と書かれていたそうで、やっぱり散々な扱いです。
味方からはこんな扱いなのに、十字軍中にイスラム側の人が「キリスト教徒最高の騎士」という好意的な評価をしてくれてたってのがもうね。

ちょっと変わった絵柄ですなぁ/wikipediaより引用

ちょっと変わった絵柄ですなぁ/wikipediaより引用

 

王位をゲットした弟は結局領地を大量に失う 

当然イングランドに帰ってきたリチャード1世は弟にビキビキ(#^ω^)。

一度はあわや内乱かというところまで悪化しますが、やがて和解が成立しました。

しかし数年後、リチャード1世がフィリップ2世とケリをつけるため再び渡海し、矢傷が元になって亡くなると、結局王位はジョンのものになってしまいます。

このジョン王が後々いろいろやらかしてイングランドは大陸での領地を大幅に失い、それを取り返すためにフランスと度重なる戦争をし、やがて百年戦争が起き……というように続いていくのですが、その辺はまたいずれ。

 

長月 七紀・記

 

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参考:リチャード1世_(イングランド王/Wikipedia

 

 




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