日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

イギリス その日、歴史が動いた アメリカ

ここにアメリカの歴史始まりメイフラワー号の艱難辛苦終わる!?

更新日:

 

「行きはよいよい帰りはこわい」は某神様へのお参りですが、お参りに限らず旅や遠出というものはだいたいそうではないでしょうか。登山なんかはまさに行きより帰りのほうが危ないですしね。

現代でもそうですから、もっと昔は旅そのものが危険なものでした。それでいて未知の領域やはるか遠い国に憧れや欲望を抱いて、人々は道をつけ船を漕ぎ出し、地図の空白が埋められ世界の姿が明らかになっていったのです。

時代が下るに従ってロマンよりも欲望の割合が増していくのが人間の業を感じさせるところですけども、当然全てがうまくいったわけではなく、無事に済んだ例のほうが珍しいでしょう。

今回はその一例のお話です。

※トップ画像はメイフラワー号の航海を再現すべく作られたメイフラワー2世号です

 

深刻なビタミン不足 狭い船室で病気が蔓延 

1620年(日本では江戸時代の元和六年、秀忠の時代)の9月16日、イギリスの植民船メイフラワー号がプリマス港からアメリカへ向けて出航しました。
プリマスは昔から軍港だったところで、エリザベス女王の時代にはアルマダの海戦で勝利をもたらしたフランシス・ドレークが市長を務めたこともあります。

それだけに船の整備や船員の質は高かったと思われますが、それだけで航海がうまくいくとは限りません。沈没事故で有名なタイタニック号だって、船長の評判はかなり高かったようですからね。

しかも17世紀は地球全体が小氷期レベルの寒冷な時代でしたから、新鮮な食料を供給できず、多くの人間が狭い船室で生活する船旅というのは、病気が蔓延するのに絶好の条件を備えてしまっていました。

特に深刻だったのは、各種のビタミン欠乏症だったといわれています。ビタミンC不足は壊血病、ビタミンB1不足は脚気といった重篤な病気を引き起こしますが、そもそもビタミンという存在が知られていなかった時代です。
また、肺炎や結核などの感染症が流行ることもままあり、メイフラワー号に限らず船旅ではこういった病気による死者が絶えませんでした。

 

スポンサーリンク

ここからアメリカの歴史が始まった!?

同年11月にようやくアメリカへ上陸しても、そこは厳寒の荒野。二ヶ月以上の航海を終え疲弊しきった乗員乗客が楽に過ごせる場所ではありません。

しかも原住民とのトラブルを起こしてしまったために陸で生活することができず、船内の不衛生な環境で一冬越さざるを得ませんでした。このため、130人ほどいた乗員乗客の半分近くの人が亡くなったそうです。
当初は二隻で行く予定だったのが一隻になってしまったため、充分な荷物を積み込めなかったというのも栄養不足を加速させたと思われます。

それでも生存者達は春にはなんとか上陸して生活基盤を築くことができ、イギリスからの最初の永久移民となりました。ここからアメリカの歴史が始まったと見ることもできるでしょう。

 

スポンサーリンク

なぜ彼らはこんな旅に? because清教徒だったから!

しかし彼らはなぜ、こんな文字通り命がけの旅に出たのでしょうか?
気候や病気のリスクは船旅につきものですから、当然そのことは知っていたはずです。

そこには、当時のイギリスにおける宗教事情も絡んでいました。

乗客102人のうち約1/3、つまり30人ほどはどうしてもアメリカに渡らなくてはいけない理由がありました。イギリス国教会が迫害していた清教徒(ピューリタン)だったからです。

またキリスト教のややこしい話になるのですが、ものすごくテキトーに言うとイギリス国教会=「ウチの王様は宗教的にも偉いんだぞ!王様バンザイ!」、ピューリタン=「いやいやそれおかしいでしょ。ちゃんとやらないと罰当たるからなんとかしないと」という感じです。

そしてピューリタンの中にも、「俺らは頑張って出世して、内側から教会を変えていこう」とする人々(長老派)と、「あいつらもうダメだから、どこか居心地のいいところに引っ越そう」と見限った人々(分離派)がいました。
メイフラワー号に乗っていたのは後者で、だからこそ危険な航海にも耐える心積もりでいたのです。ピューリタン(Puritan)という言葉がそもそも「くそ真面目な人」という意味ですので、その意思は頑強だったことでしょう。

 

マゼランも自身は世界一周しておりませんし

結果は上記の通りですが、一方で航海中に出産した人も二人おり(ピューリタンだったかは不明)、母は強しというか生命の神秘を感じさせてくれます。

植民地へ行く=欧米列強が武器を振りかざして乱暴を働くようなイメージが強いですが、行く側も行く側で命がけだったんですね。

もう少し前の大航海時代ではいろいろな人が「どこそこを発見しました」という話がよく出てきますが、本人はともかく船員の多くが亡くなったらしき記録は珍しくありませんし。

世界一周したことで有名なマゼランなんて、本人はフィリピンに上陸した際原住民との戦いでブッコロされています。正確に言えば、世界一周したのは彼の船と船員達であって、マゼラン自身ではないんですね。

これは後世から見ているからこそいえることですけども、このくらいの時代がある意味ヨーロッパとその他の国が一番公平だった時期なのかもしれません。

長月 七紀・記

スポンサーリンク

参考:メイフラワー号/Wikipedia 今日は何の日?徒然日記/新天地への旅立ち

 




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-イギリス, その日、歴史が動いた, アメリカ
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.