片倉小十郎と伊達政宗のあまりホンワカしないエピソード集

 

世の中には、ネタが多すぎて扱いに困る人というのがいます。
歴史上の人物の場合、それだけ記録がはっきり残っているということになりますので喜ばしい話でもあるのですけどね。
細川幽斎・忠興親子のように知名度が低くてもネタまみれということもありますし、これもまた歴史の醍醐味といえましょう。
今回はそんな人の中から、最近ゲームなどで有名になったあの人のお話です。
元和元年(1615年)10月14日、伊達家の重臣だった片倉小十郎景綱が59歳で亡くなりました。
ちょっと前までは某立志伝くらいしか出てきていませんでしたが、ここ数年で某BASARAや某無双、某いっしょなどにも登場し、一気に知名度が上がりましたね。
グラフィックを見比べるとものの見事に共通点がなくて笑え……実に興味深いお人です。共通してるのは「転んでもタダでは済まなさそうな目つき」くらいですかね。この人”転んだ”ことないですけど。

信長は「怖い人」・秀吉は「人たらし」・家康は「狸親父」のように、歴史上の人物ってある程度イメージが固定化されていることが多いと思うのですけども、なぜ彼がこんなに違った描き方をされているのか不思議になりません?
私見ですが、これは景綱の生い立ち・能力・性格のどれにクローズアップしたかが大きく影響していると思われます。
では、一体どんな生涯を送った人なのか見ていきましょう。

片倉小十郎景綱(Wikipediaより)

片倉小十郎景綱(Wikipediaより)

山形県の神社の生まれ姉にしごかれる

彼は現在の山形県置賜郡にあった八幡宮の息子として生まれました。
元の身分が低い上、次男だったので幼い頃は結構苦労しています。両親を相次いで亡くし、親戚の家に養子に行ったらその家に実子が生まれて戻されるなど、並みの子供であればグレていてもおかしくない不運ぶりでした。

それが後々政宗の片腕にまで登りつめたのは、歳の離れた姉・喜多(きた)の教育の賜物であるといわれています。
20歳ほど離れていたそうなので、喜多は文字通り母親代わりとなって景綱をビシバシ鍛えました。戦国の女性によくあることで、彼女も兵書や武道にも通じていた女丈夫であったらしく、後に政宗の乳母を任されているほどの人です。実の弟ともなればそりゃもう厳しかったと思われます。
後々まで手紙のやり取りなどもしていたらしいですし、坂本竜馬と姉の乙女さんの関係によく似てますね。

そして景綱10歳のとき、喜多が政宗の乳母に任じられた後「弟のほうも出来がいいってよ」ということで、政宗のトーチャン・輝宗の近侍として仕えるようになりました。

大河ドラマ・独眼竜政宗では、輝宗が景綱の笛の音を気に入って召抱えるという風流な流れになっていましたね。いつ頃そんな芸を身につけたのかははっきりしていないのですが、彼は笛の名手としても有名だったので、そこをうまく取り入れた名シーンでした。
税金(*事実上の)使って運営してるんですから、そういう細かいところに気を使って作ってほしいものです(ボソッ)

政宗のお父ちゃんの眼力がすばらしい

輝宗は息子の陰に隠れてしまって全く目立ちませんが、景綱のような身分の低い中から人材を見つけ出すことがとても得意な人でした。他にも修験者だった遠藤基信(もとのぶ)など、幅広い層から家臣を召抱えています。
この基信がさらに「あの子を若様の側役にしたら、きっと良い働きをしてくれますよ」と推してくれたので、景綱は政宗の側近として働くことになりました。
景綱19歳、政宗9歳のときのことです。

二人が米沢盆地のどこにいたのかは長らく不明でした。しかし、近年、地元の山形県立うきたむ風土記の丘考古学資料館らによる調査で、同県高畠町(米沢市の北)に幼い政宗の館があることが判明しました。両親の住む米沢城から離れたところで、まさに「親子」そして「兄弟」として深い関係を結んだのでした。

これ以降景綱は主な戦での活躍、政治上の駆け引きなど多方面で活躍し、政宗の右腕となっていくわけですが、彼のスゴイところはそれだけではありません。

政宗並みに容赦ないぜアニィ小十郎!

幼少期から主君を見知っているからか、政宗以上に容赦がないのです。
政宗も小手森城の撫で斬りなど残虐とも取れるエピソードがいくつかありますが、景綱の場合は流血沙汰とは違った意味でエグさが際立ちます。
政宗の右目をえぐった話とかありますが、その辺は既にご存知の方も多そうなので、ここではそのほかのエピソードをご紹介しましょう。

アニィたかはし「戦国BoogieWoogie」の記念すべき第1回を飾ったエピソードでもあります

アニィたかはし「戦国BoogieWoogie」の記念すべき第1回を飾ったエピソードでもあります

政宗は脇腹に腫瘍ができて苦しんでいました。この頃は外科的な手術といえば、焼いた鉄の棒で患部を焼いてしまうこと、痛そうです。

さすがの政宗も自分で押し当てることができませんので、景綱に頼みました。すると、なにを思ったのか景綱は自分のなんでもないももに棒を押し当てました。ジューーー

「うん、痛いけど、死にはしないね」

と判断した景綱は政宗の患部を焼いたのでした。このヤケドで政宗は30日の重症となりましたが、一方の景綱のほうがむしろ重く、全治2か月でした。

「政宗殿が子どもいないのに、俺が産むわけにいかない。ぬっころせ、我が子を」

ある時は、景綱に息子が生まれました。のちの2代目小十郎重長です。どういうわけか、せっかく生まれた長男をあのよに送り返せと言うのです。

そのことを漏れ聞いた政宗は筆まめなのであわてて筆をとります。

「私の心に免じて助けてやってくれ。おまえの言い分もあるだろうが、ただただ私に任せてくれないか。これほど言っても助けなかったらおまえのことを許さないぞ。どうか、どうか助けてやってくれ」(手紙は現存)

怒っているんだか、なだめているんだかわからない手紙ですが、政宗の焦りっぷりが伝わってきます。
政宗には、なぜ小十郎がそんなことをしようとしたのか分かっていたのです。それは、政宗にまだ子どもがいなかったからです。
主君より先に子宝に恵まれては申し訳ないと思ったそうです。

 

東北の関ヶ原で上杉と激突

二人がいい大人になった関ヶ原の戦いにおいても、政宗に遠慮ない景綱の暴走はとまりません。
関ヶ原といっても伊達家をはじめとした東北諸将は直接関が原には行っていないので、場所としては奥州の話です。

関が原+東北といえば、上杉家との戦い。家柄的にも勢力的にも同等だった伊達家がぶつか(らされ)るのはごく自然な流れでした。
政宗は狸から「上杉の今の領地(会津・米沢その他)はチミの故郷と旧領だろ? うまくやったら丸ごとあげるよw」(超訳)という口約束を取り付けていたので、俄然張り切ります。
が、そこは流石に謙信以来の精兵が揃った上杉家ですから、一筋縄ではいきません。

時系列でいうと、だいたいこんな感じになっていました。
家康、上杉征伐に出てくる

三成挙兵に驚いたフリをして戻る

上杉家、家康を追わずに山形の最上家を攻める

伊達家が最上家の助太刀という形で上杉家と戦う

ここでポイントになるのが、最上家は政宗の母・義姫(よしひめ)の実家だということです。
いろいろあって彼女は随分前から実家に戻っていたので、最上家を助けることは政宗にとって母親を助けるも同然でした。
別にこれは内々の話でもなんでもなく、伊達家の人間であれば誰でも知っていたであろうことです。

小十郎「政宗の母の実家・最上家を上杉につぶしてもらったらうまくない?」ニヤリ

が、景綱はここでとんでもない献策をしています。
「最上家も武士ですから、上杉家と死に物狂いで戦いますよ。この際、共倒れになったところをウチがまるっと全部いただきましょう。そうすれば手間が省けて一石二鳥ですよね^^」(超訳)と。

つまり、主君に向かって「アナタの母親を犠牲にして領地をぶん捕りましょう」と言ったわけです。人質を見捨てるというのは珍しい話ではありませんが、この場合はそういうわけでもないので見殺し以外の何物でもありません。並みの主であれば手討ちになっていたでしょう。
もちろん却下されていますが、これだけでも景綱の実利主義ぶりというか容赦のなさというか、空恐ろしさがうかがえます。

伊達家の2つ目の城を任される

江戸時代に入って一国一城令が布かれた後、彼はその例外として認められた白石城(現・宮城県白石市)の主になるのですが、こんな恐ろしい人物をいつまでも政宗の側にいさせるわけにはいかん、と判断されたのではないでしょうか。

単純に仲を引き裂くという目的もあったでしょうけども、狸のことだからいくつもの理由があったことは間違いないでしょうね。
とはいえ、その頃には景綱は病気になっていて、ろくに動ける状態ではなかったのですけども。糖尿病らしき病でかなり太ってしまっていたそうで、政宗に「そんなんじゃ今までの甲を着れないだろ。新しいのやるから元気になってくれ」(意訳)と言われています。
景綱所用の甲冑(現存するのは息子のです)は現存していないので比較できないのが残念ですが、どのくらいサイズアップしてたのか気になりますね。
それでも10年以上永らえていましたが、大阪冬の陣の時にはもう白石から動けない状態になってしまっていました。
代わりに息子・重綱を参加させており、死の直前である夏の陣の直後に息子を叱りつけたという話があるので、気力だけは最期の最期まで壮んだったようです。これぞ武将ですね。

いろいろと圧巻の2つの墓

彼のお墓は白石城付近に二ヶ所ありまして、ワタクシ随分前に両方とも行ったことがあるのですが、まあ何とも言えないいかめしさを感じたのをよく覚えています。
一つは傑山寺というお寺の奥で、大きな杉の木が目印です。「敵に墓を暴かれないように」ということで墓標を置かなかったらしいのですが、既に江戸幕府ができているのにそこまで警戒するのがまたスゴイ。
「そんなに後ろめたいことしてたんですか」とか「そもそも場所がきっちり伝わってる時点で台無しじゃないんですか」とかツッコんだら負けですね。
もう一つは傑山寺から少し離れた愛宕山というところに孫の景長(かげなが)が分骨したもので、こちらは景綱以降片倉家十代のお墓が並んでいます。九代めまでは阿弥陀像を墓標にしていて、こちらもこちらで圧巻です。というか怖いです。

余談ですけども、愛宕山のほうはあっちこっちにゴミが散乱していて(´・ω・`)な気持ちになったのもよく覚えております。いくらか拾ったんですが、墓石の側に手を伸ばすのがすげえ怖かったです。
どこかから飛んできたのかもしれませんけど、ゴミはゴミ箱に捨てましょうね。というかこんな人のお墓にゴミ放置とか度胸ありすぎんだろ。
長月 七紀・記
参考:

http://ja.wikipedia片倉小十郎景綱


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コメント

    • はなはな3.7
    • 2016年 4月 11日

    なんか笑えるもともと政宗より景綱のファンですが、某無双でおなじみ景綱の知られざる一面!って感じですね。
    キャラ的にはこっちの方が好きかな。

    • bushoo!japan
    • 2014年 10月 14日

    コメントいつもありがとうございます。
    って、そこにコメントですか!(笑)

    • 出張の時だけ城マニア
    • 2014年 10月 14日

    ゴミ拾い…ステキです!

    こりゃ見習わなきゃならん(^^ゞ

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