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その日、歴史が動いた 江戸時代

松平信綱は「知恵伊豆」と呼ばれた傑物なれど、人付き合いが不得手で悪評も!?

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NHK「知恵泉」の元ネタ「知恵伊豆」こと松平信綱

慶長元年(1596年)10月30日、後に「知恵伊豆」と呼ばれることになる松平信綱が誕生しました。
三代家光・四代家綱の時代のお偉いさんとしても有名ですね。
また、彼の領地だった川越周辺の方にはお馴染みでしょうか。

この人「アレは人間じゃない」と言われるほど頭が良く、何と5歳の頃に自らの進退を決めています。
信綱は元々松平家の生まれではなく、家康の家臣の一人だった大河内久綱という人物の息子でした。しかし、父の弟である叔父が松平家に入ったと聞き、これはチャンス!とお願い事をしに行ったのです。
「私を叔父上の養子にしてください」と。

突然そんなことを頼んできたショt……もとい甥っ子に対し、叔父・松平正綱は当然聞き返します。
「まだ小さいのに、自ら名前を捨てようとするなんてどうしたんだ。親とケンカでもしたのか」(※イメージです)と尋ねると、信綱はこう答えます。
「大河内の名前では、お上の近くで働くことはできないでしょう。しかし松平家の子であればそれが叶うのではないかと思ったのです。どうかお願いします」(※イメージry)
正綱は5歳にして出世計画を立てている甥っ子にドン引きしたゲフンゴホン、その心意気を買って「なら両親の許可を取ってからまた来なさい」と一応賛成しました。
信綱は喜んで両親に相談し、無事許可を得ます。長男だったのによくもまあそんああっさりお許しが出たものです。
もしかしてホントに親子ゲンカしてたんじゃ……とか思っちゃうのはドラマの見すぎですね、ハイ。

 

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秀忠、家光に仕える

松平姓を得た後、信綱はまず秀忠の小姓として仕えることになりました。
家康にも拝謁し、覚えはめでたかったようです。家光が生まれるとすぐに家光の小姓にも任じられます。
上記の通り小さい頃から聡明で知られていた信綱をつけたあたり、この頃の秀忠夫婦はまだ家光に対して冷たくはなかったようです。家康の意向だったのかもしれませんが。
まあまだ忠長生まれてませんしね。

そして度々の加増、大名への取立て、秀忠からの遺産おすそ分けを経て家光の側近中の側近”六人衆”の一員となりました。
当然家光からも気に入られており、「我が右の手は讃岐(酒井忠勝)、左手は伊豆(信綱)」とまで称されています。
その信頼に比例して忙しさもハンパなかったようですが、何に置いても手落ちがないどころか家光のワガママまできっちり叶え、しかもそれを実行させた下々の人にも気配りをすると言う完璧振りでした。

また、家光・家綱の代に起きた大事件についても、後始末に信綱が動いたというケースは少なくありません。
島原の乱、慶安の変、明暦の大火など、ヘタをすれば幕府が揺るぎかねない出来事も見事処理してみせました。
これじゃ人外扱いされるのも無理はありませんね。

 

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能や茶などの芸能や遊びをしない真面目人間

ただし仕事人間によくあることで、人付き合いはあまり得意ではなかったとか。
というのも当時の大名の趣味として好まれていた能や茶道、歌、舞など文化的なことに興味がなく、兵法にも通じる碁や将棋もたしなまなかったからです。
そのためか「デキるけどつまんねー奴」という評価をされてしまったこともあります。

また、家光が亡くなったときに殉死しなかったことも悪評の一因になってしまいました。
そもそもこれは家光自ら「お前には家光の補佐を頼みたいから、死んでくれるなよ」と命じたからだったのですが、当時は「お世話になった主君が亡くなるのなら、お供をして当然」という考えが強かったため、市民からはpgrされてしまったのでした。

信綱自身も「先代様に受けたご恩をもって、徳川家を支えていかなければならん」と考えており、面と向かって非難されたときはそのように反論しています。
もう少し後になって家綱~綱吉の時代には家光や信綱の考え方=殉死禁止が法的に定められましたので、それ以降はこの点で信綱をけなす人はあまりいなかったようです。

まあ、人間多少の欠点がないと本当に実在してたかどうかというレベルから疑いたくなってきますから、無趣味なりコミュ障なり、なんらかのマイナス要因があったほうがリアルではありますよね。

長月 七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/松平信綱

 




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