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近江屋事件で坂本龍馬が暗殺! 容疑者をまとめてみました

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世の中に「謎」とされる物事は星の数ほどあるでしょうが、その中で誰もが知っているほど有名なものとなると、案外両手の指で足りるくらいの数かもしれません。
日本史で言えば本能寺の変がまず一番に挙がると思いますけども、「その次は?」といわれると結構個人差が出てくるのではないでしょうか。
本日はそうした出来事の中でも、二番目か三番目くらいには話題になりそうなあの事件のお話です。

慶応三年(1867年)の11月15日は、坂本龍馬が暗殺された日です。出来事としては、現場となった館の持ち主の名前を取って「近江屋事件」と呼ばれていますね。
事件そのものの顛末については今更という気がしますので、お決まりですが犯人像を探っていきましょう。

現在の近江屋跡(Wikipediaより)

皆さんご存知の通り、龍馬は実家のある土佐藩から脱藩してあれこれ常識に囚われないことを成し遂げました。その最たるものが薩長同盟の仲立ちと大政奉還の提案です。
そして、龍馬暗殺の直前に大政奉還は現実のものになっています。制度上の江戸幕府は終わっていたわけです。
このタイミング的に考えると、龍馬の存在が一番気に食わないのは幕府側の人たちですよね。
過ぎたことをgdgd言うどころではなく、「気に入らないヤツ皆ブッコロ!」みたいな時期ですから、腹いせに殺されたとしても全く不自然ではないわけです。

 

最有力は京都見廻組

実行犯の名として今のところ有力視されているのが京都見廻組だというのも、この点が大きいかと思われます。
京都見廻組とは、その名の通り京都の警察機能を果たすため、京都守護職かつ会津藩主・松平容保配下に作られていた組織です。
新撰組と似ていますが、元々武士だった人たちが集まっているため、身分は見廻組の方が上。さらに見廻組の担当地域は御所や二条城周辺=最重要地域ということで、友好関係とはいえなかったようです。よくある話ですね。

しかし、龍馬に対してあまり良い感情を持っていなかった人物が多そうなのはどちらも同じでした。それでも見廻組の方がアヤシイといわれているのは、犯人の遺留品があからさま過ぎるからです。
この事件、謎の割に遺留品やら犯人の言動やらがいろいろ記録されているのですが、その中に「新撰組がよく使っていた宿の下駄(当然宿名入り)が現場に残されていた」というものがあります。
自分が殺したことがバレるとまずいのに、わざわざ名乗るも同然のものを置いて行くでしょうか?

現代の治安事情や刑法では殺人というだけで犯罪ですから、それそのものを隠蔽しようとしますよね。
しかし当時は「気に入らないヤツ(ry」な情勢ですから、龍馬が殺されること自体はおかしくありません。つまり、酒に酔って暴漢とケンカしたとか、その他事件性のない理由で殺されたように見せかけてもいいわけで。
それをわざわざ「この下駄があるってことは、新撰組がやったんですよ!何てやつらだ!!」という方向に持って行きたかった=新撰組を追い落とすことでメリットがあった人物・団体はといえば、仲の悪かった見廻組ということになるのです。
さて、他の犯人や黒幕説としてはあと三つほどあります。
一つは、龍馬の作った会社・海援隊にかつて裁判で負けていた紀州藩。
近江屋事件直後はかなり信じられていたようで、紀州藩の人が海援隊の人に襲われる事件も起きています。だからいきなりブッコロしにいくのやめなさいって。

 

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最近注目の薩摩藩説

二つめは、最近小説やドラマその他で大人気の薩摩藩説です。
「薩摩はあくまで武力行使による倒幕を目指していたので、西郷隆盛らが龍馬を始末しようと考えた」という理由だとされています。
しかし、西郷は龍馬について敬服といっていいほどの好意的な評価を残しているため、少なくとも彼は噛んでいないのではという気がします。
薩摩の中でアヤシイとするなら大久保利通ですかね。大久保は決して冷血・冷酷な人物ではありませんが、目的のためなら手段を選ばないところがあったようですし、一度龍馬と仲違いもしています。となると「アイツ邪魔になってきたからそろそろ始末しとこう」くらいのことは考えてもおかしくありません。
明治に入ってから西郷と大久保が対立していくことを考えると、薩摩全体で企んでいたというよりは、大久保周辺の人物が……としたほうが近いのではないでしょうか。

 

イギリス人陰謀説

最後はイギリス人による陰謀説です。
これは、当時長崎に来ていた商人・グラバーなどが「日本で内戦を起こさせてウチの武器を大量に売りつけてやるぜククク」と企んでいたところ、龍馬発案の大政奉還によって内戦が回避されそうになってしまったので腹いせに、というもの。
単純すぎるやろ……とも言いたくなりますが、何せ幕末期のイギリスはヴィクトリア女王の時代=海賊度100%ですから、その点だけでも信憑性が出てきてしまいます。
何せちょっと前にはアヘン戦争及びアロー戦争で清をボッコボコにしていますしね。日頃の行いのせいやで。
ところで、何で襲撃者は龍馬を殺しただけでその場を立ち去ったんですかね?
遺体や遺留品、証言者が残れば当然自分たちが怪しまれる可能性はデカいわけですから、放火でもして帰ったほうが安全に目的を達成できたと思うんですけども。
近江屋屋敷を占拠して犯行に及んだということはそれなりの人数がいたはずですし、油その他火を放つ準備をする手立ても講じることが不可能だったとは考えにくいですよね。

「事件現場をそのまま保存しておくこと」=「龍馬がこの日にここで殺されたことを明らかにすることが重要だった」としたら、下駄のこともありますし、やっぱり見廻組犯人説が一番可能性高くなるんですかねー。
ミステリ好きとしてはあっさりしすぎていてしっくりこないですが、まあ「事実は小説より奇なり」ですから。

長月 七紀・記

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「【速報】坂本龍馬の妻の写真は別人だった!」
参考:

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http://ja.wikipedia.org/wiki/坂本龍馬
http://ja.wikipedia.org/wiki/近江屋事件

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