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佐々成政が冬のアルプス越え!? 生死を賭した「さらさら越え」で家康に必死の直談判するも……

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後世から見ると歴史のターニングポイントを知ることはそう難しくありませんが、当時生きていた人からすれば未来予知みたいなものですから、身の振り方を考えるのはとても大変でした。
例えば、関が原の戦いで同じ一族でありながら東西それぞれに分かれた家がたくさんあったのは、あの時点では三成と家康のどちらが勝つかどちらとも判断しがたかったからです。前哨戦では西軍が勝ったところもありましたしね。
となるとそのもっと前、日本史上一・二を争うあの事件の後もそんな状況でした。

小牧・長久手の戦いの講話に不満で富山から直談判

天正十二年(1584年)11月23日、佐々成政が自領・富山から浜松にいる家康の元へ向かいました。一般的に”さらさら越え”と呼ばれる出来事です。

佐々成政(Wikipediaより)

一昨日ご紹介した小牧・長久手の戦いの講和に関して、狸へ意見を言うためでした。
成政は直接この戦いに参加していたわけではないのですが、北陸で秀吉方の前田利家と上杉景勝の間に挟まれて奮闘していたので、あっさり講和されたことに納得できなかったのです。

しかもその前は柴田勝家についた=「秀吉と敵対」していて、自分は頭を丸めた上、幼い娘を人質に出してまで許しを得ていました。
成政も若い頃からずっと信長に仕えてきた古株です。当然のことながら、明智光秀という仇を素早く討ったからといって、秀吉に本心から敬服できたはずはありません。表面上は降伏しても、腹の中ではじわじわと怒りをくすぶらせていたことでしょう。
そこへ家康という信長最大の同盟者が信長の息子について戦うということになったのですから、成政が「これは、信雄様にお仕えして織田家を猿の手から守る好機!」と考えたとしても無理はありません。

先日もお話した通り、小牧・長久手の戦いは半年以上にも及んでいます。それだけ成政を始めとした他の織田家臣たちの期待は家康にかかっていたことでしょう。信雄はまあアレだから仕方ない。(過去記事:子孫を残した勝ち組(ただし(゜ρ゜*)) 信長の息子・織田信雄死去【その日、歴史が動いた】
その状態で、家康が大敗したわけでもないのに退いた……と聞けば直談判しに行きたくもなろうというものです。

そこで成政は「家康、講和したってよ」(超訳)の知らせを受けると、直接話をするため富山から出立しました。
そして急ぎに急いだ結果、選んだルートが”さらさら越え”だったのです。

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敵のはずの上杉家の手引きがありアルプス山脈はこえてないとの説から埋蔵金伝説まで

とはいえ、成政はこのとき50歳くらいだったといわれているので、いかに日頃鍛えている武士であっても「さらさら越えは無理でしょ」という意見もあります。
上杉家の家臣に手引きをしてもらって越後を通ったと思しき書状もあるため、「北陸から東海へ抜ける別の道を使ったのでは?」ともいわれています。

しかもわけのわからないことに、皆大好き埋蔵金の逸話まであります。さらさら越えの際、成政は配下の武士たちに自分の財産を方々へ隠すように命じたという伝説があるのです。命かかってるのに金の心配か……とツッコミたくなった方もいるかもしれませんが、このときの成政からすれば家康が秀吉に負ければ自分の首どころか家丸ごと危うい状態だったので、「猿にウチの金を取られてたまるか!」と考えたのでしょう。
隠した場所がわからなくなってるんじゃ意味ないやんとか言わない言わない。

”さらさら越え”では成政一行の半数以上が倒れたということで、冬の日本アルプスの厳しさを語る際引き合いに出されることが多いですが、このお金を守るために現地に残った人が多かったのでは?という説もあります。ホントカナー?
どのルートを使ったとしても、旧暦11月の下旬=新暦の年末年始あたりですから、当時の交通事情で厳寒の北陸(しかも山岳地帯)を抜けるのは無謀に近かったでしょうね。上杉謙信だって冬の間は自国に閉じこもらざるをえなかったくらいですし。
ですが、狸にその苦労を語っても通じることはありませんでした。家康にとっても不本意な講和だったわけですし、何とかして猿に対抗する方法を考えているところに「まだ戦えるでしょう!諦めんなよ!!」(超訳)的なことを言われたとしたらそりゃイラッときますよね。

今頃言われても(絵・富永商太)

今頃言われても(絵・富永商太)

成政は渋々家康の下を去り、信雄や滝川一益にも話をしに行きましたが、返事は似たようなものでした。せめて講和になる前に信雄と話をできていればまた変わったのかもしれませんけども……。

成政は情の深い人物であったらしく、部下や領民に関してはいいエピソードがいくつかあるのですが、それだけに政治的感覚は少し足りなかったようです。惜しい。
その辺のお話はまた日を改めてしましょうかね。

長月 七紀・記

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参考:http://ja.m.wikipedia.org/wiki/佐々成政

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