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史上最強のディフェンス力真田幸村さん(絵・富永商太)

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その日、歴史が動いた 真田家 関ヶ原の戦い

関ヶ原で敗者となった真田昌幸・幸村親子が高野山へ出発

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歴史の話というとネタが偏るものですが、それだけ知名度が高くてわかりやすい話が限られるからですよね。
関が原関連など、関係人物が多い上に細かいエピソードをくまなく拾っていけば一年分くらいネタが集まるんじゃないかと思うレベルです。発端と戦後処理まで含まれば割とガチで。
というわけで本日もその例に漏れず、関が原の戦いの後処理に関するお話を致しましょう。
慶長五年(1600年)の12月13日は、真田昌幸・幸村(信繁)親子が高野山へ出立したとされている日です。
いわずもがな、関が原の戦いで負けた(西軍に属していた)からですが、敗将という罪人同然の身にしては、二人の行動に結構差異があるのが面白いところ。
幸村って母親似だったんですかね。この頃にはもうおっさんですが。

絵・富永商太

絵・富永商太

策士よのぉ!わざと女人禁制の高野山に妻を連れて行った?

まずトーチャン・昌幸は、全体的に見ると保身的というか保守的というか、意外に堅実な印象があります。
長男・信之に生活費の調達をお願いしたり、赦免に動いてくれないかと頼んだり、割と現実的です。
「生活の足しにするため真田親子が作っていた」とされる真田紐も、何となく幸村より昌幸が作っていたイメージが強い気がします。
昌幸は既に50代でしたから、当時の寿命からすればもう終盤もいいところ。そりゃ誰だって罪人のまま死にたくはないでしょうし、少々気弱になっていたのかもしれません。
結局赦免の気配がないまま亡くなってしまったことを考えると、哀れなものです。

一方、幸村の方はといえば出立時から「お前、絶対腹に一物持ってただろ」とツッコミたくなる行動をしています。
トーチャンは奥さんを置いていったのに、彼は配流先まで妻子を伴っているのです。普通こういうときって累が及ばないように離縁するなり親族に預けるものですが、幸村はそうしませんでした。

当時高野山は女人禁制だったため、高野山側が幸村の妻の扱いに困り、急遽付近の九度山に配所を変えたと言われています。
監視つきの生活ではありましたが、「ザ・山奥」な高野山より「女人高野」として多くの女性も訪れていた九度山のほうが逃亡に向いていたことは想像に難くありません。もしかすると、幸村も同じように考えて妻を連れて行ったのではないでしょうか。
……ただ単に「うちの奥さんと離れるなんてヤダヤダ><」とか現代のバカップルでもドン引きするような理由でなかったことは確かだと……思いたいです……。

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九度山の由来は空海のお母さんが住んでいた伝承

ちなみに九度山の「九度」とは、かつてこのあたりに空海の母親が住んでいたことに由来するとか。
高野山は前述の通り女人禁制ですから、いかに聖者の母とはいえ立ち入れません。それなら、と少しでも近くに住み、月に九回、空海のほうが山から下りてきて母親に会いに来ていたため、「九度山」と呼ばれるようになったという母子愛溢れる由来とのことで。くうかいがきゅうかい……何でもありません。
それにしても月に九回っていうと、だいたい3~4日に一回の頻度だから相当ですよね。「正確に毎月九回だったんじゃなくて、そのくらいしょっちゅう来てお母さんを気にかけていた例えだよ」という説もありますけども、どっちにしろ世俗の縁を切れてなさすぎな気がするんですが。それとも親は例外なんでしょうか教えてエ□イ人。

真田親子は同時に流されたとはいえ一緒に暮らしていたわけではなく、屋敷は別々だったため、これほど会えたかどうかはわかりません。でも罪人なのにちゃんと家を用意してもらえたあたり、かなりいい扱いですね。監視つきであっても一応外出や国許他との手紙のやり取りもしていましたし。
後々幸村が逃げ出していることを考えると、ちょっと甘すぎる感もあります。まあ、この頃はまだ豊臣政権ですから狸の一存でブッコロスわけにもいきませんでしたしね。首謀者の三成その他は既に処刑していますし、無闇にコロしまくると「なんだ、関が原は家康の私戦だったのか」なんてことにもなりかねません。
豊臣家への建前と世間の風評、そして自分の怒りの収めどころへ見事に折り合いをつけた処置ってことでしょうか。さすが狸真っ黒やで。
戦国武将の中でも人気が高い二人ですので、現代では女性だけでなく男性もたくさん九度山を訪れているようです。
再来年の大河「真田丸」で配流時代がどのくらい扱われるかわかりませんが、少なくとも特集や関連書籍では出てくるでしょうから、また混み合うでしょうね。
中には三連休で大阪城・九度山・上田城を全て訪れたという剛の者もいらっしゃるようですので、そんなツアーが組まれたりするのかも?
静かにゆっくり見たい方は、来年の前半くらいまでが良さそうです。

長月 七紀・記

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「真田幸村が隠遁したと聞いたので、 どんな山深いのかと行ってみたら”大都会”だったでござる」

「真田幸村が幽閉先を脱出、いざ大坂の陣へ【その日、歴史が動いた】」



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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/真田昌幸
http://ja.wikipedia.org/wiki/真田信繁

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