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その日、歴史が動いた 豊臣家

石田三成が、京都で捕縛! キリシタンの『日本二十六聖人』が長崎で処刑される

更新日:

 

慶長元年(1597年)12月19日は、長崎で二十六人の日本人キリシタンが処刑された日です。現在は”日本二十六聖人”として知られていますね。

「神君バンザイ!」な江戸幕府にとって「主の元に人は皆平等」なキリスト教が邪魔なのは何となくわかる方が多いと思うのですが、秀吉の時代はもうちょっと違う理由がありました。
実は当時、キリスト教の宣教師やポルトガルの商人たちは、「アリガタイコトヲ話シテアゲマスヨー」と見せかけて、船で海外に日本人を売り捌くという真っ黒にも程がある商売をしていたのです。要するに奴隷貿易ですね。

これを聞きつけて、秀吉はキリスト教の取締りを始めました。が、奴隷の被害よりも南蛮貿易による利益のほうが大きいと判断していたうちは、そう厳しく罰することもしませんでした。どっちもどっちやな。

編集部注:戦国時代は多くの大名・武将も奴隷売買を(国内外の関係なく)しており、他ならぬ秀吉さん、アンタも・・・という話も

アンタもやろ・・・というポルトガル人の声が聞こえてきそうな秀吉さん/Wikipediaより引用

キリシタンに対して急に方針を変えた秀吉さん。何があったん?/Wikipediaより引用

 

石田三成が京都周辺で捕縛 二十六聖人のうち二十四人が・・・ 

しかし、ある程度時間が経って日本人の中にキリシタンが増えたころ、「ヨーロッパでは征服活動の手始めとしてキリスト教を広める」という噂が秀吉の耳に入ります。

どちらかというとMINAGOROSHIにした後にキリスト教信者が入植したり布教が始まっているような気がしますが、当時は事実を確かめる術がありませんから、秀吉は当然キリスト教そのものが危険であると判断しました。
それまでは「これ以上布教したらお縄な(信仰を捨てろとは言ってない)」だったのを、「キリスト教のキの字もダメ!!しょっぴくぞオラ!」(超訳)という方針に切り替え、まず石田三成に命じて京都周辺のキリシタンを捕縛・処刑するよう指示しました。

このとき捕らえられたのが、”二十六聖人”のうちの二十四人です。日本人の信者は親子または兄弟など血縁者が多く、またスペイン人やポルトガル人、メキシコ人の修道会員も含まれていました。
彼らは京都で左耳を切り落とされた上で市中引き回し(さらし者)にされ、長崎で処刑されることになります。
何でわざわざ長崎まで行かせたかというと、当時の領主だった大村純忠という人が日本初のキリシタン大名になっており、長崎の地をイエズス会(ザビエルのアレ)に寄進していたからです。
見せしめにはもってこいの土地だというわけですね。何て不名誉な。

現代でも評判の悪い石田三成さんですが・・・/Wikipediaより引用

現代でも評判の悪い石田三成さんですが・・・/Wikipediaより引用

 

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「ゴルゴダの丘に似ている」 しかし、処刑方法は微妙に違うという・・・

ちなみにあとの二人は、この道中彼らの世話役になった日本人の宣教師達でした。
彼らのいずれも信仰のために命を奪われることを拒まず、刑場となった西坂の丘について「イエス=キリストが処刑されたゴルゴタの丘に似ている」として喜んだそうです。
似た地形のところで死んだからといってそうそう同じ奇跡は起きないと思うのですが、それは言わないお約束ですかね。

こうして彼らは磔刑に処されました。この処刑法だとやる方の体力もごっそり奪われるので、どちらかというと一番損をしたのは処刑執行人たちかもしれませんね。

詳細を書くと気分が悪くなってしまう方が多いと思うので割愛しますが、何というかその、エグイ処刑法の一つです。
ちなみに西洋と東洋だとやり方が違うので、直接の死因も異なるようです。できるだけグロい表現を避けて説明しますと、西洋式だと窒息死、東洋式だと失血死を起こすようなやり方というのが正しいでしょうか。詳細をお望みの方はウィキペディア先生へどうぞ。
多分聖人たちは「イエス様と同じ刑に処されるなら本望だ」と思っていたとでしょうけども、厳密には違うんですね。

 

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列聖された人を”聖人” 列福された人を”福者”

詳細が伝わっていなかったのか、そういう細かいことを気にしないのか、ルイス・フロイスなど処刑を免れた宣教師達によって、殉教者達の存在は国内よりもヨーロッパで広く知られることになりました。
そして265年後の文久元年(1862年)にときの教皇・ピウス9世によって列聖され、聖人として扱われるようになって現在に至ります。

ついでですので、この「列聖」と、その前段階である「列福」のお話をしておきましょうか。
どちらも「(キリスト教的な意味で)素晴らしい行いをした」とみなされる人が受けるもので、列聖された人を”聖人”、列福された人を”福者”といいます。
当人が亡くなった後に行跡が調査され、何十年何百年もかけて審査された上でこうした扱いを受けるので、どちらかというと本人のためというよりは後世の人間が「昔々、(キリスト教的な意味で)こういう素晴らしい人がいたんですよ」と語り継ぐための制度というのが正しいような気がします。

これは、亡くなった直後だと世間から「いやいやそいつこんな悪いこともしてますよ!」という意見もまま出てくるからという理由があるそうで。
ただし、マザー・テレサやヨハネ・パウロ2世(先々代の教皇)のように、誰の目からも明らかに「この人は素晴らしい」とわかる場合はかなり短縮されるみたいですね。

通常はジャンヌ・ダルクのように死後何百年も経ってから聖人になるケースのほうがおおいのですけれども、多分この二人は聖人として認められるのももっと早いでしょう。

 

洋の東西を問わず不思議な共通項

カトリック以外の宗派では、正教会系統に似たような”聖人”の制度があります。
致命者・克肖者など、その人の生き方や死に様を表した称号がつくのが特徴です。例えば、ロシア最後の皇帝・ニコライ2世一家は”致命者”ですが、これは「(キリスト教的な意味で)正しい信仰を持っていたが、非業の死を遂げた人物」に与えられるとされています。
形容詞的な使われ方のため、複数の称号を持っている聖人も珍しくありません。わかりやすいんだかわかりにくいんだか。

しかし、形は違っても「死んだ後に幸せが待っている」と考える宗教が多いのはナゼなんでしょうね?

現実には幸せがない=死んだ後なら幸せになれるってことなんですかね。眠っている間の夢が必ずしも幸福なものでないのと同様、魂が存在するとしても幸せが手に入るとは限らないと思うのですけども。一般人も死後の復活がホイホイ叶うとしたら、そもそも死ぬ意味がないですし。
それにキリスト教にしろエジプトにしろ「いつか復活するときのために体を取っておこうね」という考え方がある割に、遺体を切り分けたりするのは一体どういうことなんだってばよ。
聖人クラスになると髪の毛一本からでも再生できるってことなんですかね。なにそれこわい。

その点、「妻を追いかけて死者の国に行ったらろくでもない目にあったでござる」(超訳)なギリシア神話や日本神話のリアリティというか夢のなさといったらもうね。
どっちがいいとか悪いとかいう話ではありませんが、単純な洋の東西で考えが分かれているわけでもないですし、興味深いものです。

長崎市西坂の日本二十六聖人記念碑/Wikipediaより引用

長崎市西坂の日本二十六聖人記念碑/Wikipediaより引用

 

長月 七紀・記

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参考:日本二十六聖人/Wikipedia

 

 




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