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その日、歴史が動いた 中国

三国志・曹操の「玉に瑕」 英雄色を好みすぎたばかりに戦争ドッカーン!

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世の中にはデキ過ぎて実在が怪しいというか、「お前はどこの二次元から出てきたんだ」としか言えないような人がいます。ン千年前とか神話の中ならともかく、歴史書にきっちり記載されていれば信じざるを得ませんが。

220年の1月23日に亡くなった三国志の英雄、曹操もその一人でしょう。

「治世の能臣、乱世の奸雄」と言われた通り、有能なことには間違いないものの油断ならない人物として知られています。

そう。彼は基本的にはリアルチートといっていい人なのです。ある巨大すぎる欠点を除けば・・・。

三国志演義の挿絵曹操

三国志演義の挿絵に用いられる曹操/wikipediaより引用

 

女性がらみで戦に大負け それも2度

三国志”演義”ですっかり悪役が定着してしいるため、彼の一生をなぞるとほぼそのまま演義を書くのと同然になってしまいますので、今回は欠点についてピックアップしてみましょう。
それはズバリ「女好き」です。

三国志の時代にこの言い回しがあったかどうかはわかりませんが、古来より「英雄色を好む」と言われますから、別に女性を好きなこと自体が問題なわけではありません。戦乱や疫病、気候の変化その他諸々の理由で大人も子供もいつ死ぬかわからない時代ですし、特に権力者にとっては量産してナンボでしょう。

が、そのために起こした行動は大問題の一言。なぜなら、曹操は少なくとも二回女性がらみで戦に大負けしているからです。

 

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世界史上でも一・二を争う、下らない理由で絶体絶命に 

一つは、曹操が勢力を伸ばし始めた頃の出来事。
とはいっても既に40代だったので、戦に出られる年頃の息子がいました。曹昴(そうこう)といって、曹操はもちろん、育ての母である丁夫人も自慢の息子だったそうです。曹昴の生母は早くに亡くなっていたのですが、丁夫人の教育が良かったのでしょうね。

しかし、あるときの戦で曹操がとある城主の奥さんと密通し、ブチ切れた旦那に襲撃されるという世界史上でも一・二を争う下らない理由で絶体絶命に陥りました。

ここで曹昴、事情を知ってか知らずか、自ら囮になって父親を逃がします。そしてこういうときのお決まり通り、自分の命は失ってしまいました。なんていい子なんだ。あらゆる意味でもったいない。

もちろん曹操は深く反省しましたが、それ以上にショックだったのは丁夫人です。
わが子同然に育て、将来を期待していた子供がこんなくだらない経緯で死んでしまったのですから、その気持ちは推し量るにも余りあるというもの。

この一件の後、彼女は自ら曹操の元を去りました。その後曹操がどんなに懇望しても、よりを戻すことはなかったそうです。当たり前すぎて「男尊女卑」という言葉すらなかったであろう当時の状況を考えれば、これは異例のこと。
しかし、さすがの曹操も100パーセント自分に非があるのはわかっていましたから、手荒なことはしなかったようですね。多分ここで強引に丁夫人を連れ戻していたら、それこそ「女のせいで身を滅ぼしたくせに、まだ煩悩が消えないのか」みたいな評価になってたでしょう。
彼ほどの頭脳の持ち主であれば、世間や後世がどう見るかもわかっていたでしょうから、この辺はさすがというところです。

 

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人妻簒奪のために兵を動かし、孫権・周瑜の怒り新党!

が、曹操は十年程度でこのことをすっかり忘れます。今より寿命が短い時代の50代とはいえ、ボケるにも程があるやろ。

中国に三つの国があったからこの時代の歴史書や物語を三国志というわけですが、そのうちの一つ・現在の中国南東部(上海とかその辺)にあった”呉”という国の美人姉妹のことをきっかけに、またもや戦をするのです。
多少は物語の脚色もあるでしょうが、目的の一つだったことは想像に難くありません。戦利品や部下への褒美が女性だなんて珍しくもないですからね。

三国志”演義”では、絶対に勝てなさそうな曹操軍に対し、このことを聞きつけた呉の主・孫権が怒り、開戦を決意したことになっています。

ちなみにこの美人姉妹、喬家という名家のお嬢さんたちだったので「二喬」と呼ばれました。某無双シリーズでは美少女になっていますが、年齢的にはどちらかといえば映画・レッドクリフのほうが近いかと思われます。あれは妹のほうしか出てませんでしたが。

お姉さんのほうが孫権のお兄さんと、妹のほうはその親友・周喩と結婚していたので、もしこれがガチな話なら、曹操はまたしても人妻のために兵を動かしたことになります。命捨ててまでトーチャン助けた曹昴は泣いていいどころか化けて出ても許されるレベル。
千利休が二重人格になる(予定の)ゲームがあるくらいですから、そういうのもイケるというか皆納得するんじゃないでしょうか。カ○コンさんいかがですかね。

絶世の美女と名高い人妻を奪うため・・・って、どんだけ~!/Wikipediaより引用

その姿は勇ましく描かれているが、絶世の美女と名高い人妻を奪うため・・・って、どんだけ~!/Wikipediaより引用

 

赤壁の戦いはフィクションの可能性が高いが、しかし・・・ 

まあそれはさておき、これがかの有名な「赤壁の戦い」です。

三国志ものでは必ず出てくるので結果をご存知の方も多いと思うのですが、火計によってものの見事に曹操軍が惨敗した……といわれています。
というのも、この戦に関しては史書の三国志(ノンフィクション……のはず)にあまり記載がなく、肝心なことがよくわからないのです。赤壁の戦いに関してよく知られていることはほとんど”演義”に書かれている話で、つまりフィクションの可能性が高いんですね。

正史のほうでも書いてある箇所によって記述の仕方が異なっているので、はたしてどのくらいの規模の戦いで、具体的な戦場がどこだったのかはハテナ状態です。
美人のためだけに兵を動かしたわけではないでしょうし、どちらにしろ曹操は呉と戦うつもりでいたでしょうから、全くの嘘っぱちではなさそうですが……なんだか三方ヶ原の戦い(過去記事:家康が若気の至りでunko漏らして惨敗 三方ヶ原の戦い【その日、歴史が動いた】)と似たニオイがすると感じるのはワタクシだけでしょうか。

その後も曹操は勢力を伸ばし続け、息子・曹丕が魏という王朝を作る土台となりました。

よく「魏の初代皇帝は曹操」みたいな感じになってますが、厳密に言えば彼の時代はまだ(後)漢王朝であって皇帝になってはいなかったんですね。それでもあっちこっちで戦をしつつ、詩作もし、一大勢力圏を築いた点においてはやはり英雄というところです。

「玉に瑕(きず)」「瑕瑾(かきん)」という言葉がこれほど似合う人もいないのではないでしょうかねえ。

 

長月 七紀・記

TOP画像:曹操/wikipedia

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参考:曹操/wikipedia

 

 




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