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イギリス その日、歴史が動いた

『不思議の国のアリス』著者ルイス・キャロル 作品がヒットしても教師をヤメなかった

更新日:

 

子供や小さい生き物を可愛いと思うのは、恐らく人類共通の感覚でしょう。

嫌いな人もいるので絶対ではないですし、最近では良からぬことをしでかす輩が増えたせいで、あまり良い意味に受け取られないことも出てきてしまいましたが。
特にヨーロッパだと、ガチでその手の話が大昔からあったりするので仕方のないことなのかもしれません。しか、しそういわれている人の中には「いやいや冤罪でしょソレ」という例もあったりして。

1832年(日本では江戸時代の天保三年)の1月17日、ルイス・キャロルが誕生しました。「不思議の国のアリス」の作者として有名な小説家ですね。

ルイス・キャロル/Wikipediaより引用

ルイス・キャロル/Wikipediaより引用

 

本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン

ルイス・キャロルって、個人的にとても綺麗な響きの名前だなあと思っているのですが、実はこれ、ペンネーム。本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンといいます。

ヨーロッパでは同じ意味の名前を各国語に直すと全く違うものになることがありますが、彼はこれを利用して本名をラテン語風に書き直し、さらにアナグラムしてペンネームにしたのだそうです。
つづりはCharles Lutwidge(英語)→Carolus Ludovicus(ラテン語)→Lewis Carroll(アナグラム後)で、よくもまあこんなうまくハマったものですね。

ちなみにチャールズはフランス語だとシャルル、ドイツ語だとカール。同様にラトウィッジはルイ、ルートヴィッヒと同じ意味になります。どれも王様の名前でよく出てきますよね。原義が同じ名前使うんならもっと仲良くしろよと。

日本はどうなんだって? いやーウチの国とお隣では同じ文字でも意味が違うことが多いですしおすし。

本名だと「誰?」って感じがしてくるので、以下彼のことはペンネームのほうで呼ばせていただきますね。彼の作品についてはご存知の方が多いでしょうから、今回は人柄のほうを探っていこうと思います。

 

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ラグビーの名門校からオックスフォード大学へ

ルイス・キャロルは、イギリス国教会の聖職者の家に生まれました。
11人兄弟という大家族で、当時にしては珍しく全員が成人したそうです。代々軍人か聖職者になっていた家だったので、栄養状態とか体質が良かったんでしょうかね。

小さい頃は父親の方針で学校には行かず、本で勉強していました。しかし7歳の頃にはかなり難しい本も読んでいたらしいので、元々頭の良い人だったようです。
家族で引っ越した後はまず私立の小さな学校に入り、その後名門として有名なラグビー校にも行っています。ラグビーの発祥になったといわれているところですが、このスポーツが生まれる前からイギリス最古の学校として知られていました。

その後これまた名門であるクライスト・チャーチ・カレッジ(オックスフォード大学を構成する大学のひとつ)に行っています。ここは母校というだけでなく、卒業した後教員として26年間いたので、彼にとって最も深く関わった学校でした。

 

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残された写真のうち何枚かに少女が映っていたため・・・

ルイス・キャロルは□リコンというイヤな風説でも知られていますが、その話の出所となったのは教職についてからのことでした。
その頃友人とカメラを買い、写真を趣味にし始めたのです。そして現在残っている彼の写真の何分の一かが少女の写真だということで、口さがない人々が「やーい□リコン□リコンwww」と言い始めたのでした。短絡的だなあ。
が、ルイス・キャロルは少女達に暴力その他マズイ言動をしたことはないと思われます。コスプレをさせた写真や、今だったらお縄になってしまいそうな写真もなくはないですが、モデルとなった少女達のほとんどと成長した後も付き合いがあったのです。
本当に□リコンだったとしたら、多分そんなことはしませんよね。

ツイッターか何かで「幼女に危害を加えるなど言語道断。おやつをあげてから五時まで一緒にテレビを見て、きちんと家に送り届けるのが真の□リコン」というよくわからん理屈を見かけたことがあるのですが、彼こそまさにそんな感じだったと思われます。これが英国紳士か。

アリスのモデルになったアリス・リデル/Wikipediaより引用

アリスのモデルになったアリス・リデル/Wikipediaより引用

 

大英帝国の全盛時 子どもは貴重な労働力だった

これはまた例によって私見なのですが、彼が子供に着目して小説や写真を生み出したのは、もしかすると当時の世相とも関係しているかもしれません。
ルイス・キャロルが生きていた頃のイギリスはヴィクトリア女王の時代。いわゆる”大英帝国”の全盛期なわけですが、それは多くの下級労働者に支えられていました。そして足りない人手を補うため、あるいは大人には入っていけないような狭い場所での仕事をさせるため、決して少なくない数の児童労働者がいたのです。

以前、富岡製糸場の記事(過去記事:元祖ブラック企業富岡製糸場は冤罪か?【その日、歴史が動いた】)でも引き合いに出しましたが、これがまあ劣悪という言葉では間に合わないほどのひどさでした。どのくらいひどいかというと、この時代のイギリス労働者の平均年齢は、日本の縄文時代と同等で十代半ば程度。

なんでそんなことになったかというと、煙突掃除の途中なのに暖炉を焚かれてしまって亡くなる事故や、過労で若くして命を落とす子供、生き延びても指や体の一部を失うということがごくごく当然のようにあったからです。

 

身近な子どもたちが少しでも楽しめれば・・・って考え過ぎ?

年端も行かない子供は、本来、仕事をする前に遊びや学問、友達や家族との人間関係などによっていろいろなことを学び取っていくべきですよね。
キャロルはこうした児童労働者を見て、「純粋な心を持っているのに、命が危うくなるようなことをさせられるなんて」と思ったのではないでしょうか。
成功した作家といえど、一教員の身では援助したくてもできなかったでしょうし、せめて創作の世界や身近な子供達に対して、ひとときの遊びや楽しみを与えたかったんじゃないか……と思うのは、ちょっとロマンが過ぎますかね。

でも、上記の通り子供に対してよこしまな気持ちがあったわけではないのですから、そういうことを考えたことも多少はあったんじゃないでしょうか。

作家として成功した後も教職を辞めなかったのは、少しでも子供達に何かを与えたかったからなのかもしれません。
同じ時代に生きている人の頭の中でさえ完全には理解できませんから、あくまで私見ですけれども。ガチで大切なことなので二回書きました。

アリスのモデルとなったアリス・リデルなど、「子供の友達」と呼んだ人々とは生涯良い関係を築けていたようで、アリスは後々「キャロルの作品に貢献した」ということでアメリカの大学から名誉博士号を受けています。
もしキャロルが本当にアレな趣味の人で、いろいろやらかしていたとしたらきっと彼女は受け取らなかったでしょう。

こうしたことからも、彼が決してその手の犯罪紛いな趣味を持っていたわけではないといっていいのではないでしょうか。
まあ、真実は神ならぬ彼のみぞ知る、というところですけれども。

長月 七紀・記

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参考:ルイス・キャロル/Wikipedia

 

 




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