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赤の方が強く感じてしまうのは私だけでしょうか?/Wikipediaより引用

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イギリス その日、歴史が動いた

ブラッディ・マリーの語源となったイングランド女王メアリー1世はなにをした

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自分のせいではないのに、どうしようもない逆境に立たされるときってありますよね。
生まれのせいだったり単なる偶然だったり、まあ理由はいろいろありますが、それが周辺人物の気まぐれによるものだったりするともう、やるせないどころの話ではありません。
となれば前途に希望を持てず自ら命を絶つか、逆に周囲に対して攻撃的になるかのどちらかになることがほとんどです。
今回は後者のほうだったと思われる、とある女王のお話を致しましょう。

1516年(日本では戦国時代・永正十三年)2月18日、後にイングランド女王となるメアリー1世が誕生しました。
この時代、イングランドやスコットランドでやたらと”メアリー”という名前が出てくるのでややこしいですが、カクテルの”ブラッディ・マリー”の語源になった人と覚えるとわかりやすいかと。それに加えてエリザベス1世の異母姉ですしね。

カクテルのブラッディマリー(Wikipediaより)

こんなことを初っ端に書くと「元からとんでもねー人だったのかよ」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、どちらかというと不幸せな生まれ育ちの結果が”ブラッディ”という気がします。
では、彼女の一生を見ていきましょう。

メアリー1世(Wikipediaより)

メアリー1世(Wikipediaより)

離婚したくて新しいキリスト教宗派(イギリス国教会)を作った父を持ち

メアリー1世の父親は、奥さんが多かったというか再婚しまくったことで有名なヘンリー8世です。
そして母親は、ヘンリー8世の最初の王妃だったキャサリン・オブ・アラゴン。キャサリンはスペインの王女で、当初ヘンリー7世の後妻でした。が、先に旦那さんが亡くなったため、その弟であるヘンリー8世に再び嫁いだという結構スゴイ来歴の人です。

やる気満々のヘンリー8世(Wikipediaより)

当初は仲の良い夫婦だったそうですが、世継ぎとなる男の子がなかなか生まれず、最後に生まれたのがメアリーでした。
そのときは「イングランドでは女王は禁じられていない」としてヘンリー8世もノリノリだったのですが、王妃には失望し、「愛妾のアン・ブーリンを妃にするから、お前との結婚は無効だったことにする!」というサイテーなことを言い出します。

この辺ちょっとややこしいですが、当時のイングランドはカトリックだったので、”離婚”はできませんでした。が、「結婚そのものが無効だった」という屁理屈をこねて別れることはできたので、ヘンリー8世はそれを利用しようとしたのです。
が、当時の教皇や他の国の王様が納得せず、ヘンリー8世は「じゃあカトリックやめるわ。これからのイングランドはオレがトップの教会でやっていくから!」と開き直り、英国国教会の原型ができました。

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両親の「離婚」で王女からその他大勢に転落 「妹」エリザベスの侍女に!

こうして結婚を否定されたことにより、キャサリンは王妃の座を追われ、メアリーも王女から庶子に身分を落とされてしまいます。そしてアン・ブーリンが新しい王妃になり、その娘エリザベスが王女になったことで彼女達の運命はこじれていくのでした。

「王妃」の座を一度はゲットしたアン・ブーリンさんでしたがのちに処刑(Wikipediaより)

というのも、メアリーは王女の位を剥奪されたとき、既に分別のつく年齢になっていました。そのためアンが「妹を新たな王女として認め、臣従するように」と命じても拒否します。公的な身分は奪われても、心は王女のままだったのでしょう。
そのため激怒したアンにエリザベスの侍女にされてしまい、ますます事態が悪化したのです。
メアリーに誰かよその王子様を迎えさせて、その人を王様にするというよくあるテを使えば丸く収まってたと思うんですけどねえ。ヘンリー8世が嫡出の男子に固執したので仕方がありません。
その後もヘンリー8世は男子を求めて妃を次々と処刑・追放しては換えていったのですが、最後に妃となったキャサリン・パーという女性がメアリーとエリザベスを救います。ちなみにエリザベスもアン・ブーリンが王妃ではなくなった(というか処刑された)ときに王女の位を奪われていました。ホントこのトーチャンサイテーやな。

即位前のメアリー(Wikipediaより)

キャサリン・パーはとても賢く慈悲深い女性で、メアリーとは歳も近く、姉妹にとって初めて”母の優しさ”を与えてくれた人でした。彼女はメアリーたち姉妹の名誉を回復し、公務を手伝わせたりと遅まきながら王族としての自覚を持たせていきます。
王位継承権も与えてくれました。カーチャン(義理だけど)ありがとう。

ヘンリー6番目の王妃キャサリンパー(Wikipediaより)

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ようやく「女王」に、カトリックに復帰。そして血塗れのメアリーへの道

この間ヘンリー8世に男の子が生まれ、エドワード6世となって一時王様になりますが、この人は病弱だったので15歳で夭折してしまいます。
その次に王位継承権はメアリーのほうが優先だったため、彼女が即位してメアリー1世になりました。
ここからメアリーは”ブラッディ”の語源になる行動を取ります。

上記の通り、ヘンリー8世は離婚したいがためだけに宗教を変えたので、当然イングランドにはまだまだカトリックの人もいました。そしてメアリー1世もまた敬虔なカトリック教徒でした。
そのため彼女は、イングランドを再びカトリックに戻そうと画策します。躍起になったばかりにプロテスタントを何百人も処刑してしまい、その様から”血塗れメアリー”と呼ばれるようになったのです。
カクテルのほうがトマトジュースを使ってるからって、別にベジタリアンだったわけではありません。そもそもこの時代のイングランドというかヨーロッパにトマトはなかった(あっても観賞用だった)ですしね。

さらに母親がスペイン王女であったこと、カトリック国であったことから、ずっと年上の従兄だったスペイン王子との結婚を選び、その結果スペインとフランスの戦争にイングランドごと巻き込まれてしまいました。

結婚したスペイン王子(Wikipediaより)

もちろんタダでは済まず、百年戦争のとき唯一大陸側の領土として残っていたカレー(ライスじゃなくて港。現在は英仏海峡トンネルのフランス側出入り口がある街)も手放すことに……。

その上子供が出来たと思ったら婦人科系の病気だったらしく、42歳で亡くなってしまいます。そのためメアリー1世は長い間”国内を引っ掻き回しただけで終わった圧政者”として評判が悪い王様の一人でした。
しかし、最終的には嫌々ながらもエリザベス1世を後継者として認めていますし、最近では長生きしていればイングランドは本当にカトリック国に復帰していただろうとも言われており、再評価がされつつあるようです。

メアリーとだんなのフィリップ(Wikipediaより)

そもそも諸悪の根源はトーチャンが手のひらひっくり返したことですから、メアリーのやったことが完全にトンチンカンかというと「それはちょっと違うんでないの(´・ω・`)」という気がするんですよねえ。
プロテスタントの迫害だって、ある意味父親への反抗ですし。民衆には大迷惑以外の何物でもないですけども。

「あの子みたいにしなさい!」と言った同じ口で「うちはうち、よそはよそ」と言う親御さんはとても多いですが、それ、もしかしたらとんでもない種を蒔いているかもしれませんよ……なんて真冬の怪談風味で終わってみるテスト。

長月 七紀・記

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参考:wikipedia.org/メアリー1世

メアリー1世とフィリップの紋章(Wikipediaより)




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