ヨハネス・ブラームス

ヨハネス・ブラームス/wikipediaより引用

音楽家

ドイツ音楽三大Bの一人ヨハネス・ブラームスはやっぱり変わり者?

1897年(日本では明治三十年)4月3日、音楽家のヨハネス・ブラームスが亡くなりました。

ブラームスで一番有名な曲は「ハンガリー舞曲第5番」ですかね。

 

日本でも度々CMで使われているので、おそらく聞いてみれば「あ、この曲か」と思う方が多いのではないでしょうか。

個人的には裂けるチーズが思い浮かびます。

・バッハ
・ベートーベン
と並ぶ「ドイツ音楽三大B」の一人でもあります。

つまり音楽史にとってなくてはならない人なわけですが、芸術家のお約束通り、人格まで素晴らしいというわけではなかったようで……。

ブラームスが巨匠と言われるまでの流れを見ていきましょう。

 

民族音楽の要素を取り入れ才能が花開いていった

ブラームスは、ドイツのハンブルクという町で音楽家の家に生まれました。

ハンバーグの語源としても有名ですかね。

起源は、モンゴルの生肉料理・タルタルステーキに火を通したのが始まりだそうで、へぇへぇへぇ。

ブラームスがハンバーグを好きだったかどうかはわかりませんが、若い頃はピアニストとしてレストランなどで演奏をしてお金を稼いでいたそうなので、おそらく食べたり見たりする機会は多かったでしょう。

しかし、より上手なピアニストが現れると「演奏は上手い奴らに任せて、作曲に専念しよう」と決意。

その活動に没頭していきます。ただ……。

完璧主義に近かった彼は、曲を書いては捨て、捨てては書いての繰り返しだったようで、若い頃の作品は全く残っていません。

転機が訪れたのは、ハンガリー人のヴァイオリニストと演奏旅行に行ったときのことです。

この旅でジプシー音楽に触れたブラームスは大きな衝撃を受け、民族音楽の要素を作品に取り入れていきました。

ジプシーとは定住地を持たない、つまり旅から旅を続けて生活している人たちのこと。

なぜか現代日本では放送禁止用語らしいですが、代替用語である「ロマ」だと一民族の名前になってしまうらしいので、それはそれで問題があるような……。

 

大切な弟子に向かって「君には才能が必要だな」

ブラームスはこの演奏旅行中にフランツ・リストやロベルト・シューマンといった、同時代の巨匠の元も訪問しています。

特にシューマンの前で自分の曲を演奏してみせたところ、大いに気に入られ、評論まで書いてもらえました。ほぼ初対面の人にそこまでさせるほどの魅力ってスゴイ。

シューマンの妻でピアニストのクララとも親しくなったようですが、男女の関係になったかどうかはビミョーなところだそうで。一回りくらい年が違いますしね。ありえなくはないですけども。

しかし、ブラームスは人付き合いが苦手というか、本心を素直に語るのが苦手だったようなので、そういう人が親しく付き合えたということは、何かしら特別な相手だったとみていいでしょうね。

なんせ、一度婚約した相手に

「結婚とかやっぱ無理(´・ω・`)」(意訳)

と断ったり。

作品についてコメントを頼まれても

「やだ(´・ω・`)」(※イメージです)

といった感じで、あまり素直とはいえないタイプの人だったようです。

他にも唯一の弟子であるグスタフ・イェナーに向かって「君には才能が必要だな」と言ったりもしたそうです。

要するに「才能がない」と言っているも同然ですから、イェナーはこれをかなり気にして落ち込みました。

さすがに言い過ぎたと思ったらしく、ブラームスも後々「私に褒められようと思うんじゃない。このくらいのことでくじけていたら、君の全てが台無しになってしまうよ」と、励ましてるんだか突き放してるんだかよくわからんフォローを入れたようです。

イェナーが経済的に困っているのを見て、音楽大学に職を斡旋したりしました。

 

「美しく青きドナウ」のヨハン・シュトラウス2世と交流

優しくないワケじゃない。

されど思わず言葉が出てしまう――不器用なタイプだったんですね。

短気な人だったらきっと「付き合いきれない」と思ってブラームスから離れていったでしょう。

しかし、クララのようにずっと年上の人や、イェナーのように元々彼を尊敬している人だったらこの難儀な性格を理解しようと務めたのかもしれません。

イェナーは別の町から「うちで働いてよ。今のとこよりずっといい待遇にしてあげるよ」と言われても、ブラームスから紹介してもらった大学を離れることはなかったそうです。ナイスな師弟愛どすなぁ。

他にもアントニン・ドヴォルザークなど下の世代の音楽家を支援したり、近所の子供達と散歩をしながら飴をあげたり、年下には基本的に優しかったようです。

ちなみに、唯一同世代・同業者で仲が良かったのはヨハン・シュトラウス2世(「美しく青きドナウ」の人)でした。どこかの家か公園のテラスらしきところでブラームスと一緒に写っている写真が残っています。

ヨハンシュトラウスとブラームス

ヨハン・シュトラウス2世とブラームス/Wikipediaより引用

余程仲が良いか、仕事中のワンシーンでもなければツーショットなんて撮りませんものね。

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