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フアナ女王

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その日、歴史が動いた 欧州 女性

明君か狂女か……愛に満ちたスペイン女王フアナの一生

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身分が高ければ高いほど、そして時代が離れれば離れるほど、噂話には尾ひれがつきやすいものです。
そういう意味で最も被害者になることが多いのは、言わずもがな各国の王族や貴族達ですよね。もちろん例外もありますが。
特に小説や映画などで一度大きく取り上げられると、最早挽回不可能なレベルにまで貶められてしまうことも多々あります。あるいは地元で「これが定説」というものが長く語り継がれてしまったりとか。
日本でも松平忠直などの例がありますが、今回はヨーロッパにおけるそうした一例をご紹介しましょう。

1555年(日本では戦国時代・弘治元年)4月12日、現在のスペインにあったカスティーリャという国の女王・フアナが亡くなりました。

既に地名の時点でややこしい話になりかけているので、まずはそのへんを掴むところから始めましょうか。
スペインの歴史をものすごく大雑把にいうとこんな感じになります。

1、ローマ帝国の支配下になる

2、ローマ帝国滅亡後イスラム勢力圏になる

3、キリスト教徒が頑張って領地を取り返す(レコンキスタ)

4、レコンキスタ中にいくつかできていた国がまとまってスペイン王国ができる ←今日このへん

5、大航海時代に中南米の帝国を滅ぼしてウハウハ

6、イギリス・フランス・アメリカとの戦争で経済\(^o^)/

7、国家丸ごと貧乏になったおかげで二回の世界大戦で中立を保つ

8、現在へ続く

 

スペインのもととなったカスティーリャ王国

かすティーリヤ王国(Wikipediaより)

カスティーリャというのは、上記の4のあたりでスペインの中心となった国の一つです。ここの女王様がフアナの母親・イサベル1世でした。
また、イサベル1世の夫フェルナンドがもう一つの雄であるアラゴン王国の王様になり、カスティーリャと同君連合になったことでスペイン王国の基礎ができたというわけです。
フアナはその年に生まれており、他にも兄弟が何人もいますので、両親共に多忙でありながら仲が良かったことが伺えます。カトリック信仰の強い土地ですから、「かぞくだいじに」という意識は強かったでしょうしね。

 

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イケメンとして有名な王子さまと結婚

おそらくフアナもそんな両親を見て、将来の夫を大切にしようと思いながら育ったと思われます。
17歳のとき、フランス貴族とハプスブルク家の血を引くフィリップと結婚し、彼の地元だったフランドル(現在のベルギー)に移りました。
「美公」として有名だったフィリップをフアナは深く愛し、政略結婚ではありましたが良い夫婦になった……といいたいところなのですが、そういいきれないのが哀しいところです。
なぜかというと、フィリップは美男子であることを鼻にかけてかかけずにか、とんでもない浮気性だったのでした。
同じカトリック圏なのに何なんでしょうねこの差は。

美男美女のカップルでした(Wikipediaより)

 

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「娼婦を海に投げ捨てろ!」「やめなさい!」かっけー

当然のことながら、夫の女遊びは妻を苦しめます。しかし、この時点ではまだフアナの行動には異常が見られなかったようです。
それを示すものとして、一時フランドルからカスティーリャに戻ることになったときの話があります。
現在の地名でいえばベルギーからスペインへの移動ですから、徒歩ではなく船でいくことになりました。
しかし、ドーバー海峡で嵐に遭ってしまったため、水夫たちが積荷や余計なものを海に流そうとします。その「余計なもの」の中には、船旅の慰めとして同乗していた娼婦達が含まれていました。
いかに女性の扱いが非道だったかがわかろうというものです。

しかし、フアナはこれに対し真っ向から反対しました。
「彼女達を積荷のように足手まといだというなら、そんなものを乗せた人間も、彼女達を利用した者も同じではありませんか? フィリップ殿下も同じですよ」(意訳)と言ったのです。
結局娼婦達が助かったのかどうかまでは記録されていないのでわからないのですが、「自分の命も危うい中で、娼婦という女性の中でも最も低い位置にいた人のことを気遣える」というのは、相当の頭脳と優しさ、そして度胸がなければできないことでしょう。
この話を知っているかいないかで、フアナに対する印象は大分変わる気がします。

 

女王になるも愛する夫の暴走に…

それはカスティーリャ女王を継いでからの行動からもうかがえます。
何を勘違いしたか、フィリップが「俺は女王の夫なんだから俺も王様! これからはフェリペ1世と呼べ!!」と言い出しました。しかし、議会や貴族たちはあくまで「女王の夫」、つまり彼個人を王様としては扱いませんでした。当然、フアナも夫をタダで王様にしようとなんて思いません。
彼女は「カスティーリャの王は私だけです!」という態度を貫き、夫とは逆に貴族達の支持を取り付けました。
これに焦れてか、フィリップはさらに暴走を始めます。
フアナの両親と敵対していたフランスに接近したり、地元・フランドルの貴族に勝手に土地をやってしまったりと、後世から見ても「お前は何をやっているんだ」としか言いようのない愚行を繰り返しました。
当然ながらフアナからも貴族達からもますます反発され、「フェリペ1世」からは遠のいていくのですが、本人は全く気付いていなかったようです。顔と中身の両立は難しいですねえ。そしてある日、生水に中ってあっさり死んでしまいました。
それまでの評判があまりにもアレだったので、毒殺説もあります。そりゃそうだ。

 

だめんずな夫が死亡しておかしくなる?

王としては真っ向から対立していても、妻としてはフィリップを愛していたフアナは、これによって完全に正気を失った……というのが、彼女を「狂女」と呼ぶ所以だといわれています。
伝承上では「フィリップの棺を連れて何年も国中をさまよった」と言われており、このイメージが定着して恐ろしい女性と描かれるようになってしまいました。

狂女フアナ(Wikipediaより)

でも、仮にも女王という立場の人がそんなに長い間宮廷の外をほっつき歩けるものでしょうかね?
このときフアナの父・フェルナンドは引退していたもののまだ存命で、「女王発狂」の知らせを受けて摂政になっているのです。その二年後にフアナを幽閉したのもフェルナンドでした。
ですから、「夫の棺を埋葬させなかった」のはありえるとしても、「国中をさまよった」というのは眉唾モノなんじゃないですかね。

 

父親によって幽閉 もしかしてスペイン版の大塚家具?

さらに、フアナは幽閉後も公式には退位せず、四十年後に亡くなるまで女王であり続けました。もちろん実権はなくなっていましたが、退位を勧められても頑として拒み続けたといわれています。
実際には息子のカールが「共同統治者」として国を動かしていたので、このことによる問題はなかったようです。

それに、もし本当にフアナが正気を失っていたとしたら、四十年もそのままにしておくでしょうかね?
カールとの親子仲がどのくらい親密だったかは不明ですが、彼の意向によっては事故や病気を装って暗殺することだってできたでしょうし。
それでも生かしていたのは、「政治的なことを任せるのは無理だろうが、せめて生きていてほしい」と思ったからだったんじゃないでしょうか。
フアナの幽閉中の生活については「自分の意志や習慣を理解しない人間とはうまくやれなかったが、そういうことがわかる相手であれば女王らしい振る舞いをしていた」ともいわれています。
ある意味ワガママとも言えますけれど、現代の感覚で言えば「昭和の頑固親父」みたいな感じだったんじゃないですかね。「飯」「風呂」「寝る」……とは言わなかったでしょうが。
そこに女性特有の「私の気持ちややり方をわかってよ!!」という思考が加わったとしたら、周囲からはヒステリックに見えるような言動になるのもわかる気がします。その場には居合わせたくないですけども。

本当に正しいことはやはりタイムマシンで見に行かないとわかりませんけども、少なくとも「狂女」という外からつけたレッテルだけでフアナを「暗く恐ろしい女性」と決め付けて、悪いところしか見ないのはおかしな話ではないかな、と思います。
本人の日記とか手紙が出てくれば一番なんですけどねー。

長月 七紀・記

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参考:フアナ(Wikipedia)

 




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