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その日、歴史が動いた 徳川家

初代京都所司代の板倉勝重 アラフォーからの武士デビューだった!

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日本史上人気がある時代というと、やはり戦国時代や幕末ですよね。
世の中の流れが大きい分有能な人がたくさん出てきますし、そういった人達はエピソードにも事欠きませんし。

しかし、あまり有名でなくても優秀な人というのもたくさんいます。そしてよくよく調べてみると、「なんだイイ人じゃん」とか「その発想はなかった」といった面白さがあったりもしますよね。
本日はそのお一人、前半生と後半生で全く違う道を歩みながらもイイ仕事をしたとある奉行のお話です。

寛永元年(1624年)の4月29日、初代京都所司代・板倉勝重が亡くなりました。

大事な役目の初代ですから当然教科書に載っているかと思ったんですが、少なくともワタクシの手元にあるピー年前の日本史Bには載ってませんでした。紙面に限りがあるから仕方ないですね。

「地味な仕事だったから載らなかったんだろw」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は結構イイ仕事をしていた人です。地味だけど。

 

36歳まで僧侶として暮らしていたのに突然……

実はこの方、当初は武士ではありませんでした。生まれは松平家に仕える武家でしたが、次男だったため幼い頃にお寺へ入っており、36歳まで僧侶として暮らしていたのです。
が、父や兄、さらに弟といった実家の男性が軒並み戦死してしまったため、家康の命で実家に戻り家を継ぐことになりました。ない話ではありませんが、よく適応できたものですね。

やはり乱暴なことには向かなかったのか、それも家康の意向だったのか、戦場には出ず内政で力を発揮していきます。

実家に戻ってきたのが本能寺の変の前年(天正九年=1581年)でしたから、家康があまり大きな戦をしていなかった時期だったというのも関係しているかもしれません。

地道な努力がやがて実を結び、勝重は少しずつ領地を与えられて出世。関が原の翌年(慶長六年=1602年)、加増と同時に京都町奉行(京都所司代の前身)に任命されました。

この時期に家光の乳母を公募し、春日局を抜擢したともいわれていますね。

 

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名裁きぶりが「板倉政要」という本にまとまっている

正式に江戸幕府ができたときには官位を、数年後には1万石以上の領地をもらって見事大名になりました。
奉行としてはなかなか公正な人物で、名裁きぶりが「板倉政要」という本にまとめられています。ただし、明の書物から翻訳されて勝重や重宗の功績にされた部分もあるようです。

また、さらに「板倉政要」の中から大岡忠相(大岡越前)の功績にされた逸話もあります。
これは功績をパクった・パクられたというよりは、後世もしくは同時代の人々が「この人はこんなにいいお奉行様だったんですよ!」と考えていた証左でしょうね。

そんな中、勝重が行ったことがほぼ確実視されている制作の一つが「猫放し飼い令」です。
当時の京都ではネズミによる米の食害その他諸々がひどく、皆悩んでいました。市内がそんな感じだったということは、おそらく宮中や公家の屋敷でも似たようなものだったでしょう。とはいえネズミのすばしっこさに人間が太刀打ちできるわけもなし。
そこで「猫を放してネズミを捕らせればいい」と言ったのが勝重だったのです。「猫を放し飼いにしない者は罰する」という珍妙な文章だったそうですが、効果はバツグン。慶長七年(1602年)にこのお触れを出していますので、就任直後のお手柄といったところでしょうか。

 

猿楽の興行中、粗相をした客にブチ切れて抜刀!?

勝重はなんだかんだ言って戦国の武士でもありますから、温厚なだけの人ではなかったようです。
大阪の役については推進派だったり、禁中並公家諸法度が出たときには指導・監視を強化。「やるときはやる」タイプだったんでしょう。

出典がはっきりしない逸話の中には「京都の御所で猿楽(能)の興行があり、招待客の一人が粗相をして刃傷沙汰を起こした際、いきなりキレて刀を抜いた」なんてのもありますし。血=穢れなのでキレた理由がわからないでもないのですが、三河武士KOEEEEEE!
ちなみにそのときは部下が間に入って何とか穏便に収まったそうです。よかったよかった。

そんな感じで血気盛んな面もあった勝重でしたが、さすがに寄る年波には勝てず、75歳で息子・重宗に京都所司代を譲り隠居しました。亡くなったのが4年後なので、当時の寿命や「ギリギリまで現役だった」とみると、結構タフな人だったのかもしれませんね。

若い頃はお寺暮らしで質素な生活だったでしょうから、頑健にできていたのでしょうか。
「板倉政要」には息子・重宗についての話も多く記録されています。以前取り上げた後光明天皇に諫言してやり込められた人ですね(その辺の話はこちら→過去記事:武家を相手に一歩も引かずの後光明天皇 江戸時代の剛毅なエピソードにホレボレ【その日、歴史が動いた】)。
彼もまた優れた奉行だったという話があるので、いずれまた取り扱いたいと思います。

親子共に地味ではありますけれど、知恵の使い方というか心の広さというか、そういうものは現代人も大いに手本としたいところですね。できれば政治家先生方やお役人の皆様に(ボソッ)

長月 七紀・記



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参考:板倉勝重/Wikipedia 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ

 

 

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