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やっぱり天才!? 織田信長の生涯とは

その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和

相田みつをがブレイクしたのは60歳だもの……いったいご本人の人生はどんなもんだったんでしょう?

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古今東西の有名人って、名前は慣れ親しんでいるけれども、よくよく考えてみるとその人となりなどを知らないことって結構ありますよね。
「ずっと昔から有名だと思っていたら、案外最近の人だった」とか、「評価されたのは本人が亡くなってから」だとか。本日もそのうちに入りそうな方のお話です。

大正十三年(1924年)5月20日は、「にんげんだもの」などの詩で有名な相田みつをが誕生した日です。

亡くなられたのが平成五年(1991年)ですから、割と最近の方なんですよね。といっても二十年以上前ですけども。時の流れは速いものですね(震え声)。

芸術家によくあることで、作品は知っていてもご本人の生涯は知らないという方がおおいのではないでしょうか。
著作権の関係もありますので、本日は作品ではなく、ご本人にスポットを当てて見て行きましょう。

 

国旗にイタズラ書きして進学できなくなってしまう

相田は栃木県足利市のお寺の近くに生まれ、学生時代は真面目に勉学や書道・短歌・絵画などに取り組んでいました。

六人兄弟の三男で、上の二人は兄。両親の仲が悪く(その割に6人も子供がいるのは解せませんが)、経済的にも余裕がなかったため、二人の兄が働いて学費を出してくれたのだそうです。そりゃ真面目に勉強しますよね。

が、相田は当時の必須科目だった軍事教練の教官に嫌われて、進学できなくなってしまいました。何でも「国旗に人気女優の名前をいたずら書きした」ことが「けしからん!」ということだったそうです。このときは筆を貸しただけだったそうですが、目をつけられた後は身に覚えのないいたずらの犯人として、教官にコロされそうになったこともあるとか。

不届きなことに、その教官は「俺に逆らうのは天皇陛下に逆らうのと同じ」と言っていたそうで。みだりに御名を出すことのほうがよっぽど失礼でないのかい(´・ω・`)

 

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曹洞宗の僧侶に師事し、自らを「在野の僧侶」と称す

しかし相田はめげずに学び、旧制栃木県立足利中学校(現・栃木県立足利高等学校)を卒業した後、山下陸奥という歌人に指示して短歌の道に入りました。
師匠を通して歌会にも参加するようになり、1942年には歌会で武井哲応という曹洞宗の僧侶と知り合い、大きく影響を受けていきます。
後年の相田は自分のことを「在野の僧侶」と言っていたそうなので、武井からの薫陶を大いに受けていたのでしょうね。

そして昭和十八年(1943年)からは書の道で生きていくことを考え、そちらの修行も重ねていきます。
さらに、戦後の昭和二十八年(1953年)には関東短期大学夜間部国文科を卒業し、ここから芸術家として活躍していくのですが……戦時中どうしていたのかがよくわかりませんでしたスミマセン(´・ω・`)

一応兵役除外とされる項目はいくつかあるのですが、相田の場合どれもあてはまらなさそうなんですよね……。兄二人が戦死しているので、家のために残されたのかとも思ったのですが、弟がいたそうなのでそれもなさそうですよね。
上記の通り教官に嫌われたことがあるとはいえ、いつまでも同じ教官が担当していたわけでもないでしょうから、謎が謎を呼ぶばかりです。

 

60歳になって「にんげんだもの」が大ブレイク

まあそれはさておき、書の世界では短大卒業直後から認められていました。
昭和二十九年(1954年)から七年連続で毎日書道展に入選するなど、いわゆる正統派の世界でも名を上げましたが、その一方で書道界のあり方に疑問を抱いていたようです。

そして30代に入ってからは、書の中にも詩的な文章を取り入れて独自の作風を確立し、そういった作品で個展を開くようになりました。
ただし生活は決して楽ではなく、結婚して二人の子供に恵まれたものの、懐事情はなかなか潤わなかったとか。

それが改善していくのは、50歳のときのことです。
仏教学者の紀野一義という人の著書で作品を紹介され、今まで書に馴染みのなかった層にも少しずつ知られていくようになりました。
そして60歳のときに詩集「にんげんだもの」で一躍有名となり、その後も度々詩集を出版して独自の地位を確立します。
二冊めの詩集「おかげさん」が出た頃はバブル景気の時期でしたので、モノやお金で心が磨り減る中、穏やかな気持ちになれる作品を求めた人が多かったのかもしれません。

 

国際フォーラムに「相田みつを美術館」がありますよー!

そんなわけで最初から詩人として成功したのではなく、後半生になってから有名になった相田でしたが、67歳のとき転倒による脳内出血で突如この世を去ってしまいました。
高齢になっていましたが引退は考えていなかったようで、最期の言葉は「一文字だけの作品を集めた展覧会をやりたい」だったそうです。(´;ω;`)
「つまづいたって~」の作者が転倒で亡くなったというのが、何ともいえない運命の皮肉さを感じます。神様も意地が悪いことをなさいますね……。

ところで、相田みつをの美術館が東京国際フォーラムにあるのをご存知でしょうか。
東京駅そのものも昨年で100周年を迎えたばかりですが、周辺地域にも見所が多いため、なかなか話題にならないですよね。
ミュージアムショップだけなら入館料がかからないそうなので、展示を見たい方はもちろん、ちょっと変わったお土産がほしいという方にもいいかもしれません。

最近は某仕事を選ばないことで有名な白猫さんとのコラボカレンダーも出ましたし、書籍や色紙の他にもいろいろなグッズがあるようなので、展示以外にも楽しめそうです。

……あ、別に袖の下とか黄金色のお饅頭とか異様に重いアタッシュケースとかはもらってませんので悪しからず。

長月 七紀・記

参考:相田みつを美術館/Wikipedia 文芸ジャンキー・パラダイス 相田みつを美術館

 

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TOP画像は下記書籍の表紙より

 

 

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