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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

美人奇術師・松旭斎天勝! 明治の興行界で大人気を博し、孫弟子には引田天功が!

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人を楽しませるって素敵なことですよね。
楽しませる方法にもいろいろありますが、中にはいろいろな意味で体を張ったものもあります。
そうなると体力勝負になるため、なんとなく男性の得意分野かなぁという気もしてきますが、女性でもそういった方面で活躍した人はいます。
本日はその一例であり、ひそかに現代の有名人とも繋がっている人のお話です。

明治十九年(1886年)5月20日、後に奇術師・松旭斎天勝(しょうきょくさいてんかつ)として名を馳せることになる女性が誕生しました。
固い名前に見えますが、女性です。大事なことなので二回言いました。
奇術というのは手品(マジック)のこと。つまり奇術師=マジシャンなのですが、何となく「奇術師」のほうが字面として合うかなと思うのでこちらでいきますね。

鳩でも隠れてそうな帽子ですね/Wikipediaより引用

 

奉公先の天ぷら屋で「ワシの愛人になれ」

彼女は東京・神田の質屋の娘として生まれました。順調に行けばそのまま成長して、いずれは結婚して家を出るなり、婿養子を取るなりしていたのでしょう。
しかし、実際には家業が失敗したため、彼女は門前仲町の天ぷら屋で奉公することになります。
そしてそこの店主が奇術師として成功を収めていた松旭斎天一(てんいち)に、二つの点で目をかけられたことで、彼女の運命は大きく変わります。

一つは、器用さを見込まれて天一の弟子になったこと。
もう一つは、天一に「愛人になれ」と言われたことです。

現代人からすると「倫理観どうなってんねん!」と言いたくなりますが、当時はまだまだ労働者や女性の地位が低かった時代です。
夜のお店はもちろん、天勝のように働きに出た先でそういうを言われた人はたくさんいたのでしょうね……。
ちなみにこのとき天勝は11歳だったそうです。何回倫理観に疑問を抱けばいいのかと。

 

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17歳のころには一座の花形にまで成長していた

天勝もそのまま引き受けたわけではなく、一度は自殺をはかるほど嫌がったそうです。しかし、天一への嫌悪感よりも、奇術に対する情熱が勝りました。
そして彼女は「天一一座」の一員となり、「天勝」の名をもらいました。17歳の頃には一座の花形と見なされていたようなので、名前に負けず努力を重ねたのでしょうね。
「天」は師匠から、「勝」は本名の「中井かつ」からとられたものと思われます。

腹を決めて奇術の道に入った天勝は、日本人にしては大柄だったこともあり、欧米での興行でも人気を博したそうです。彼女の写真からしてもかなりの美人ですから、これに加えて奇術の腕も良いとなれば、そりゃ人気も出ますよね。
帰国後も”スパンコール衣装&つけまつげ”というド派手な格好で欧米風のショーを披露し、さらに名を高めていきます。

松旭斎天一一座のポスター(明治41年公演分)左が天勝/Wikipediaより引用

 

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一座は大成功をおさめ、思わず自分からプロポーズ

その後、天勝27歳の時、師匠から独立して「天勝一座」の座長となります。
そしてマネージャーとして野呂辰之助という男性を雇い、後に結婚しました。ということは、この頃までには師匠の愛人はやめていたのでしょうね。

上記の通り彼女は奉公先で天一に認められて一座に入り、奇術以外のことは何も知らなかったため、野呂が運営に関するこ全て引き受けたとか。
おそらく天勝は学校にも行っていなかったでしょうから、仕方のないことではあります。

そして野呂のマネージメントのおかげもあり、天勝一座は大成功を収めました。
その感謝の気持ちがいつしか変化したようで、天勝はある日突然野呂へプロポーズしたそうです。予想の斜め上過ぎますが、彼女もぽろっと口から出てしまったらしく、自分でも驚いていたとか。

一説には「一座の運営を安定させるために結婚した」ともいわれていますが、そのあたりはまあ本人たちのみぞ知るというところでしょうね。政略(?)結婚であったとしても、いずれ感情が伴っていったかもしれませんし。

 

奇術といえば天勝! その人気はニセモノが出るほど

まあその辺はともかく、その後一座は「奇術といえば天勝」といわれるほどの人気を博し、偽者が表れるほどだったとか。
彼女が得意としていたのはいわゆる「水芸」で、彼女自身はもちろん、舞台上にいる人の持ち物やあちこちから水を出したり止めたりするというものです。
最近はコンピューターで水を制御することも可能になりましたので、あまり演じられなくなってしまったようですが、当時はさぞ綺麗で面白く見えたのでしょうね。

そうして女性奇術師として大成功を収めた彼女は、昭和十年(1935年)に49歳で引退で引退します。
二代目天勝の名は彼女の姪が受け継ぎ、日本では女性奇術師の存在が珍しいものではなくなりました。この功績も大きいですね。

ちなみに、天勝の孫弟子が引田天功なので、プリンセス・テンコーにとって天勝は遠いお師匠様ということになります。
今では天勝の名が一般人の間で語られることはあまりないですが、どこでどう繋がっているかわからないものですねえ。

長月 七紀・記

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参考:松旭斎天勝/Wikipedia 散楽/Wikipedia 奇術/Wikipedia Chicken's Magic Room

 

 




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