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その日、歴史が動いた 欧州

戦場カメラマンの願いは失業することだ ロバート・キャパの死を賭したハッタリ

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「嘘も方便」という言葉がありますように、場合によってそれはとても便利な道具にもなります。
少し違いますが、「言わぬが花」という言葉もありますよね。

本日は嘘……といいますか、どでかいハッタリをかまして成功を掴んだたくましい人のお話です。

1954年(昭和二十九年)5月25日は、戦場カメラマンのロバート・キャパが取材先の地雷により亡くなった日です。
写真家としてももちろん優れた人なのですが、彼が世間に知られるようになったきっかけは、とある大きな嘘でした。

ロバート・キャパ/Wikipediaより引用

 

「有名な写真家のフリをしてみたらどう?」

彼は1913年にハンガリーのユダヤ系の家に生まれ、成長した頃ドイツに家族揃って移り住みました。
成人後は写真家の道を歩み始めたものの、当時のドイツは皆さんご存知の通りナチスが台頭し始めた時期。特に1930年代に入ってからは、ユダヤ人に対する世間の扱いが厳しくなってきたため、一家は離ればなれに暮らすことになりました。母と弟はアメリカへ亡命し、父はブダペストへ向かったのです。
ロバートもブダペストへ戻ったらしいのですが、父とは別居だったらしく、父親の消息ははっきりしていません。

ロバートは落ち着いたところでパリへ拠点を移しました。が、写真はなかなか売れずに困窮します。彼に限らず、芸術方面の若者には良くあることですね。
そこへ、彼の元に幸運の女神ともいうべき女性が現れます。同じくユダヤ系の写真家であるゲルダ・タローという人でした。

彼女はロバートの写真に将来性を感じたらしく、「有名な写真家のフリをしてみたらどう?」とアドバイスしました。彼もこれに乗り、架空の高名な写真家ロバート・キャパと名乗り始めます。

ロバート・キャパに強い影響を与えた女性カメラマンのゲルダ・タロー/Wikipedia

 

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スペイン内戦で衝撃の一枚 「崩れ落ちる兵士」

彼はこれまで本名の「フリードマン・エンドレ・エルネー(ハンガリー語読み)」、もしくは「アンドレ・フリードマン(フランス語)」と名乗っていたのですが、ややこしいのでこの記事では「ロバート」で統一させていただきますね。
ついでにいうと、ハンガリー語では日本と同じく姓→名の順なので、フランス語など他の言語圏に行くときは順番を逆にすることが多いようです。へぇへぇへぇ。

本題には関係ありませんが、ゲルダも実は仕事用の名前です。彼女の本名はゲルタ・ポホリレというのですが、ロバートの知り合いだった岡本太郎から「タロー」という名字を作ったとか。
もしかして日本人の姓名順を知らなかったのかもしれませんねえ。でないと異性の名前を自分の名字にはしないでしょうし。

何はともあれ、このハッタリが功を奏し、彼の写真に対する評価は格段に上がりました。
中でも有名なのは、「崩れ落ちる兵士」と呼ばれる写真です。その名の通り、スペイン内戦で銃弾に貫かれた瞬間の兵士を撮ったもの……ということになっていました。

The Falling Soldier/英語版Wikipediaより引用

 

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戦闘中ではなく演習中、あるいは単に転んだ瞬間

この一枚は、「あまりにもできすぎてる、ヤラセだ」と当初から言われており、ロバートの死後にいろいろな検証が行われました。

その結果、現在は「戦闘中ではなく演習中、もしくはただ単に転んだ瞬間を撮ったものだろう」という説が有力になっています。

また、ロバートではなくゲルダが撮ったものだろうともいわれています。が、これは当初「ロバート・キャパ」という名前を共同ペンネームのように使っていたためかもしれません。

残念ながら、「崩れ落ちる兵士」を撮影した翌年にゲルダは内戦の取材中、戦車に轢かれて亡くなってしまいました。そのため、ロバートは単独で戦場カメラマンとして活動し始めます。

その後は日中戦争、第二次世界大戦の北アフリカやイタリア、ノルマンディー上陸作戦で数多くの写真を撮影。

ノルマンディーといえば数々の映画でもその過酷さが伝わってきますが、ロバートはあの激戦の中、100枚以上の写真を撮ったといわれています。しかし、助手がその生々しさに興奮して手を滑らせて現像中にどでかいミスをしてしまったため、まともな写真になったのはたった10枚前後だったとか。歴史の面から見ても非常に惜しい話です。

 

インドシナ戦争に出向いて地雷を踏んで……

第二次世界大戦中はパリ解放や西部戦線の取材を続け、その後も第一次中東戦争・第一次インドシナ戦争などを取材しました。

経緯が非常にややこしくデリケートなので今回は割愛しますが、第一次中東戦争は1948~49年のイスラエルvs周辺諸国+αの戦争で、第一次インドシナ戦争は1946~54年に起きたベトナムvsフランスの戦争です。
特に後者については日本も少なからず関わっていますので、当時の新聞社も少なからず関心がありました。そこでかねてから日本人の知己も多く、ちょうど来日していたロバートに「取材をお願いします」という依頼があったのです。

この戦争は既に終盤に向かっていたこともあってか、ロバートは快くこれを引き受け、さっそく現地に向かいました。
が、フランス軍に合流して取材を始めたその日に、地雷によって命を落としてしまったのです。

数多くの戦場を経験したカメラマンが? と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、これは地雷という武器の特性によります。
使う側からすれば、一回埋めてしまえば見張りも管理も必要ないので非常に便利ですよね。しかし、当然のことながらその後は敵であろうが味方であろうが、一般人だろうが動物だろうが爆発します。
しかも地雷除去というのは極めて高度な技術と時間とお金が必要なため、戦争の真っ最中にいちいち撤去するようなことはほとんどしません。
それでも地雷原を突っ切らなくてはならないような場合は、「当たったら不運だと思え」という強行策をとることもままありました。

 

地球上には現在7,000万~1億個が眠っている

さらに面倒なことに、地雷には対人用と対戦車用がありまして、ものすごく乱暴かつテキトーにいうと上に乗ったものの重さを感知して爆発するようになっています。
つまり、対戦車用の地雷の上を人間が一人二人通ったところで爆発することはなく、人命を賭けたとしても安全確認をしきれないわけです。
その辺の諸々の理由で、ロバートだけでなく有名無名の多くの人々、そして動物が今も地雷によって大きな被害を受けています。

さらに悪いことに、爆発しなくても社会に与える影響はあなどれません。
「この辺に地雷があるかもしれない」というだけでその土地は使えなくなってしまうので、経済的にもシャレにならないのです。
現在地球上には7000万~1億個ほどの対人地雷が埋まっているといわれているのですが、この面積を全て農地なりきちんと活用することができれば、どれだけの経済効果を生むことでしょう。

一応日本を始め、先進国では地雷撤去用のロボットや機材を研究・開発しているのですが、ほとんどの地雷は発展途上国にあるため、費用面でまだまだ現実的ではないとか。
中には、地雷除去作業員を失業政策の一環としてとらえている国もあるそうなのですが、たくましいのか勇敢なのか外道なのか……。

 

対人地雷全面禁止条約に批准してない国もあり

ちなみに日本は、ODAの資金から地雷撤去に携わっているNGOへの援助を提供しています。中には自衛隊のOBが発足したものもありまして、職務を終えても人のために危険な仕事をされている方には感服するばかりです。

現在は通称「対人地雷全面禁止条約」が日本を含めた多くの国で批准されているので、もうこれ以上地雷が使われることはない、と思いたいところですが、現実はそう優しくありません。
お隣のアとかロのつく国とか、(自称)四千年の歴史を持ってる国とか、カレーの国とか、その他諸々が批准していないので物騒きわまりない状態はまだ続いています。この辺皆最悪の兵器も持ってますし。

ロバートは生前、「戦場カメラマンの一番の願いは失業することだ」と言っていたそうです。が、残念ながらそうなった後も地雷の脅威は続きそうですね……。

長月 七紀・記

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参考:ロバート・キャパ/Wikipedia LAUGHY

 

 




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