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その日、歴史が動いた 欧州 アジア・中東 キリスト教

唯一勝利した第1回十字軍 なぜ彼らは争い続けたのか?

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日本では諸々の理由で「宗教=悪」やら「○○教はアブナイ」と考える人が一定数いますが、ほぼ無宗教に近い日本人のほうが実は異端なんですよね。
たぶん世界史が苦手な人が多い理由のひとつにもなっているのではないでしょうか。「カタカナかつ似たような名前の人ばかりで覚えにくい」というのもありますけども。

本日はその一例である、宗教vs宗教のお話です。
1099年(日本では平安時代・興和元年)6月7日、第一回十字軍によるエルサレム攻囲戦が開始されました。

といっても大多数の日本人には「ふーん」としか思えなさそうですので、まずは「”十字軍”って何ぞや?」というお話からはじめましょう。

中世の写本に描かれた第1回十字軍のエルサレム攻撃/Wikipediaより引用

 

キリスト、イスラム、ユダヤの聖地が集中

ものすごく不謹慎な例え方をすると、「伝説の美少女(エルサレム)を巡って色白のイケメン軍(ヨーロッパのキリスト教徒)が地元のイケメン軍(イスラム教徒)と代々戦った」のが十字軍です。もうちょっと正確に言うと、色白軍団のほうが十字軍ですね。

じゃあその美少女……もといエルサレムは、どんな理由で取り合いになったのか?

これも実は単純な話で、「三つの宗教のどれにとっても特別だったから」。キリスト教にとってはイエス=キリストが磔刑に遭って復活した場所であり、イスラム教徒にとってはムハンマドが天の啓示を受けた場所であり、ユダヤ教にとっては遥か昔の偉大な王・ソロモンが神殿を築いた場所でした。

つまり、「うちにとって大事な場所なんだからお前らがいるのはおかしいんだよ! こっちによこせ!!」というようなことを、お互いに言い合い殴り合いを続けてきたわけですね。

第1回十字軍時代のヨーロッパ・中東地域第1回十字軍時代のヨーロッパ・中東地域/Wikipediaより引用

 

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十字軍の遠征時、すでにユダヤ教徒の勢力はなく

ちなみに十字軍の話でユダヤ教があまり出てこないのは、ただ単にユダヤ教徒(ユダヤ人)が迫害・追放を受けまくっていたため、この周辺地域で強い勢力を保てなかったからです。だからヨーロッパなど他の地域にユダヤ人がたくさん散らばっているわけですね。

その理由は「イエス=キリストを処刑に追い込んだのはユダヤ人だから」というものです。外から見ると「あのー……処刑されたほうもユダヤ人なんですけど……」とかいろいろツッコミたくなってくるところですが。
ユダヤ人は何千年にも渡ってあっちこっちで迫害されては流浪し、「この辺でユダヤ人の国作っていいよ」と国際社会のお許しが出たのはなんと20世紀のことでした。これじゃ聖地を取り返すどころじゃないですよね。
その間アイデンティティを保つよすがになったのが、ある意味で迫害の原因でもあるユダヤ教というのは皮肉ととるべきか否か……。

そろそろ本題がどっかに行ってしまうのでこの辺にしておきますが、より詳しくお知りになりたい方は、教科書や小難しい本よりも旧約聖書・新約聖書をオススメします。今はわかりやすい解説書がたくさんありますし、宗教を知ることは文化や歴史を知ることにもなりますのでね。
個人的には旧約聖書のほうが物語として面白いと思います。信じるか信じないかは個人の自由ですから、まずは「物語」として受け入れるのがいいんじゃないですかね。特に日本人にとっては。

話を十字軍に戻しましょう。

 

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参加したのは現在の仏・独・伊3国のみ

第一回十字軍は1096年。
「キリスト教徒vsイスラム教徒」という構図ができ、ときのローマ教皇・ウルバヌス2世が「なんか東ローマ帝国が困ってるみたいだし、そろそろ聖地取り返さないとダメじゃね?」(超訳)と、ヨーロッパ諸国に「やってやろうぜ!」と呼びかけたのがキッカケです。

といってもまだこの頃のヨーロッパは国の形がはっきりしていないところも多く、参加したのは現在のフランス・ドイツ・南イタリアあたりだけでした。
イングランドはウルバヌス2世とケンカしてましたし、スペイン・ポルトガルは地元でイスラム教徒と戦ってた(レコンキスタ)のでそれどころではありません。北欧地域はまだ完全にキリスト教化してはいませんでした。

東欧地域も北欧と似たようなもので、唯一それなりの力を持っていた東ローマ帝国は「イスラムに負けちゃった☆ 宗派違うけど同じキリスト教徒のよしみで助けてよローマ教皇さん」(※イメージです)ってなもんだったので、大遠征をできる状態だったのは上記の三カ国くらいだったのです。
これまた正確に言えば、現在とは国境が違うし国の名前も違うんですけども、こまけえこたあいいんだよ。

先に結論を言ってしまうと、十字軍が当初の目的を達成できたのってこの第一回目だけだったりします。小規模だったからうまくいったんでしょうね。利害が絡み合うことも少なかったでしょうし。

 

1週間程度の市街戦で7万人以上が殺される!?

こうして始まった第一回十字軍ですが、その足跡はお世辞にも素晴らしいとはいえませんでした。戦争なんて、もともとロクでもないもんですけども、「これはひどい」としか言えないような記録がいくつも伝わっています。
そもそもエルサレムに着くどころか、地元のユダヤ人から金とモノを奪い取ることから始めた一団もありましたし、助けを求めてきた東ローマ帝国(※キリスト教国家)で暴れたヤツらもいましたし、現地に行ったら行ったで比喩でもなんでもなく虐殺をしまくりました。

イスラム側の記録によると、1週間程度だったエルサレムの市街戦で、7万人以上の人が殺されたそうです。
神道や仏教みたいに「血=穢れ」とか「殺生ダメ絶対」って概念がないとはいえ、非戦闘員もわんさか含んでのこの数字、蛮行としかいえません。

ちなみにイスラム教では基本的に「税金を多めに払えば他の宗教でもおk」ということになっていたので、当時のエルサレムにもユダヤ人がたくさんいました。当然のことながら、このときの犠牲者にもユダヤ人が大勢います。

十字軍によって斬首されるユダヤ人(中段)や、流れ出る血の海が描かれているた写本挿絵(1200年頃にイギリスで描かれ14世紀にスペインで写された)/Wikipediaより引用

 

あっという間に、エルサレムは再びイスラム教徒のものに

さらに悪いことに、「エルサレムがキリスト教徒のものになったぞ!」という知らせを受けてテンションの上がりすぎたヨーロッパの人々が、我も我もといわんばかりに地元のユダヤ人たちをこれまた虐殺しにかかりました。
しかも「金とか汚らわしいからユダヤ人に扱わせようぜw」と言って金融業等を押し付けていたくせに、それで儲けだしたユダヤ人については「あいつら汚らわしいくせに贅沢しやがってムカツク! ブッコロ!!」という、「な、何を言っているのか(ry」な屁理屈つきです。サイテー以外に言葉が出ません。

当然のことながら生き残ったイスラム教徒もユダヤ教徒も「キリスト教徒サイテー! 絶対エルサレム渡さないかんな!!」と息巻きます。

そのため、第一回十字軍は成功したものの、あっという間にエルサレムは再びイスラム教徒のものになりました。あーあ。
そして第二回以降の十字軍が起こるわけですが、全部失敗しました。だいたいの場合資金不足だったり、参加国同士でのいざこざが原因です。

「聖地だから取り戻したい」ということは十分理解できるのですけれども、それならば純粋な信仰による行動なのですから、国益やカネ云々を持ち出すべきじゃないと思うんですけどねえ。王様が絡むと仕方のないことではありますが。

長月 七紀・記

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参考:第1回十字軍/Wikipedia エルサレム攻囲戦 (1099年)/Wikipedia

 

 




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