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ペリーじゃないよハリスだよ! 日米修好通商条約を結んだ米国人ってどんな人?

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誰もが知っている歴史的な出来事って、あまり裏側が知られておりませんよね。
歴史という教科の敷居が高いのは、おそらく舞台裏や登場人物の素顔が見えず、親近感が湧きにくいからなのではないでしょうか。歴史モノの漫画やドラマなら好きという人はたくさんいますし。

本日もそんなうちの一人、教科書に出てくるあの人の素顔を交えながらお話していきたいと思います。
安政三年(1856年)7月21日は、アメリカ公使タウンゼント・ハリスが下田へ入港した日です。

教科書でも、まず「ペリーが日本を開国させ、その後ハリスが日米修好通商条約を結びました」ということで必ず出てくるので、見覚えのある方も多いのではないでしょうか。
しかし、例によってそれ以外のことがあまり知られていないということでもありますので、今回はハリスがどんな人なのかといったことも含めて見ていきたいと思います。

ひげ、ハンパねぇっす! タウンゼント・ハリスっす!/Wikipediaより引用

 

いったんはペリー軍艦への同乗を断られるも……

ハリスは上流階級や軍人の出ではありません。
兄弟が多い上に家が裕福ではなかったので、中学を出た直後から、商人の父や兄を手伝っていました。
仕事上も必要だったからか、図書館に通ってフランス・イタリア・スペイン語を学び、さらに文学についても調べ、足りない教養を補っています。

自身が若い頃そういった苦労をしていたので、ある程度お金ができてから教育に力を入れるようになりました。ニューヨークにフリーアカデミー(現在のニューヨーク市立大学・シティカレッジの前身)を設立しています。当時のニューヨークは人口に高等教育機関の数が追いついておらず、私立学校が二つしかなかったので、頭の出来がどうこう以前にお金持ちの子女でなければ通えなかったのです。
そのためハリスは「お金がない者も高等教育を受けられるように」と、この学校を作ったのでした。自ら上記三ヶ国語の教鞭をとったこともあります。

一方で商才はあまりなかったのか、本業は好調とはいえなかったようです。そこでハリスは思い切って貿易業に転進し、貨物船を買って自らニュージーランド・インド・清(当時の中国)を渡り歩きました。
清にいた頃、ちょうどペリーの艦隊がやってきていたので「日本に興味があるので、私も連れて行ってもらえませんか」と頼んだこともあったとか。軍人ではないので断られてしまったそうですが、このハリスが後々通商条約の担当者になるとは誰も思っていなかったでしょうね。

しかし、かねてより東洋に興味を持っていたハリスは、一度断られたくらいでは諦めません。

版画に描かれたペリー/Wikipediaより引用

 

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日米和親条約を読んで「日本へ行ける!」

ハリスはまず、台湾に関する調査をしてレポートにまとめ、自分の能力を示して寧波(ニンポー。上海の南にある中国の都市)の領事のポジションを勝ち取りました。
その後一時帰国。同時にあちこちとのコネも利用して、ペリーが結んだ日米和親条約を読み、「ここに駐日領事のことが書いてあるから、これに任命されたら日本へ行ける!」ということを知ったハリスは、さらにお偉いさんたちへのアピールを続けます。

そして見事、駐日大使に抜擢されるのですが、これにはアメリカの国民性も大いに影響していました。
というのも、当時のアメリカでは、商人を役人にすることにあまり抵抗がなかったのです。対照的なのはやっぱり?イギリスで、貴族もしくはそれなりに身分のある人を公使に任じています。そのうちの一人が富士山に発砲したこともあるんですけどね。
詳しくはこちらで→過去記事:知らないってすげえ…幕末に外国人初の富士山登頂を果たしたイギリス公使のDQNぶり【その日、歴史が動いた】

ついでに言うと、フランスでは何故か軍人を公使に任じることがたびたびありました。
この辺を詳しく分析したらお国柄がわかりそうですね。ハリスの話がどっか行っちゃうので今回はやめておきましょう。

 

粘り強く下田で交渉を継続 ついに条約が締結される

さて、そんなこんなで晴れて駐日公使のついでにシャム(当時のタイ)との通商条約締結も命じられたハリスは、それも難なくこなしてついに下田へやってきました。

「オランダと貿易してたんならオランダ語の通訳が要るな」ということでオランダ語通訳は用意していたのですけれども、度重なる外国人の応対で幕府側もてんやわんやになっていましたから、正式に来たのに待ちぼうけをくらうという(´・ω・`)な事態もありました。
また、「大統領からの親書を預かってきたので、江戸に行って直接将軍にお渡ししたい」と申し出ても、幕府内の攘夷派が「異人は(・∀・)カエレ!! 」(※イメージです)とゴネたため、これも延期になってしまいます。このときの将軍は十三代・家定だったので、たぶん「上様のお体が良くなるまでお待ちくだされ」なんてこと言ってたでしょう。

交渉自体は下田でもできるので、ハリスも無理に急ぎはしませんでした。強気に出るのとゴリ押しするのとは違いますしね。
そんなハリスを後押しするかのように、翌年の夏にはアメリカから軍艦がやってきます。これを見た幕府は、「やべえ、これ以上引き伸ばしてアレに直接江戸に来られたら……(gkbr)」と思い、「いやー随分お待たせしてすみませんでしたハリスさん! 上様もようやくお元気になられたので、江戸へぜひ来ていただきたい!」(※イメージです)と、やっと話を進めました。
そしてめでたく家定との会見も実現し、日米修好通商条約が締結されたのです。

ハリスが下田でよく浸かっていたという足湯/Wikipediaより引用

 

江戸に公使館を構えるも、まもなく体調を崩して帰国し……

この会見のとき、家定の持病であったとされる脳性まひの症状が出たらしきことが記録されていますが、同時に堂々と「遠いところからご苦労! 大統領からの親書、並びに使者の口上には満足じゃ! 日米両国の交友は永久に続くであろう」(意訳)といったことを述べたとも書かれています。
幕閣がカンペを作っていた可能性もありますが、ハリスがpgrしていた様子もないので、少なくともはた目には立派な将軍に見えたのでしょうね。

めでたく条約を結んだハリスは正式に初代駐日公使となり、下田を引き払って江戸に公使館を構えました。
が、三年後に体調を崩して自ら辞任し、アメリカへ帰っています。下田にいた頃からたびたび吐血などに悩まされていたそうなので、もしかすると来日以前もしくは渡航中から少しずつ悪くなっていたのかもしれません。
それでも「下田で借りた家は清潔で日当たりが良く、気分がいい」といっており、また交渉中は元気そうにしていたようなので、気分的には快適だったようです。
ゲーム的に表現すると、HPが黄色表示でMPが満タンとかそんな感じでしょうか。

ただ、ハリスは敬虔な聖公会教徒だったので、当時日本で珍しくなかった習慣のいくつかには露骨な嫌悪感を示しています。混浴とか。
聖公会というのはものすごく簡単に言うとキリスト教の一宗派で、カトリックとプロテスタントの中間を自称しているのが特徴です。また、キリスト教自体が性に関して潔癖な考えのほうが強いので、ハリスもそうなったものと思われます。
聖書の中にはこの手の戒めに関する記述がいろいろあるんですけど、聖公会がどういう解釈をしているのかがイマイチ調べきれませんでしたスイマセン。時代によっても違うでしょうしね。

 

自宅に送り届けられたお手伝いさん 牛乳を求めてアチコチ奔走

江戸幕府のほうでもハリスを気に入っていたようで、「綺麗な女性にお世話(意味深)してもらえば元気になれますよ」といって斎藤きちという女性を送りつけたのですが、ハリスは逆に激怒。とはいえ叩き出すのも可哀相だと思ったのか、家政婦として雇ったようです。

おきちは、ハリスの大好物である牛乳を、あちこちを走り回って買い求めたといわれています。当時日本はでほとんど飲まれていなかったので、米俵三つ分の値段でようやく買えたのだとか。
……飲まれていなかったということは乳絞りのやり方も知られていなかったと思うのですけれども、その辺どうしたんでしょうかね。アメリカ人の誰かがついていって絞ったんでしょうか。どうでもいいか。

ちなみにきちは「唐人お吉」という名でハリスに寵愛されたといわれていますけれども、後世の創作です。彼女には当時婚約者がいましたし、ハリスも上記の通り潔癖な人だったので、逆にどこからどうやってそんな話を作り出したのかがわかりません。
まあ、高橋お伝(過去記事:明治時代最後の斬首刑 高橋お伝の切なすぎる一生とは【その日、歴史が動いた】)など、「とりあえず名前だけ借りて世間にウケるような話にしてやろうw」といった例はたくさんありますので、きちもその一人だったのでしょうね。かわいそうに。

後世、ラブロマンスの主役にされることなど知る由もないハリスは、帰国後は数年仕事をした後、フロリダで保養生活に入りました。亡くなったのはその二年後のことです。
お墓はニューヨーク・ブルックリン区のグリーンウッド墓地というところにありまして、下田市長が訪れたこともあるとか。他にも観光客がよく訪れるようで、守衛さんに聞くとすぐ場所を教えてもらえるようですね。
あまり華々しい観光スポットではありませんけれど、近隣に行かれる際は立ち寄っているのもいいかもしれませんね。

善福寺(港区)内に建てられた顕彰碑/Wikipediaより引用

長月 七紀・記

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参考:タウンゼント・ハリス/Wikipediaより引用 在NY日本国総領事館

 

 



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