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その日、歴史が動いた 欧州

ポルトガルの穏健派(?)独裁者「アントニオ・サラザール」の生涯

更新日:

 

「独裁者」という言葉からは、マイナスのにほひしかしませんよね。
しかし、これはあくまで「とある人物が最高権力を持っていた」というだけの話で、善悪とは関係なかったりします。

真っ先に思い浮かぶ某国のちょび髭や、そのライバルとも称される?髭の人はいかにも悪の親玉みたいな感じですが、中には「成功した独裁者」と言えなくもない人もいるのです。
本日はその一人、「独裁」という言葉のイメージがほんの少しだけ変わりそうな、とある人の生涯をお話しましょう。

1970年(昭和四十五年)7月27日は、ポルトガルの独裁者と呼ばれるアントニオ・サラザールが亡くなった日です。

独裁者の末路といえば悲惨なものと相場が決まっていますが、彼の場合は悲惨というより哀れむべきものでした。
いったいどんな生涯を送ったのか、順を追って見てみましょう。

tomorroweye19

 

聖職者を目指して神学を学んだものの……

サラザールはもともと、自ら望んで政界に乗り出したわけではありません。
地主の末っ子かつ長男として生まれ、当初は聖職者を目指して神学を学習。されど、当時のリスボンでは聖職者が多すぎたため、知識や素行には問題がなかったにもかかわらず、聖職者になることができませんでした。
それならばなぜ学ぶのがそもそもおkだったのか? まずそこをツッコミたいところです。

しかしサラザールはそこで機嫌を損ねることなく、還俗して今度は法学や経済学を学びました。元来が頭の良い人だったのでしょう。29歳の若さでコインブラ大学の教授に就任し、学生からの人気も高かったといいます。

また、当時のポルトガルは共和制になったばかりで、王制やカトリックに批判的な状態だったのですが、サラザールは「神の教えをないがしろにするのは良くない」という意見を新聞に書いたりしています。
お金を卑しいものとするキリスト教の教えを大切にしつつ、経済学を修めているというのはどこか矛盾している気もしますが、たぶんそこは誰も気にしなかったのでしょうね。

 

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大航海時代からの転落フリーフォール!

そんな矛盾とアンバランスを不思議にコントロールしていたサラザールの実力を認めたのは、当時のポルトガル首相兼大統領(=やっぱり独裁者)だったシドニオ・パイスという人物でした。
パイスはサラザールの能力と人気を買って経済大臣に抜擢しようとしたのですが、サラザールはこれを断っています。

それから程なくしてパイスは過激な共和主義者によって暗殺されてしまうので、サラザールは「おそらくコイツに従ってもろくなことにならない気がする」とでも思っていたのかもしれません。

その後カトリック系の政党から議員になったり、パイスの後任者の政権に加わったりもしたのですが、政治は性に合わないと思ったのかすぐ辞めてしまっています。
が、当時のポルトガルはだいたいこんな感じだったので、時代のほうが彼を放っておきませんでした。

【7行でわかるかもしれないポルトガルのフリーフォールな近世~近代史】
大航海時代に一気に上りつめる

スペインに併合されたりして一気に転落

同盟相手であるはずのイギリスに経済的フルボッコをくらう

リスボン大地震で首都が壊滅してなんとか持ち直す

最大の植民地ブラジルが独立

王制打倒、共和制へ

軍事クーデターが頻発して政治と経済がドン底

はたから見ると、よく国の形が残ってるなとしか言えません。
まあ、大昔から「ここに陸は尽き、海が始まる」と呼ばれてきたような立地(ユーラシア大陸の西端)だから誰も欲しがらnゲフンゴホン。

 

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どん底のポルトガル経済を立て直す

ともかく経済が壊滅状態では、優秀な経済学者の助力が不可欠――。
ってなわけで1928年、アントニオ・カルモナ大統領の要請に応じる形で、サラザールは財務大臣の座につき、政治の表舞台に再三立つことになります。
経済の引き締めに成功して何とかポルトガルを立て直したサラザールに、民衆は感謝感激雨あられ。たった4年後には首相を兼任するほど認められました。

ちなみに、この間に第二次世界大戦の引き金の一つであるアメリカ発の世界恐慌が起きています。
ものすごく単純にいうと、サラザールは元々ドン底な経済状態+世界大戦の原因になるほどの恐慌から、国一つを立て直して守ったわけです。そりゃ人気が出るわけですね。

サラザールが市民から人気を得た理由と思われるものは、もう一つあります。普通は独裁者というと軍部と結託して民衆や穏健派を封じ込めるものですが、サラザールは全く逆のことをしました。
つまり、穏健派を登用し、過激派を封じ込めたのです。

さらに、自らの支持層である教会とも癒着することなく距離を置きました。
これまた乱暴な言い方をすると、政治的にどこかと強いコネを持つことがなかったのです。

 

完全無欠な善人ではなく時には敵対勢力を……

独裁者といえばあまりの横暴ぶりにキレた人々が反乱を起こすのもテンプレですけれども、ポルトガルでは軒並み潰されて事件にすらなっていません。サラザールの支持層に対し、反感を持つ人々は全く意思の統一ができていなかったからです。
教会や経済界、地主、元王族達といった幅広い層から支持を受けたサラザールは、まさに成功した独裁者でした。

かといって100パーセント善人だったわけではなく、完全な敵対勢力に対しては秘密警察で(ピー)したりもしていたのですが。その辺はいかにも独裁者という感じですね。

こうしたサラザールの方針は「エスタド・ノヴォ」(新しい国家)と呼ばれ、サラザールが亡くなった後も続けられています。
特に力を入れたのは初等教育でした。が、同時に高等教育を受けられる人数を限定したため、信仰が教育を上回るというある意味中世的な状態に陥ってしまったのもまた事実。

これはサラザールが教育よりもキリスト教を重んじたためでした。そして結果的に有能な人物の育成を阻んでしまったため、「愚民政策」と呼ばれることもあります。愚かなほうへ誘導したというよりは、賢くならないようにしたというほうが正しい気がしますけどね。意味はあんまり変わりませんが。

ついでに言うと、現在バチカンに認められている「聖母の出現」の一つ、「ファティマの聖母」はサラザールが政界に入る直前の出来事だったりします。バチカンに認められたのはサラザールが首相になって二年後のことでした。

 

第二次世界大戦では両陣営と上手にお付き合い!?

サラザールが聖母についてどんなことを考えていたかは定かではありません。政策としてファド(ポルトガルの民族音楽)・フットボール・ファティマの三つのFを挙げているので、それなりに重要視していたことは間違いないでしょう。政治的に利用できて、信仰を強めることもできるとなれば、彼にとってマイナスになることは一つもありません。

また、この三つは、全て高等教育がなくても実践したり信じることができます。この辺からも、サラザールが教育より信仰を重んじていたことが伺えますね。

そんなこんなのうちに第二次世界大戦が勃発します。

サラザールはお隣のスペイン同様、中立を宣言して国を守りました。中立というと平和主義のようにも見えますが、枢軸国・連合国双方に輸出をして儲けていたというのが現実です。
というか、ポルトガルの状況的にどっちについてもあまりうまみはありませんでした。枢軸側につけばイギリスとの同盟を破棄するも同然&英米両国からフルボッコ確定ですし、連合側についたらついたで、やや枢軸寄りなスペインがお隣から攻めてくるかもしれなかったのですから。
「イギリスとの同盟があるんで連合国につきまーすw」といえないこともありませんでしたが、戦争勃発当初のドイツの勢い+地続きの隣国スペインから攻められたら、せっかく復興させた自国経済(と自分の命)がパーになりますしね。

悪い見方をすれば、国を守るふりをして自分を守ったのかもしれません。悪すぎるか。
そうして第二次世界大戦を乗り切ったポルトガルとサラザールでしたが、次に大きな困難がのしかかります。ある意味サラザール唯一の失態でした。

 

植民地が次々に独立し国は傾き、本人も……

世界各国の植民地が独立し始めたことによって、ポルトガルの植民地でも「もう俺達は俺達でやっていくんだ!」という動きができてきたのです。
サラザールは「いやいや植民地じゃないですよ海外州ですよ」と言い訳をしましたが、当然のことながら誰も納得しません。

モザンビーク(過去記事:日本初の黒人サムライ「弥助」の出身地 モザンビークってどんなトコ? 【その日、歴史が動いた】)のように力尽くで独立を勝ち取ろうとする国も現れ、抑えつけようにもお金が足りなくなり、せっかく回復させたポルトガル経済は再び落ち込んでしまいました。

弥助

そのまま権力の座に座っていたら、サラザールはいずれ他の独裁者と同じような悲惨な末路をたどっていたことでしょう。

しかし、神が「アイツは敬虔だからちょっとだけおまけしてやろう」とでも思い立ったのか、サラザールは幸運にも民衆からブッコロされることはありませんでした。
1968年のバカンス中に昼寝をしていたところ、ハンモックから落ちて意識不明の重態になってしまったのです。

2年後に意識を取り戻しましたが、当然のことながらその間、政治は別の人がやっており、サラザールは知らないうちに独裁者ではなくなっていたのです。

 

周囲の配慮で本人は最高権力者のまま永眠を迎える

ここからが面白いところで、周囲の人間はそれをサラザールに伝えませんでした。執務室をそのままに保管し、偽の新聞や命令書を作り、あたかもサラザールが最高権力者のままであるかのように思い込ませたのです。
これは成功し、サラザールはその配慮と嘘に気付かないまま、1970年の7月に亡くなったのでした。
サラザールの後継者達は政策を引き継ぎましたが、1974年にカーネーション革命によって倒され、その後新たな政権が作られています。
言い方を変えると、サラザールと同じようにしていても、他の人間ではたった6年しかもたなかったわけです。

時代の流れからして、サラザール本人がずっと権力を持っていても同じだったかもしれません。

しかし、周囲の人間が現実を突きつけずに、夢を見たまま死ねるように配慮したということは、彼にそれなりの人間的な魅力があったのではないでしょうか。

サラザールは女性関係や私生活を明かさなかった上、この辺のことについては何故かろくな資料がないので、それこそ神のみぞ知るという感じなのですが……。
ポルトガルに行ったらわかるんですかね。当時の新聞とか雑誌にはどう書かれていたんでしょうか。教えて現地の人。

長月 七紀・記

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参考:アントニオ・サラザール/Wikipedia

 

 




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