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その日、歴史が動いた アジア・中東

インドネシアの独立運動は太平洋戦争終了と同時に始まった 相手は日本ではなく……

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常識は変わるものです。
しかし、絶対不変のものと考えている人もいます。
習慣や宗教を理由に他人の言動を制限しようとする人なんかは、たぶんそんな感じなんでしょうね。

が、これを強制される側にとっては迷惑以外の何物でもなく……と、そんな話は古今東西掃いて捨てるほどあり、今回はその中でも比較的近年のお話をしましょう。

1945年(昭和二十年)8月17日は、インドネシアが独立宣言をした日です。

日本人の多くは15日で「戦争は終わった」と認識していましたが、入れ替わりに戦いが始まったところもあったんですね。

しかも日本人も無関係ではありません。インドネシアには浅からぬ縁があるからです。

オランダ植民地とされていた頃のジャカルタ(当時はバタヴィア)/Wikipediaより引用

 

70以上の民族があり、なかなか一つにまとまらない

インドネシアの歴史についてはまた触れる機会もあると思うので、今回は概要だけご紹介しますね。
同国には、大まかに分けても70もの民族があるといわれていて、長い間、統一国家というものがありませんでした。7世紀ごろから小さな国が複数できていましたが、全域が一つにまとまったのは第二次世界大戦以降のことです。

じゃあその間はどうなっていたかというと、他の地域同様、ヨーロッパの植民地になっていました。中でも、インドネシアを長く統治していたのはオランダです。今でこそ日本人にとっては風車やチューリップの国というイメージですが、大航海時代にはバリバリの植民地主義でしたからね。

オランダ人がインドネシアへ現れたきっかけは、やはり香辛料。
早いうちにオランダ東インド会社がインドネシア全域を占領すべく、戦争と香辛料・毛皮などの搾取を始めました。地元の人々も抵抗しましたが、あえなく敗れて多くの犠牲が出てしまいました。

その後、オランダ東インド会社は19世紀に解散したのですが、支配者がオランダ政府になっただけで、むしろ状況は悪化するばかり。
火山の噴火や戦乱により、またしても多くの人が亡くなりました。

広範囲に渡る、緑色の部分がインドネシア/Wikipediaより引用

 

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独立運動を指導したデヴィ・スカルノ

16世紀から数えて300年以上もこんな扱いを受けていれば、人々がオランダからの解放を夢見るのも、それを夢で済ませるつもりが微塵もなくなるのも当たり前のことです。

オランダは20世紀に入ってインドネシアでの政策を変換し、初等教育なども始めました。が、そんなことでごまかされるわけがありません。
ごく一部の親オランダ的な人は、オランダ語で高等教育を受けたりもしましたが、彼らもやはり「自分たちの国を自分たちで支配するのは当然のことだ。オランダを追い払おう!」という考えに至ります。そりゃそうだ。
ちなみにそのうちの一人が「デヴィ夫人」の旦那さんだったデヴィ・スカルノです。

第一次世界大戦あたりの時期から、そうした人々がまとまっていきます。
しかし一枚岩ではなく、インドネシアの実質的な国教・イスラム教の影響を強く受けた人々や、共産主義を掲げるグループ、そしてイスラム教の影響がありつつも世俗に近い考えを持つ派など、いくつかの政党ができました。スカルノは一番最後の世俗派だった人です。
ちなみに、インドネシアの人々に「一つの祖国・一つの民族・一つの言語」という概念が出来たのもこの時期でした。

それが実現するまでには、もう一つ世界史的な出来事を経験しなくてはなりませんでした。
言わずもがな、第二次世界大戦です。

 

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人格者・今村均も資源確保のため進軍したが……

ここで登場するのが、先日もご紹介した世界史上稀に見る人格者の軍人・今村均中将(過去記事:マッカーサーが「真の武士道」と認めた軍人・今村均 この人格者には感涙必至です 【その日、歴史が動いた】)です。

旧日本軍も100%善人ではないので、当初の目的は石油その他の資源確保でした。しかし、円滑にものをもらうためには、それなりの見返りが必要です。
そこで今村は、インドネシアの人々にそれまでよりも良い扱いを受けられることを保障し、当時の法律にのっとって正式に日本の領土に組み入れました。

また、オランダ政府に捕えられていたスカルノたち運動家を釈放し、イスラム教の指導者とともに協力を得て、軍政をうまく進めました。
日本語教育も行いました。が、同時にインドネシアの言葉で教育を受けられるようにしたり、インドネシア国旗の掲揚・国歌斉唱も解禁したりと、現地の人々の支持を取り付けるための政策も行っています。

この時期、旧軍はインドネシアの若者に対して軍事訓練も行いました。
彼らが第二次世界大戦終了後、インドネシア独立戦争の中核となっていきます。話が繋がりましたね。

自転車も用いてジャワ島を進軍する日本兵/Wikipediaより引用

 

敗戦後の日本軍人が独立運動に手を貸す

戦前のオランダ支配に戻ってはたまりませんから、インドネシアの人々は日本の敗戦から2日後というちょっぱやで独立宣言を発表。さらにその翌日(8月18日)には憲法の制定・公布・施行を同時に行うという仕事ぶりを見せました。

が、そこにやっぱり植民地支配を諦めていなかったオランダ軍と、日本軍の武装解除帰りのイギリス軍がやってきます。
そして、今度こそ真の独立を勝ち取るための戦争が始まったのです。

インドネシアの人々は、上記の通り先祖代々オランダに散々むしりとられてきていますから、士気が非常に高くなっておりました。手元にあった武器や罠に加え、日本軍が置いていかざるを得なかった武器を利用したり、さらにはまだ残っていた日本の軍人たちも協力して、英蘭両軍を相手に大暴れしました。

彼らに協力した旧日本軍の中には、元々インドネシアの人々へ軍事訓練をしていた人もおり、戦闘だけでなく訓練や一般人への宣撫(混乱を防ぐための諸々を工夫すること)までしていたそうです。しかも数十や数百ではなく、2~3000人ほどいたとか。

ものすごく単純に言うと、「殺る気満々の訓練済み民兵+モノホンの軍人」が全力で抵抗したわけです。そりゃ一筋縄にはいきません。
ついでにイギリス軍はイギリス本国から来たわけではなく、当時イギリス領だったインドの人々がほとんどだったため、「なんで本国のために知らないところでうちらが戦わなきゃいけないの?」ということで士気がダダ下がりでした。
そんなわけでインド総督からも「うちらは撤退したいんですが(´・ω・`)」という要請が出て、まずイギリスが撤退の気配を見せ始めました。

 

停戦協定を結んだ直後に、約束破って空爆開始

しかしオランダはまだやる気満々で、兵を次から次へとインドネシアに送り、その数12万人にも及びました。
こうなると、いずれインドネシア側が不利になるのは目に見えています。

そこで、イギリス軍が完全に撤退する11月末前に、停戦協定を目指す方向に動き始めました。
が、一度停戦協定が成立したのにオランダ軍が再び空爆を含めた攻撃を始めました。常識という言葉の意味を問い直したくなります。汚いってレベルじゃねーぞ!

当然のことながら空軍なんて持っていないインドネシア独立軍は苦戦しますが、ゲリラ戦を展開して頑強に抵抗します。
ここで成立したばかりの国連が仕事をし始めました。が、オランダ軍は相変わらず攻撃を続けます。どこまでゲスなんだ。
いつまでたっても解決の糸口が見えないため、国連ではオーストラリア・ベルギー・アメリカによって仲裁委員会が作られました。

その後もオランダは全力でインドネシアを攻撃しますが、事ここに至って、国際世論はインドネシアに味方しました。いわく、「旧世紀的な植民地主義にこだわるオランダはおかしい!」(超訳)というものです。言うの遅すぎ。
また、この時点でオランダは攻め落とした地域にいくつかの傀儡国家を作っていたのですが、そこの住民からも「オランダってサイテー」(超訳)という態度を取られ、さらには独立軍に合流されるという涙目な状況に陥ります。

そして実質的に止めを刺したのは、二つの経済事情でした。

一つは、アメリカが「アンタらいつまでたってもケリつけられなさそうだから、支援やめるわ」(超訳)と言い出したこと。

もう一つは、オランダ自身の軍事費が莫大になりすぎて、国家が危うくなってしまったことです。

当たり前ですが、やっぱり資金の確保が大切なんすな……。

インドネシアの初代大統領デヴィ・スカルノさん/Wikipediaより引用

 

執拗なまでにインドネシアの植民地化にこだわるオランダ

第二次世界大戦中、オランダはドイツに占領されていましたから、財布に余裕がありませんでした。
そもそも占領されてたんだから、おとなしく自国の復興に努めればよかったものを、何をどうしたら地球の裏側に等しいインドネシアにこだわろうと思えるんでしょう。

その後オランダに捕まっていたスカルノたちが釈放された後、正式にインドネシア政府が作られて、見事独立を勝ち取りました。
この期に及んで、オランダは「政府作るのは認めるけど、ウチの女王陛下を元首にしてもらうからな!」(意訳)とも言っていましたが。往生際が悪いにも程がある。

現在はもう完全に独立しているのですが、インドネシアとオランダの間は依然として友好関係とは言いがたいようです。
某女王がインドネシアを訪れた際、「オランダの植民地支配は正解だった」というような演説をしてインドネシアの人々から激怒されたことがあるからです。
ちなみにその次の王様は、日本の戦争犯罪には言及する一方、自国の軍がインドネシアの人々に働いた横暴については完全にスルーしていたりします。

トップがそうだから国民も全員同じ、とはいえませんが、こういう価値観が是正されるにはまだまだ時間がかかりそうですね。

長月 七紀・記

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参考:インドネシアの歴史/Wikipedia

 

 




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