第四次川中島の戦いで外せないお約束! 信玄vs謙信の一騎打ちはおそらくウソなれど

 

物事には「お約束」というものがあります。
テンプレは裏切られてもいいものですが、お約束の場合は「ここでこうしないとおかしい! ツマンネ!!」ということになりますよね。
特に大河ドラマなどでは「お約束の取扱い」で評価が決まることが多い気がしますが、なかなか予算その他の制限が厳しいようで。
本日は戦国時代のそんなお話の一つをいたしましょう。

永禄四年(1561年)9月10日は、第四次川中島の戦いのハイライト・八幡原の戦いがあったとされている日です。

上杉謙信640・富永商太

絵・富永商太(TOP画像含む)

 

詳細は不明ながら江戸時代の軍記物で大フィーバー

第四次川中島といえば「武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをした」ということで、歴史に興味がなくても知っている人が多いですよね。そもそも、この逸話から戦国好きになった方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
そして、調べれば調べるほどロマンが薄れてしまって(´・ω・`)な気持ちになった方もいることでしょう。

というのも、実はこの戦いに関するはっきりとした一次資料がほとんどないのです。

ではナゼ、知名度が高いのか?

というと、江戸時代の軍記物語にこの戦に関する逸話が取り上げられて以降、民衆の好みにクリーンヒットし、「川中島といえばあの一騎打ちだよな!」というお約束ができてしまったのでした。

第四次川中島の戦いについては、全くのウソっぱちというわけでもなく、この年のこの時期に武田vs上杉の大きな戦があったことはほぼ確定と見られています。
正確な日時が曖昧なのは、当時の大名の間で「戦に関する記録を残す」という概念があまりなかったからかもしれません。
むろん「ウチら、大勝利っす!」的な話ならいくらでも残したでしょうから、たぶんこの合戦は「ザ・引き分け」な状態に終わったか、よほどマズイ何かが起きたかのどちらかでしょうね。

 

「川中島の戦い」という定義自体が曖昧でして……

まあそんなわけなので、どこが真実でどこが創作なのかはっきりしないのですけれども、スタンダードな話のほうで行きましょう。

ちなみにこれ以外にも川中島近辺で都合4度の戦をやっていたという話や、「そもそもホントに川中島って地名のところで戦ったのは2回だけじゃね?」という説があったりします。その辺は皆様個々人のご興味に応じてググる先生へお尋ねくださいということで。

当サイトの【お城野郎さん】がこの戦いの大きなポイントとなる、海津城の記事を書いてらっしゃるので、そちらもぜひ→戦国史上最大の合戦! 【第4回川中島の戦い】は武田・上杉の城戦略から諸説の真贋が見えてくる◆お城野郎

ぶっちゃけた話、既に川中島のことをご存知の方はお城野郎さんの記事のほうが面白いと思います(真顔)。
当コーナーは、歴史をわかりやすくするための「ざっくり・超訳」がテーマでございますゆえ、あしからずご了承ください(・ω<)テヘペロ

【関連記事】お城の戦略・展開から『川中島の戦い』を分析するR.FUJISEのお城野郎!

川中島の戦いトップ画像640

 

武田信玄へ北条氏康がお願い「上杉、つっついて」

さっそく、ざっくりポイントとして、この時点では「謙信」ではなく「政虎」だったのですけれども、めんd……より知名度の高いほうで統一していることを堂々と宣言させていただきます。

川中島という土地は上杉・武田両家の勢力圏の境目であり、かつ一つの家がシマにしていたわけではなかったので、度々戦の舞台になっていました。
そして上杉家・武田家双方の大きなカギになったのが、小田原城の戦い(過去記事:謙信・信玄に負けなかった名君が遺した偉大すぎる功績が子孫を滅ぼす【その日、歴史が動いた】)です。

このときは謙信と愉快な仲間たちが小田原城を包囲していましたが、北条家は同盟相手の武田信玄に援軍を要請しています。これがなかなか上手なやり方でした。
「こっちに来て一緒に戦ってくれ」ではなく、「上杉の地元をつついてくれ」という依頼だったのです。そりゃ軍神・謙信と言えども自分の足元が危うくなったら、よそにちょっかい出してる場合じゃないですものね。

信玄は要望に応え、川中島周辺を含めた北信濃(だいたい長野県北部)を攻めることにし、新しい城まで築くという戦る気バリバリの姿勢を見せました。
これを知った謙信は「何か皆ダレてやる気なくなって来たし帰るわ」(超訳)と、小田原の包囲を解いて引き上げています。

そんな感じで小田原でのゴタゴタは一応片付きましたが、敵に城まで建てられたとあっては、謙信が川中島を放置するわけにはいきません。北信濃を完全にとられてしまうと、いずれ自らの国・越後、そして春日山城を脅かされる可能性もあるためです。
こうして第四次川中島の戦いの下地ができたのでした。

 

上杉の背後を衝く「啄木鳥戦法」が立案される!?

逐一日付まで出すと細かすぎるので、例によってテキトーに省略しますが、このときの武田軍及び上杉軍の進路を見ると、途中で明らかに交差してる部分があるのが何とも。日付はずれてるんですけどね。
ということは、この辺を移動するのに不可欠なポイントなわけですから、激戦区となったのも当然そこになりました。
これがかの有名な「八幡原(はちまんばら)の戦い」です。

余談ですが、「八幡原」とは八幡神社の領地につけられる名前なので、実は固有名詞ではありません。八幡神(やはたのかみ・はちまんじん)は武家に厚く信仰された神様ですので、「武神のお膝元で戦国屈指の名将同士がぶつかり合った」という構図になります。うわぁ、胸アツ。
軍記物語で取り上げられたのも、この辺が影響したのかもしれませんね。

そんなわけで旧暦8月半ばから双方にらみ合いや移動を繰り返し、次第に、兵たちの士気維持が難しくなります。そのため、決戦を急ぐ声も出始めました。

武田軍では「今なら上杉軍は山にいるから、後ろからつついて平野に追い込みましょう! そうすれば待ち伏せして勝てます!」(超訳)という作戦が立案されます。
まるで木をつついて虫を追い出し食べる啄木鳥(キツツキ)に似ているということで、この案は「啄木鳥戦法」と名づけられました(しつこいですが、通説に則って進めます。啄木鳥の作戦など存在せず、双方、鉢合わせで激しい戦闘に発展してしまったという見方もございます)。

 

謙信の神眼が発動! 先に兵を出せぇい!

武田軍はこの作戦を実行すべく、兵を二手に分けて早速実行に移します。
が、謙信の観察眼はまさに神がかったものでした。
「何か武田の陣地でやたらメシ炊いてね? 何かデカい動きする前兆なんじゃね?」(超訳)と考え、日が落ちるのを待ってこっそり兵を移動させ、武田軍が来る前に平野へ下りたのです。

これまた余談ですけれども、謙信は「普段小食なのに、戦の前だけ異様に大食いになる」という珍妙な習慣の持ち主でした。だからこそ、炊煙で敵の動きを探るということが目に付いたのかもしれません。
さらにどうでもいい話ですが、謙信女性説が万が一ガチだった場合「それ毎月じゃないですか?」とかツッコミたくなりますね。わかる人だけわかってください。

さて、翌日の川中島は、ひどい霧でホワイトアウトに近い状態になっていました。
そして、日が昇って霧が晴れ、早速、行軍を始めようとした武田軍はビックリ仰天。
「挟み撃ちにしてやろうと思ったら、いつの間にか敵が目の前に勢ぞろいしていた。な、何を言っているのか(ry」(超訳)という状態だったのです。

ここからは「ずっと上杉軍のターン!」から、もうひとつのハイライトに移ります。
上杉軍は「車懸りの陣」と呼ばれる戦法で、次々に戦闘と交代を繰り返して疲労回復をしながら武田軍に襲い掛かりました。

再三の余談ですけれども、こういう「休息と襲撃を繰り返す」タイプの戦術については、毛利元就もやったという説があります。元就の場合は兵数が少ないのを補うためにやったのですが、それを兵に余裕のある状態でやったとしたら、そりゃ恐ろしいことこの上ないですよね。
地理的にありえない話ではありますが、元就vs謙信なんてことになったらどうなったんでしょうね。

 

愛刀で斬りかかり、軍配で受け止めるお約束

閑話休題。
こうして大混戦になった川中島で、謙信はもう一つ大きな行動に出ます。
自ら愛馬・愛刀でもって信玄の文字通り眼前に迫り、切りつけたという有名なシーンです。

信玄は軍配(お相撲の行司さんが持ってるアレ)でこれを受けました。その間に側役の人が来て謙信の馬を刺したので、信玄は助かったといわれています。
あまりにも劇的なのでフィクション説も根強いですが、川中島を扱った小説やドラマ・映画でこのシーンがなかったら非難轟々でしょうね。
個人的には、馬を刺された後、謙信がどうやって帰ったのかをツッコミたいところです。まあその辺の主を亡くした馬を拝借したんでしょうけども。

 

このタイミングで、当初上杉軍の背後を突くはずだった武田軍別働隊がやってきたため、さしもの謙信も引き上げました。
例によって死傷者数ははっきりしないのですが、戦国最大規模の被害で、武田軍のダメージの方が大きかったといわれています。
ですので、「先に撤退したほうが負け」と見れば上杉軍、「死傷者数の多いほうが負け」と考えれば武田軍が負けたことになるのですが、後世では引き分けと考えている人のほうが多いようです。
ちなみに本人たちは「ウチの勝ちに決まってんだろjk」(超訳)と主張しあっていたようです。ここだけ見るとちょっとかわいい。

図らずも、先日の慶長出羽合戦(過去記事:直江兼続率いる上杉軍VS最上家に伊達政宗も参戦「東北の関ヶ原」の激熱展開【その日歴史が動いた】)に続いて「勝敗のはっきりしない戦」を取り上げましたが、そういうときでも名シーンが多いというのがまた面白いですよね。

やたらと勝ち組だ負け組だなんて話が出る昨今ですけれども、白黒はっきりしない物事の魅力というのも、侮れないものがあるということでしょうか。

長月 七紀・記

参考:お城野郎のワンダーキャッスルジャパン/武将ジャパン 川中島の戦い/wikipedia

 

 


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