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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代 WWⅡ

戦後70年でもスルーされがちな東条英機が自殺未遂した70年前の9・11

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一度評価が固定化されてしまうと、それを変えるのは至難の業です。
わかりやすいところでいえば、マリー・アントワネットは「パンがなければ~」という発言をしたといわれ始めたせいで、浪費家の王妃というイメージだけが肥大化してしまいました。実は慈善事業にも積極的だったんですけどね。
日本史ではやはり、「織田信長は残虐なだけの人だった」とかでしょうか。最近は両者ともそれ以外の面が知られるようになってきましたが、彼らの生きていた時代から何年経っているかを考えると、やはり膨大な時間がかかるということがはっきりわかりますよね。
本日はおそらくその一人であろうと思われる、近代の人物のお話です。

1945年(昭和二十年)9月11日は、陸軍大臣・総理大臣等を歴任した東條(東條)英機が自殺未遂をした日です。
戦後70年という節目の年なので、どこかのメディアが取り扱わないかなと思っていたのですが、サッパリですね。そういう出来事を取り上げるのもやりがいがある話なのですけれども。

東條英機(東条は條が常用漢字でなかったために辞書などで採用されたという)Wikipediaより

陸軍エリートが戦後は一転「大悪人」

まずは、当時の世情からお話していきましょう。
敗戦が決まり、降伏文書への調印も成された後の日本では、それまでの高官たちへの風当たりが極端に強くなっていました。
それは高官たち本人だけでなく家族へも同じで、東條の孫に至っては「この子のお祖父さんは大悪人です」と教師に言われて、クラス中からいじめられたことまであったとか。
東條の孫は当時十代前半から年齢一ケタの子供だったというのに、教師までよってたかっていじめるのでは話にもなりません。
この辺のことについては、降伏文書に署名した外務大臣・重光葵(まもる)も嘆いています。
そんな中で、東條は自らの失策などについて猛省していました。
元々昭和天皇からも格別に信頼されるほど、生真面目な面の強かった人です。まして、悪名高い「戦陣訓」に「生きて虜囚の辱めを受けず」と書かれているものですから、これにのっとった行動を取らねばと思っていたことは想像に難くありません。

実は、戦陣訓を作ったのは東條ではないのですけどね……。それ以前の陸軍大臣やお偉いさんが作り始めたのですが、文章を作るのに時間がかかりすぎて、完成・発表したのが東條の大臣時代のことだったというタイムラグがあります。
現代でも、法律の作成と公布のタイムラグのせいでお偉いさんの評価がズレる、というのはよくある話ですね。
他の記事でも度々書いていますが、何でこういう悪いところばかり何十年も変わらないのか(´・ω・`)

これまた現代でも同じ話ですが、戦時下において一般市民の尊厳を守るための自決というのは、悪すぎる話でもありません。
敗戦前後のベルリンや、満州・朝鮮・樺太に移住していた日本人の記録を見ると、本当に「死んだほうがマシ」としか言いようのないことをされてしまった人もたくさんいたからです。それを乗り越えても、ショックのあまり自ら死を選んだ人が少なくありません。
目を背けてはならない事実とはいえ、あまりにも悲惨なのでここで詳細を述べることは控えます。覚悟ができた方は、ぜひご自身でお調べください。ショッキングな写真や記録がウィキペディア先生でも大量に出てきます。

また、「虜囚の~」戦陣訓の中のほんの一文でして、本来は戦場で兵士が狼藉を働くことのないように戒めるための条文を書き連ねたものです。
これに関してはわかりやすい現代語訳を載せていらっしゃるサイト様がありましたので、参考リンクとしてご紹介させていただきます。
それでも上官の統制がきちんとできていないと、軍紀なんて乱れるものなんですが。

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東條が自殺をした本当の理由

話が逸れました。
つまり、東條は「戦陣訓は政府が出したものなんだから、俺もその通りにすべきだ」という、芯をきちんと持った人だったということです。これは自殺が失敗した後にも言っています。
当然のようにダブルスタンダードを振りかざす昨今の政治家や上司に比べれば、この点だけでも評価に値するでしょう。

そしてそれを実行に移すまでに時間があったのは、この日にやってきたアメリカ軍が約束を違えたたからです。
当時、アメリカ軍と日本政府の間では「日本政府・日本軍の者を逮捕するときには、日本の法律にのっとった逮捕状がなければならない」ということで合意がなされていました。しかし、東條宅にやってきたアメリカ軍は、アメリカの書類しか持っておらず、窓際で話したときにそれを知ったため、東條は自決を選んだのです。
予め医師に心臓の位置を尋ね、印をつけておいたので、そこに向かってピストルを撃つという方法でした。
「頭を撃ち抜かなかったから死ねなかった」→「最初から狂言だった」という説もあります。

これは東條が「敵に恥を晒すまい」と考えていたからとも考えられます。
ちょっとグロテスクな話になりますが、頭を打ち抜けば顔が悲惨なことになるのは当然ですよね。その無様な姿を、アメリカ軍に晒したくなかったのではないでしょう。切腹しなかったのも同様の理由と考えれば、理解できる気がします。
心臓にきちんと狙いを定めて撃てば、可能な限り恥を晒さない姿で死ねると思ったとしても不自然ではありません。
また、自決失敗後に本人が「私が東條だと識別されるようにああした」と言っています。顔がわからない状態になってしまっては、親戚や無関係の人で顔が似ている人に累が及ぶとも考えたのでしょう。

これ以前に、東條は妻に対して「きちんと法律が守られるのであれば、軍事裁判に出頭しよう」と言っていたこともあったそうなので、おそらくはこの辺が理由かと思われます。

しかし、戦争の首謀者として東條を必ず裁判にかけ、処刑することに決めていたGHQは、東條を延命させました。アメリカ軍の中にも、そのために輸血に協力した人がいます。
東條の自決失敗に対する世論は非常に厳しいものでしたが、既にアメリカ軍が外にいる=すぐに救命措置ができてしまったことが大きな原因と言っても過言ではないでしょう。
東條も、まさか自ら死を選んだ敵国の人間の命を助けるだなんて思っていなかったでしょうしね。

この辺はお互いの国民性や文化への理解がなかった、もしくは知っていてあえてそうしたからでしょうけども。おそらく東條が前者、マッカーサーが後者だろうと思われます。
何せ、戦時中のアメリカ軍は薩摩弁の暗号ですら解読させたり、当初は京都に原爆を落とす計画を立てていたりしますから、当時の日本人が何をどれほど大切にしていたか、その文化的背景は何かまで知っていたはずですからね。
ちなみに、その中には「富士山を真っ赤な塗料で染め上げて、戦意をくじく」というアホみたいな策もあったとかなかったとか。あれ……どこかの国で、枯れ草に緑のペンキを撒いて「緑化政策」とのたまっていたような……。

東條についてはとかく「稀代の悪人」という評価のほうが強いですが、逸話からしても、「生真面目すぎてうまくいかなかった、もしくは極端な行動をすることがあった」という点があるのは否めないところです。
たとえば、不仲だった人を更迭したなんて話はいくつもあります。また、女性や娯楽などにも禁欲的で、「親戚がとあるところで戯れに女性の手を握っただけで、後日呼び出してぶん殴るほど激怒した」ということもありました。
子供に関してもまさに「家族計画」という言葉の通り、始めから計画していたのではないかと思えるほど、仕事に支障のないようなタイミングで生まれているくらいです。

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100年後に評価はどうなるか

しかし、プライベートでは良いところもたくさんありました。特に家族や戦死した部下に対しては、手紙や和歌などから細やかな心遣いが伺えます。

そんな話を一つ紹介しておきましょう。
東條は結婚して数年目の若かりし頃、ドイツへ留学していたことがありました。
奥さんは遠い異国での生活を心配して、東條に「寝る前に十回念仏を唱えてくださいね。仏様がご加護してくださるように」という手紙を出しています。これに対し、東條は「毎晩二十回ずつ唱えているから、心配するな」と返事を書いているのです。
好意的過ぎる見方かもしれませんが、おそらくただ乱雑に倍にしたのではなく、奥さんの心遣いに対する礼としてそう書いたのでしょう。普段は奥さんのことを「貴様」と呼んでいたような人だったのですが、そんな人が遠く離れてから気配りを見せる手紙を書いたというのは、いかにも泣かせる話じゃありませんか。

その相手である東條夫人の勝子さんは、戦後「夫の忠義が世間にわかるのは、100年後だろう」と、息子一家宛に書いたことがあります。
万人が納得する評価というのはなかなか難しいですけれども、せめて「100%悪人だったわけではない」ということだけでも、もっと知られていいのではないかと思う人の一人です。
最近は少しずつ東條の評価を見直す声も出てきましたので、100年経つ前にまた変わるかもしれませんね。

長月 七紀・記

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/東條英機
https://ja.wikipedia.org/wiki/東條英機自殺未遂事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/戦陣訓

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http://www.geocities.jp/fujimoto_yasuhisa/bunsho/senjinkun.htm




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