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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

明治時代に日本初の私設孤児院を作った石井十次 児童福祉の父と呼ばれるその足跡

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それまで頼りにしていたものが突然なくなってしまったとき、人はどうやって生きていけばよいのか――。
いい年をした大人ですら困惑し、戸惑ってしまう事態に、もしも子供たちが陥ってしまったときは、もはや右往左往するしかないでしょう。
本日はそうした子供たちの味方になる、とある施設の歴史です。

1887年(明治二十年)9月22日は、国内初の個人経営孤児院「孤児教育会」が岡山に誕生した日です。

今でいえば児童養護施設ですが、孤児よりもなんらかの理由で親から離れることになった子供のための施設になっているということで、名称が変わったようです。当時は文字通りの孤児、つまり両親を亡くした子供のための施設でした。

 

たまたま子供を預かったことから始まった!?

「孤児教育会」は下級武士の出だった石井十次という人が、偶然、とある女性から男の子を預かったことから始まります。
石井はもともと医師志望で、岡山医学校(現在の岡山大学医学部の前身)で学んでいただけに、弱い者への関心もあったのでしょう。
しばらくは医師になるか、孤児の保護に努めるかで悩んだようですが、最初の子供を引き取ってから二年後、学校を中退して後者に専念することを決めました。
このとき石井は24歳。既に結婚もしていましたから、なかなか度胸ある決断ですよね。

さらにその三年後、濃尾地震(明治二十四年・1891年)が起き、このときも多くの孤児が発生したため、岡山から名古屋に来て孤児院を開きました。
この孤児院自体は一年で閉鎖してしまったのですが、子供たちは岡山に連れ帰っています。

 

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開院から20年ほどで約1,200人もの子どもたちが!

その後は日本の企業やアメリカ人などから寄付を受けて孤児院の運営を続け、明治三十一年(1898年)には私立尋常高等小学校も作っています。
尋常高等小学校とは、現在の小学校+中学校の一部を足したような感じの学校です。今の学制とそれぞれの学校の年数が違うのでややこしいんですよね。

幼稚園や夜学校(現在でいう定時制や第二部)なども作り、できるだけ多くの子供がより高度な教育を受けるために尽力しました。
日露戦争の孤児や、凶作による孤児も受け入れています。開院から20年近く経った明治三十九年には、1200人もの子供が岡山孤児院にいたそうです。
他にもスタッフがいるとはいえ、よくこれだけの子供の面倒を見ようと思えたものですね。感服します。

しかし、石井が大正三年(1914年)に亡くなったため、大原孫三郎という人物が後を引き継ぐ形で財団法人石井記念大阪愛染園を設立しました。この施設もその後さまざまな変遷を経て、現在社会福祉法人として続いています。

孤児院の子どもたち/石井記念友愛社HPより引用

 

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古くは奈良時代 和気広虫たちが取り組んでいた?

さて、一個人が経営した孤児院としては上記の通り石井らの作ったものが初めてだろうと思われるのですが、お上が類似施設を作ったこともありました。

昔も昔の大昔、奈良時代に和気広虫(わけのひろむし)という女性や正子内親王(五十三代淳和天皇の皇后)が、孤児の救済に動いたという記録があります。
広虫については以前取り上げたことがありますので、よろしければあわせてどうぞ→過去記事:奈良時代のマザー・テレサ和気広虫 天へと飛んでいく【その日、歴史が動いた】

和気神社にある和気広虫像。和気清麻呂の姉で女性です/Wikipediaより引用

 

皇族以外から初めて皇后になった光明皇后(藤原光明子)も、孤児や貧しい人々のために「悲田院」という施設を作っています。悲田院の発祥は聖徳太子だという説もあります。まぁ、どちらにせよ奈良時代の話ですね。
そういえば仁徳天皇(第十六代)の伝説にも、「町から炊煙が昇っていないのを見て、税を三年間免除した」なんて話があります。
古代の天皇やお偉いさんは、庶民の暮らしにまでよく目が行き届いていたようですね。

その他に、孤児院という形式ではなくとも、個人的に孤児を引き取っていたという人の話はちょくちょくあるようです。いつの時代も良い人はいるものですね。
まぁ、子供も働くのが当たり前だった時代のほうが長いので、「最初面倒だけど、ガンガン働いてくれれば元は取れるな」と思われていたのかもしれぁませんが。心が汚くてサーセン。

 

欧米では救貧院が同等の機能を持つ 英国では1834年に法律も

欧米では「救貧院」という施設が孤児院と同様の意味を果たしているようです。
子供に限らず、貧しい人や高齢者を収容するもので、昔は教会に併設されていることが多かったようですね。
そういった施設は「アルムスハウス」と呼ばれるのですが、働ける人の場合は「ワークハウス」というところで職業訓練を受け、労働をしていました。
とはいえ、こういった概念ができ始めた頃の状況は過酷で、入らないほうがマシと言われることもあったとかなかったとか。

特にイギリスの場合は、1834年に救貧法という法律ができてから「貧しいヤツは皆役所の管理下にあるワークハウスに入るように」(超訳)ということになったため、その中でも体力のない人々は悲惨な状況になっていたようです。
日本的な表現で言えば、タコ部屋に子供や老人なども一緒に押し込められているような感じでしょうか。
今はさすがにそんなことは……ないと思いたいですね。

現在、孤児院の類が最も必要と思われるのはいわゆる途上国ですけれども、こちらはそもそも、そんな施設を建てるお金や土地、安全等がないために計画も進まないという状況が多いようです。
また、これは孤児院に限りませんが、途上国の場合「援助されて当たり前」というように現地の人々が思ってしまうと、なかなか教育が進まず、結果として貧しいままになってしまうという悪循環が生まれることもあります。
最近では、働くための技術を教えて自活を促すという方向になってきているようですが。「魚と釣り竿」の話と同じですね。

貧しいから、孤児だからというだけで未来が閉ざされることのない社会が理想的なのでしょうねぇ。現実は「言うは易く、行うは難し」ですけども。

長月 七紀・記

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参考:みやざきひむか学ネット エンゼルカレッジ 石井十次/Wikipedia 孤児院/Wikipedia

 

 




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