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女性 その日、歴史が動いた

謎多き和宮親子内親王の替え玉説 その真贋を考えてみる

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「謎」ほど、古今東西人の心を惹きつけるものはないかもしれません。
お金や恋愛に興味が薄れつつあるとも言われる現代でも、「○○の謎が明らかに!」というような番組や本はだいたい脚光を浴びますよね。
本日は日本史におけるそうした「謎」ともいわれる、とある人物のお話です。

文久元年(1861年)10月20日は、和宮が降嫁のため京都を出発した日です。

公武合体の象徴とされる出来事ですので、このこと自体は何を今更という感じもしますね。
そこで今回は、有名?な「和宮は替え玉」説その他、和宮にまつわるさまざまな説について、少々私見をお話したいと思います。我ながらいつもよりさらにトンデモな話の流れになっている気がしますので、そういったお話がお嫌な方は他のコーナーへどうぞ。

和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)の肖像画/wikipediaより引用

 

そもそも替え玉説はいつから囁かれ始めたのか?

このお話をするにあたっては、まず替え玉説がいつ頃から語られるようになったのかということを理解しておく必要があります。
たぶん替え玉説をご存知の方なら一度は聴いたことがあると思いますが、「和宮様御留」という小説で大きく話題になったことが発端。
作者の有吉佐和子さんが「とある婦人から聞いた」という証言を元にして書いたとされていますね。

実は、和宮の替え玉説、もしくは「史実とされていることとは違う亡くなり方をした」という話については、有吉さんが聞いた以外にもいろいろな異説があります。

1950年代に増上寺の徳川家墓所が発掘調査されていた最中には、匿名の女性から「和宮様は箱根で盗賊に襲われて自害した」「そのときの傷がご遺体にあるはず」という投書が送られてきたこともあったそうです。
もっとも、「(当時日本にすらいなかったはずの)岩倉具視がこのことを隠した」など、話がめちゃくちゃすぎて検証の余地もなかったそうですが。
というか、高貴な女性が自害するまではいいにしても、骨まで到達するほどの傷を自らつけることは無理ですよね……そんなん武士でも難しいんじゃないでしょうか。

 

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DNA鑑定の結果、別人のものだった!?

また、和宮替え玉説についての根拠として挙がるのが「夫である家茂の棺に入っていた髪が、DNA鑑定の結果別人のものだった」という点です。
別人なのはいいとしても、「ならば誰なのか」という話に至っていないことが多いのはナゼですかね。むしろそっちのほうが重要だと思うのですが、「徳川墓所に埋葬されていたのが和宮ではない」ということを言いたいがために、こじつけているような感が強いような。

公式記録では側室がいないということになっている家茂ですけれども、和宮以外の女性に全く手をつけなかったわけではないでしょう。そもそも大奥でその辺の講義・実習もするわけですし。

家茂と和宮になかなか子供が生まれないので、世継ぎを得るために側室を勧められたこともあります。そのときに「前お気に入りだったあの女性はいかがですか?」なんて話もあったかもしれません。その後長州征伐のために家茂が大阪へ行く際、「あの子は公方様のお手がつくような縁起のいい子だから、髪の毛をお守りにすればご武運も開けましょう」なんて話が(ry

この辺の話を勘繰るとキリがないのでそのあたりにしまして、次はこれまた有名な「和宮の左手」の話をいたしましょう。

 

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左手の遺骨が見つからなかったのは多発性神経炎のせい?

発掘調査の際、和宮の左手の遺骨が見つからなかったという話です。まんまですね。
「生前から左手がなかったのではないか」「誰かが持ち去ったのでは?」など、こちらもさまざまな説がありますが、ここでは脚気という病気に焦点を当ててみましょう。

脚気は病名通り足が悪くなる病気です。が、実は脚気の症状の中に、手にも影響が出るものがあります。多発性神経炎という症状で、両手足の手袋・靴下の位置のしびれにより、歩行困難などの運動障害が出るそうです。
亡くなる三年ほど前から脚気を患っていた和宮に、多発性神経炎の症状が出ていたであろうことは想像に難くありません。

もし、歩行が難しくなるほどの麻痺が、手に現れたらどうなるでしょう? 手を使ったり、人前に出すのが嫌になりますよね。
元々皇女ですから、ご自身で何か物を持つようなことも少なかったでしょうし、使わない部分はさらに弱るもの。となると、仮に三年間左手をほとんど使っていなかったとしたら、亡くなる直前には相当手の筋肉が弱っていたのではないでしょうか。
となれば、亡くなった後に筋肉や脂肪が骨をガードできる期間も短いわけで、そのために左手の骨が早く分解されてしまった……なんてことが起きたのかもしれません。

当時の新聞でも、「和宮の遺体は泥の中に埋もれていた」とあるので、もし本当に左手の骨の分解が進んでいたら、泥に紛れて見つからなくてもおかしくはない気がします。
発掘調査のときは相当湧き水でてこずったそうですし、作業中に細かくなった骨が流れていってしまった……という可能性もなくはないですね。

 

「異説が多い人ほど、通説のほうが正しい」気がします

まあ、これはワタクシ個人のトンデモな予測ですから、あまり鵜呑みになさらないでくださいね。医学的な見地については、馬渕まり先生にお願いしたほうがいい気もします。
だったらなんで書いたんだって? こまけえこたぁいいんだよ。

これまた個人的な見解ですが、「異説が多い人ほど、通説のほうが正しい」気がします。

異説が多いということはそれだけささいな可能性から話を広げているわけで、そこには語り手の願望が大なり小なり含まれるからです。

「オレ様の言っていることが真実! 他の奴らpgrwwwwww」とさえ言わなければ、誰がどんな説を唱えてもいいんじゃないでしょうか。

……というわけで、「こいつバカスwwww」というのは控えていただければ(´Д`)

長月 七紀・記

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参考:和宮親子内親王/wikipedia BOOKSTANDニュース 今日は何の日?徒然日記 なんでも保管庫

 

 




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