寺社・宗教

除夜の鐘「108回」は煩悩の数ではない→「たくさん」という比喩だった

大晦日といえば除夜の鐘。

昨今は「うるさい」とのクレームで中止になった――なんて世知辛い話もありますが、除夜の鐘といえば煩悩というわけですね(どういう)。

これは一体どういうことなのか?

本日はこの二つに関するお話をお届けします。

 

 


八百万の神々という表現を使う国ですので

まず二つに共通するものといえば「108」という数字でしょう。

人間が抱える煩悩の数を表しているとされ、日本人なら誰もが幼き頃から教わってきたと思われます。

しかし実は、煩悩の数も除夜の鐘をつく数も、ぴったり108個とは限らないのだそうです。

同じく煩悩や「108」が関係する数珠も宗派によって「数はいくつでもおk」としているようです。
こうなると、ますますこの数の意義が疑わしくなってきますね。

理由はいろいろありますが、”そもそも「108」という数字自体が「たくさん」の比喩だから”というのが一番しっくりきますかね。
ほら、神様の数だって「八百万(やおよろず)」っていう国ですから……。

 


地獄があまりに長いから、生きてる間は執行猶予?

108個の内訳はいろいろあるのですけれども、この辺の説明をし始めるとそれこそ仏教のお勉強をしなくてはならない上、日常で使うような単語でも全く違う意味になるので割愛しますね。

それにしても、これだけよろしくないものが数え上げられているにもかかわらず、一神教のように「◯◯したら、けしからん!!」と規制を設けないところが不思議です。

旧約聖書のモーセなんて、せっかく神様から十戒を授かったのに、帰ってきたら人々がいろいろアレな状態だったのに腹を立て、十戒が刻まれた石版を自ら叩き割っておりますし。なぜ、神様は短気を禁じてくれなかったのでしょう(´・ω・`)

仏教の場合、地獄で文字通り気が遠くなるほど裁かれるから、生きている間は執行猶予ということなんでしょうか。なるほどわからん。

いや、それよりもここはむしろ「除夜の鐘が八百万回でなくてよかった」「数珠の珠の数が(ry」と思うべきですかね。

もし鐘の方を実行したら、どのくらい時間がかかるんでしょうかねぇ。ぜひ、エリック・サティの迷曲「ヴェクサシオン」とタイマン張ってほしいものです。1分程度の曲を840回繰り返す「嫌がらせ」という意味の曲でして。

これまた余談ですが、日本初のヴェクサシオン演奏は1967年~1968年の年越しの際だったそうで。これを弾きながら・聞きながら新年を迎えた方の感想を是非聞きたいものです。

 


新年が始まってから1つ目の鐘をつくところもあるとか

また、除夜の鐘をつき始めるタイミングも全国で統一されているわけではないのだとか。

多くのお寺では107回までを大みそか中につき、108回目を鳴らすのと同時に新年を迎えるようにしています。
NHKの「ゆく年くる年」でもおなじみの光景ですね。

しかし、場所によっては新年を迎えてから1回目をつくこともあるのだそうで。
その場合、「旧年中の煩悩を払う」という目的が薄れる気がするのですが……。「年が明けたからこそ煩悩を払って清々しい気分にならなければならない」ということなんでしょうか。

何だかまとまらなくなってきましたが、仏教や日本文化のおおらかさを感じつつ、新しい年を迎えるとしましょう。

それでは皆様、よいお年をお迎えください。
来年(明日)からもどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
除夜の鐘/Wikipedia
煩悩/Wikipedia


 



-寺社・宗教
-

×