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その日、歴史が動いた 江戸時代

江戸時代の武家ってどんな正月を過ごしていたの? 書籍『隠居大名の江戸暮らし』(吉川弘文館)に学ぶ

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えー、新年早々お詫びをしなくてはなりません。
私事で大変恐縮なのですが、ワタクシ喪中のため例年通りのご挨拶をすることができませんスミマセン。
今年も当コーナーをご愛顧いただければ幸いです。……これならセーフですかね……?

まあそれはともかく、本日は元日。今年最初の記事は、江戸時代の武家のお正月について見ていきたいと思います。

とはいえ、300ともいわれる藩の習わしを全て書いていたら何万字になるかわかりませんので、今回はこちらの書籍を参考にさせていただきながら進めて参ります。

 

 

この本は、臼杵藩(現・大分県)の大名である稲葉家のしきたり等について書かれているものです。
タイトルからするとご隠居のことしか書いていないような感じがしますが、現役時代やいわゆる「奥」のことも出ておりまして大変興味深いです。

当書籍によると、まず稲葉家は以下のようなスケジュールでお正月のお祝い・その他しきたりをこなしていたようです。

では一つずつ見て参りましょう。

 

◆一月一日~藩主は江戸か国許か

藩主が江戸屋敷にいるか、国許にいるかでそれぞれの屋敷や城での過ごし方が多少変わってきます。
在国の年の場合は、午前六時(!)に家臣一同が藩主にご挨拶をし、熨斗(のし)を賜っては退出するというめんど……恒例行事がありました。
この時刻は、江戸城で将軍が挨拶を受ける時刻と同じだそうで。当時は電気がない=皆朝型生活ですから、これでもめちゃくちゃ早いというわけではないのですけれども。

江戸屋敷でも同様に朝から家臣たちの挨拶を受けますが、藩主在国の年は、正室が藩主の代理を務めていました。
また、年が明けて初めて汲んだ水を「若水」といい、邪気を祓う縁起物として一番に飲むという習慣があったそうです。これは現代でも真似できそうですね。験担ぎにいいかもしれません。

藩主の子供たちには縁起物として鯛などが出されたり、現代でいうお年玉として、すごろくやお菓子なども贈られました。
ご隠居へは、スプリング(バネじゃないほう)な絵も贈られていたそうです。前日に煩悩払ったばかりやがな(´・ω・`)
まあ、某有名大名のご子孫いわく当時は「挨拶代わり」に贈るものだったそうなので、煩悩的な意味ではないのかもしれません。

 

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◆一月二日~買い初め(かいぞめ)とは?

掃き初め・買い初め・書き初め・裁ち初めなどなど、年が明けてから初めての諸々を行う日です。ものや年によってはもう少し後の日付に行っていたこともあります。

「買い初め」だけ何のことだかイメージがつきにくいですが、これはお抱え商人が年明け初めてのお買い物をしていただくべくやってくることだそうで。今年は某百貨店グループが「初売りを遅らせます!」ということで話題になりましたね。江戸時代の商人も年明け早々働いていたんですなぁ。
もっとも、江戸時代の商人や職人は毎月一日を休みにしていたようなので、お正月でもいつも通りだったというだけかもしれません。

また、稲葉家では初夢の験担ぎとして、二日には宝船の絵を女中や下男に配っていたとか。城下で宝船の絵を売り歩く商売があったそうなので、随分と気前がいいですね。
買い付けたのか、お抱えの絵師に描かせたのかわかりませんが、いずれにせよそこそこのお金をかけて、下働きの人間に文字通り「いい夢を見せてやろう」というのは心温まる話です。たぶん。

 

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◆一月三日以降~七草粥に鏡開き、とんど焼きなど

三日や五日はその年によってお客さんをもてなしたり、二日にやらなかった「◯◯初め」を行っていたようです。幕府のお偉いさんや大名同士へのあいさつ回りもありますから、正月休みなんてあってないようなものですね。

七日以降は、現代の我々にも馴染みのある行事が続きます。
七日の七草粥、十一日の鏡開き、十四日のとんど焼き、十五日の小正月(上元)などを行っていました。この辺はおそらく他の大名家でも同じでしょう。
特に鏡開きは、元々鎧の前に供えていたお餅を十一日に槌で割って食べたことが由来ですから、武家にとってなくてはならないしきたりでした。

女性の場合は、鏡台にお餅を供えてやはり十一日に食べていたようです。「化粧は女性の鎧兜」ということですかね。わかるような、わからないような……。
例によってどこで見たのか忘れてしまったのですが、時代や家によっては鉄砲の撃ち初めなどもお正月の恒例行事になっていたようです。

他に武家の正月のしきたりというと、毛利家の「殿、徳川を討つ準備が整いました」「いや、今はまだその時ではない」なんてやりとりが有名ですが、アレはネタである可能性が大だとか。近年のご当主もご存じないそうですし、島津家にも似たような話があるようなので、恐らくは明治になってからうまいこと考えた人がいたのでしょうね。
まあ、「実は本当にやってたけど、公的に認めちゃうとマズイのでネタだということにしている」可能性も無きにしもあらず、ですけども。どっちにしろ面白いからおkおk。

今年もこんな感じでゆるーくやっていきますので、皆様の暇つぶしにご活用いただければと思います。

どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

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長月 七紀・記

 




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