お家騒動ばっかり!ゴタゴタ続きの毛利家(長州藩)初期の頃のお話

江戸時代は「泰平の世」と言われる通り、基本的には戦がなかった時代です。
しかし、為政者である大名たちにとって楽だったかというと、そうとも限りません。
武力以外に生きる道を見つけられなかった人もいましたし、政治トラブルによって家ごと潰されてしまった人も多々いました。
本日はそんな大名たちの中から、四苦八苦しながら生き残ったあの家の初期のお話をご紹介しましょう。

慶安四年(1651年)1月5日は、長州藩の初代藩主・毛利秀就が亡くなった日です。

この方は、父の毛利輝元が40代に入ってからの子供でした。
戦国時代の40代というと、そろそろ隠居を考える時期。つまり、実子ができる可能性は下がっている頃合=養子を取っていないと家がヤバイ(小並感)な時期です。
輝元も「もう子供は授かれないかもしれん」と考え、従弟の秀元に跡を継いでもらおうとしていました。

そこに秀就が生まれたため、「やっぱあの話ナシで」ということになったのですが……これアカンやつや。

偉大なる元就さんのご子孫たちは……/イラスト・富永商太

偉大なる元就さんのご子孫たちは……/イラスト・富永商太

 

毛利秀元がデキた人だったので即トラブルにはならなかったが

普通ならトラブルになりかねないところ、秀元は性格的にも能力的にもデキた人だったので、自分が家を継げなかったからといって、その場で駄々をこねたりはしませんでした。
そもそも、関が原の戦いで毛利家の領地が取り上げられたとき、「ならば私の領地を差し上げます」と言った人ですからね。
その辺の詳しい事情は以前彼の記事(過去記事:ホントはすごかった毛利元就の孫、もちろん輝元じゃないよ【その日、歴史が動いた】)でお話しているので割愛しますが、気前がいいにもほどがあるやろー。

また、輝元は関が原の責任をとって実質隠居することになりましたので、幼い秀就を支えるのは秀元の仕事でもありました。

むろん、それだけで家康からの信頼が得られたわけではありません。

秀就は結城秀康の娘を正室に迎え(させられ)たり、いろいろ苦労をしています。28歳のときには輝元が名実ともに隠居しましたが、その後も秀元や家臣たちが実質的な政治を行ったため、秀就は名ばかりの藩主となってしまいました。
この歳になってまで子供扱いをされるというのは、秀就にとって耐え難い屈辱だったことでしょう。

 

素行の悪い秀就さん 秀元との関係も徐々に悪化し……

どのくらいの時期からだったかははっきりしませんが、若いころの秀就は素行の上でもあまり藩主としてはふさわしくありませんでした。
「毎晩遊びほうけている割に朝はちゃんと起きるが、寝不足すぎてまともに仕事ができなかった」とか、「初めて領地入りしたとき、あまりにもいかめしすぎて領民が逃げた」とか、「家康危篤の際に江戸で遊んでいて、駿府にまで噂が届いていた」などなど、悪い話には事欠きません。
幕閣からですら「毛利殿は生まれつき不調法だから構わない」という扱いを受けていたほどです。ひでぇ。

反対に、秀元は幕府ができる前からデキる人として知られていたので、必然的に幕府からの態度も真逆のものになります。

そのため、秀就と秀元の関係は次第に悪化し始めました。

秀就36歳のときに秀元は後見役を辞めるのですが、この後から長州藩の中で不穏な空気が強まります。
秀元が独立を計画したり、江戸城普請への参加を断ったり、すねた父親のような行動をし始めてしまったのです。

しかも、長州藩の土地は元々秀吉が「ここは秀元のものだから、誰も手を付けるな!」という特権で与えたものだったので、秀元ナシでは名目上マズイことになります。
そのため幕府も手荒なことができず、「二人ともいろいろあったのはわかるけど、親戚なんだし仲良くしなさい(´・ω・`)」(※イメージです)と仲裁に入っています。

 

二代目も三代、四代、五代目も色々と落ち着かず

ちなみに、この頃の将軍は三代・家光です。改易される大名が結構多い時期であったにもかかわらず、長州藩が穏便に済まされたのは、やはり秀吉のお墨付きが効いたのでしょう。
それが後々倒幕の一角になるのですから、いやはや皮肉なものです。
いや、むしろ初代藩主がこれだけアレだったにもかかわらず、家を残すために奔走した家臣たちを称えるべきでしょうか。
というのも、長州藩初期の頃は、いささか問題アリな藩主が多いのです。

秀就の息子で二代藩主の綱広も「私は毛利の直系なんだから、徳川なんぞに頭を下げるいわれはない!」(意訳)というわけのわからん理由で江戸城への出仕を渋るというとんでもない人でした。さすがにこれには家臣のほうが青ざめて、幕府に願い出て綱広を隠居させることで勘弁してもらっています。

が、三代藩主になった吉就は嫡子をもうける前に20代で亡くなってしまい、四代藩主の吉広もまた藩政改革に尽力したものの、30代半ば、かつ跡継ぎなしの状態で世を去っています。
五代藩主の吉元の代にやっと落ち着いたかと思えば、またしても親戚同士のトラブルが発生。ようやく落ち着いたのは、七代目の重就の時代のことです。

とはいえこんな経過ですから、当然長州藩は見事なほどの財政難に陥ってしまいました。秀就の時代から130年ずっとこれでは、財政が傾かないほうがおかしいというものですが。

この間、親戚同士で末期養子も何回か取っていますし、ホントによく家を残せたものですね。
広い意味で「ギリギリのところで生き残る」ととらえるとしたら、元就以来の毛利家の特徴といえるのかもしれません。

毛利家臣の胃痛はマッハだったでしょうけどね。オー○事オー○事(古い)

長月 七紀・記

参考:毛利秀就/wikipedia

 


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