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その日、歴史が動いた 世界史データベース

各国の「国葬」事情を調べてみた 意外(?)なことに日本では戦後行われていない

更新日:

 

人間、生きているうちに何人かは大切な人を見送らなければなりません。

生まれた順番通りであればある程度覚悟する時間もありますが、それでも悲しくないわけではないですよね。家族や直接付き合いがあった親しい人だけでなく、より多くの人に慕われているような人なら余計にそうでしょう。
本日はそういった気持に区切りをつけるための「アレ」に関するお話です。

1806年(日本では江戸時代・文化三年)1月9日は、イギリス海軍提督ホレーショ・ネルソンがイギリス君主以外で初の国葬にされた日です。

亡くなったのがトラファルガーの戦い(過去記事:ネルソンタッチなる戦法がやべぇ! ナポレオン戦争・トラファルガーの海戦【その日、歴史が動いた】)で10月下旬のことですから、結構な時間が経っていますが、これはネルソンの遺体がラム樽で保存されたということも大きいかと思われます。

ちなみにそのラム、水兵たちがこっそり飲み続けていて、港につく頃にはすっからかんになってしまっていたそうです。
このことからラムを「ネルソンの血」と表現することがあるのですが……遺体の浸かったラムを飲む度胸がすげえですね。ハブ酒とかとはわけが違いますし。

というわけで(どういう)、本日は「国葬」のお話です。

ロナルド・レーガン元アメリカ合衆国大統領の国葬/Wikipediaより引用

 

ニュートンやチャーチル、マッカーサーなど

まずはネルソンの国・イギリスから。
王室はもちろん、国に対して多大な貢献をした人は国葬の対象となるため、比較的件数が多いような気がします。
日本人も知っている人だとアイザック・ニュートンやウィンストン・チャーチルなど。
フローレンス・ナイチンゲールのように政府から国葬が打診されても本人もしくは遺族が辞退した人もいますが、少数派です。

アメリカでは、現職の大統領及び大統領経験者が基本的に国葬とされています。リチャード・ニクソンだけは諸々の理由で辞退していますが。
場合によっては、軍人が国葬扱いになることもあります。これまた日本人が知っている人だと、ダグラス・マッカーサーとかですね。

国葬とまで行かなくても、公共施設に一時「棺」が置かれ、一般人がお別れする時間を作るという習慣もあるようです。ニクソン元大統領も、彼の名を関した図書館に棺が安置されていた期間があるそうで。

国葬の話とは関係ありませんが、存命中の人物の名前を建物につける、って結構面白いですよね。何かあったときにトラウマになりそうなヨカーン。

フランスはイギリスに近く、大統領もしくは国家に貢献した芸術家などが国葬の対象とされております。
同じく日本人に馴染みのある人でいくと、ヴィクトル・ユーゴーやシャルル・カミーユ・サン=サーンスあたりでしょうか。

国葬のために合衆国議会議事堂内ロタンダに安置されたフォード元大統領の棺/Wikipediaより引用

 

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戦後、法律が変わって行われなくなった

一方、我らが日本は現在「国葬」というものがありません。

戦前は皇族・薩長出身のお偉いさん・首相・太政大臣・左大臣・右大臣などが国葬の対象とされていたのですが、戦後になって法律が変わり、国葬自体が行われなくなったのです。例外として、吉田茂は閣議の決定により国葬になっていますが、現時点ではそれが最後です。
政治家でも政党や内閣などが遺族と合同で葬儀を執り行うことが多く、国費は使われていません。

西園寺公望の国葬/Wikipediaより引用

皇族については「皇室主宰」という扱いのため、国費が使われていても国葬とはまた少し違うことになっています。実質的には国葬といってもいい気がしますけどね。

また、母国とは違う国で国葬を受けた人もいます。
ここでは日本人の中で、外国で国葬された方を何人かご紹介しますね。

 

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【外国の国葬を受けた日本人】

・安達峰一郎氏
アジア系として初の常設国際司法裁判所の所長を務めた方です。
が、就任直後に日本が国際連盟を脱退したため、心労から心臓病になり亡くなられました。
1934年、オランダで国葬されています。

・近藤常子氏
ユーゴスラビアに初めて移住した日本人女性です。
看護師をされていたため、第一次世界大戦中に中国へ従軍し、野戦病院で後の夫となるユーゴスラビア人の青年と知り合いました。第二次世界大戦後、ユーゴスラビアに移住したのですが、夫と息子を亡くしています。
その後も帰国はせず、日本とユーゴスラビアの友好に尽くしました。「マダム・ヤパンカ」として親しまれていたそうです。「ヤパンカ」が日本人女性という意味なので、ユーゴの人々にとって日本人女性の代表格といったイメージだったのでしょうね。
1963年、ユーゴスラビアで国葬されました。

・西岡京治氏
ブータンで農業指導を行い、「ブータン農業の父」と尊敬された方です。
同国で一般人に与えられる最高の敬称をつけて「ダショー・ニシオカ」と呼ばれています。
1992年、ブータンで国葬されました。

ブータン人と日本人は顔立ちがよく似ているといわれますので、親しみを持たれるきっかけになったかもしれませんね。
ブータンの民族衣装「ゴ」にも、和服との共通点があるそうです。西岡さんがゴを纏っている写真があるのですが、「違和感仕事しろ」って言いたくなるくらい似合っています。

ブータンで28年もの間、農業に従事していた西岡氏/JICAより引用

余談ですが、先代のブータン国王が昭和天皇の大喪の礼(※真冬)の際、身につけていたのもゴでした。
宮内庁の人が「寒いので上着をお召しください」と言っても、「陛下に失礼だから」とそのまま出席されたという話が有名です。その後、風邪やインフルエンザになられなかったかが気になりますが、特に記録がないのでたぶん大丈夫だったのでしょう。まぁ、「他所の君主の葬儀に行って病気になりました」なんて報道できないでしょうけれども。

葬儀とは死者の魂をあの世に送り、遺族や親しい人が気持ちの整理をつけるはじめの一歩です。国葬の場合はそれに加え、国として感謝を伝える最後の機会といったところでしょうか。

だからこそ、母国はもちろん、外国人に対して行われることもあるのでしょう。

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長月 七紀・記
参考:国葬/Wikipediaより引用 JICA

 




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