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その日、歴史が動いた 江戸時代

ゴハンを貰って尺八を吹く虚無僧 なんと江戸期にはニセモノが跋扈し、犯罪を重ねていた!?

更新日:

 

「戦わなきゃ、現実と!」
そんなシチュエーションは誰もが経験のあることだと思いますが、残念ながら世の中の1/3くらいは戦わずに逃げる人ではないでしょうか。
ただコレをゆとりだなんだというのはちょっと早計。歴史的には現実と戦わず逃げた人の記録というのもまた残っております。

延享元年(1744年)1月19日に、江戸幕府が偽虚無僧を取り締まりはじめたのも、そんな理由でした。

虚無僧が現実から逃げたのではなくて、虚無僧の姿を悪用して現実から逃げる人がいたのです。

一体どういうことなのか?早速、見て参りましょう。

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【TOP画像】虚無僧/wikipediaより引用

 

元は普化宗という仏教の一宗派だった

江戸時代は、寒冷期だったり飢饉などの災害が多かったりとはいえ、人口が急激に増えた時代です。
人が増えれば、善人も悪人も増えるのが世の習い。
そしていつしか、「虚無僧のコスプレしとけば、顔がバレないから何かやっちゃっても逃げられる!」というのが、悪人の逃亡スタイルとして確立してしまったのです。

しかし、元々虚無僧とは「普化(ふけ)宗」という仏教の一宗派の僧侶です。真面目にやってる人からすれば、そんなニセ虚無僧は迷惑きわまりありません。
しかも偽者どもは、虚無僧の習慣だけは把握していたので、それを悪用してますます悪事を働きました。

ここで「普化宗・虚無僧とはなんぞや?」というお話を先にしておきましょう。

普化宗とは、13世紀に中国に渡った僧侶が伝えた宗派です。この最初の人が四人の弟子をとり、彼らもまた四人の弟子を取ったことで16の派に分かれました。
のちのち統廃合にあたる動きをするのですが、さらにその後、鎌倉時代前半におおよそ二つにまとまります。
「普化宗」という宗派名の下、一つになったのは江戸時代頃の話です。

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唯一の決まりは「修行と托鉢のため、尺八を演奏する」こと

宗派の教えとしてはあまり堅苦しくはなく、「修行と托鉢のため、尺八を演奏する」というのが唯一はっきりした決まり事でした。あとは服装の規定くらいです。

それではマズイと思われたのか、慶長十九年(1614年)に幕府から「慶長之掟書(じょうしょ)」という決まり事を(押し?)つけられています。

これによると、「虚無僧は浪人がなるもの」ということになっていたり、「虚無僧は仇討のために諸国を旅しているので、他の人は無礼な態度をとってはいけない」「法冠(天蓋とも。虚無僧が被ってるアレ)をみだりに取ってはいけない」という必殺仕事人みたいな扱いになっていたり、ある程度の制限をつけた上で、その存在が認められていたようです。
結びには「普化宗は武者修業のための宗派なので、武家として正しい行いをしなくてはならない」とも書かれています。

……こう書くと、むしろ幕府が諸国への目付役をさせるために、虚無僧という身分を作り、カムフラージュしたような気もしますが……その辺は下衆の勘ぐりですかね。

「慶長之掟書」自体も原本が現存していないため、真偽を確かめることもできませんし。

現代の虚無僧/wikipediaより引用

 

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虚無僧の姿をしていればマジメ!? それが問題に……

まあそれはともかく、虚無僧はそんな経緯で世に現れた、新しい僧侶だったわけです。
各地の民家を訪ねて托鉢を頼めば、生きていくのには困らない程度に生活が成り立っていたわけですから、当時の人々の信心ぶりがうかがえます。
もちろん、ただ単に食をたかるだけではなく、喜捨をしてもらう代わりに、虚無僧はお経代わりとして尺八を吹いてあげるワケです。

今でも尺八が吹ける人というのはそうそういませんが、当時は基本的に虚無僧だけが演奏を許されたので、尺八=虚無僧=真面目な僧侶、という扱いでした。
このため普通の人は、たとえ偽者であっても「尺八持ってるなら虚無僧さんだろ。ちょっとご飯あげて尺八吹いてもらおうぜ」と思ってしまっていたのです。

それが問題の大元でした。

信心深い当時であっても「功徳? んなもんイラネ」な人はおり、虚無僧への喜捨を断る人もいました。
もちろん普通の虚無僧であれば、「そうですか(´・ω・`)」と帰るだけです。

しかし、偽者は追っ手から逃げる間のご飯をたかるために虚無僧の格好をしているわけですから、そうはいきません。
虚無僧はお偉いさんに会っても法冠を脱がなくていいことになっていたため、顔が見えないのをいいことに暴れ回ったり、家や物を壊すという事件が多発しました。
どう見てもただのチンピラです。

 

明治時代にいったん廃止されるも、なぜか京都で復活を果たす

元は幕府がお墨付きを与えた職業ですから、それを騙るなど言語道断であります。
ということで、幕府のほうでも対策をすべく、取り締まりを始めたのでした。

この後、ニセ虚無僧に関する大きな事件も起きていないので、取り締まりが功を奏したのでしょう。

その後、明治初期に「虚無僧は幕府の手先みたいなもんだから廃止」(超訳)ということになったものの、20年もしないうちに「京都の明暗寺を本拠にするんならいいよ」(超訳)と復活させています。

どういう風の吹き回しなのかサッパリわかりません。

明治政府も虚無僧を国内のスパイとして活用しようとしたのでしょうか。
その割に、たびたび外国からのスパイに関する事件は起こってますけども……。まぁ、防いだから件数が減ったのかもしれませんしね。

……あまりその辺をツッコむと命が危ない(小並感)ので、この辺にしておきましょうか。くわばらくわばら。

長月 七紀・記

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参考:今日は何の日?徒然日記 虚無僧/wikipedia 尺八/wikipedia 普化宗/wikipedia

 

 




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