フランス王の支配に抗った女傑ブルターニュ 彼女が仏国で人気のある理由とは

 

「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があります。皆さんご存じの通り、「見た目はちっぽけでも、それなりの意地や誇りがある」という意味です。
言い換えれば、「立場が弱いからといって自分の考えやプライドを捨てる必要はない」ということにもなるのではないでしょうか。
本日はそのように生きた、中世のとある女性のお話です。

1477年(日本では室町時代・文明九年)1月25日は、後のフランス王妃アンヌ・ド・ブルターニュが誕生した日です。
おそらく大多数の方が「なんのこっちゃ?」だと思いますので、まずはフランスという国がどんな経緯をたどってきたのかを見てみましょう。
この辺の時代については、教科書だと大航海時代や宗教改革を扱うので、かっ飛ばされてしまっているんですよね……(´・ω・`)

アンヌ・ド・ブルターニュ/wikipediaより引用

 

【10行でわかるかもしれないフランス史の流れ】

ローマ帝国時代・ガリア

フランク王国から西フランク王国へ

カペー朝 アナーニ事件とかアヴィニヨン捕囚で教皇と対立したり

ヴァロア朝 百年戦争、ユグノー戦争、イタリア戦争 ←今日この辺

ブルボン朝 ルイ14世と絶対王政

フランス革命 フランス人権宣言、ルイ16世ら処刑

帝政フランス ナポレオンの時代

共和制・王政・帝政を行ったり来たり (ややこしいので各自きちんと勉強しましょう)

二度の世界大戦 ぶっちゃけいいとこなし

共和制で安定して現在に至る

年号とか細かいことを省くとこんな感じです。
今日の舞台は、ヴァロア朝の中頃。もうちょっと具体的にいうと、百年戦争(ジャンヌ・ダルクが活躍したアレ)から40年くらい経った頃の話です。

 

各地に首領が点在し、フランス王とは別の君主が複数いた

当時のフランス王国は、現在のフランス全土を領地として持っていたわけではありませんでした。他にいくつかの国があり、フランス王とは別の君主を戴いていたのです。
百年戦争でフランス・イギリスの他に「ブルゴーニュ公国」というよくわからん国が出てくるのはこのためです。

そういう状況では、政略上の取引やら約束やら、あるいは結婚やらをする必要が出てきます。
アンヌ・ド・ブルターニュも、そんな女性のひとりでした。

「ブルターニュ」とは、当時公国だった地域の名前です。現在のフランスにも同名の州がありますので、ご存じの方も多いでしょう。
彼女はブルターニュ公爵家に生まれ、しかるべき教育を受けて育ちましたが、ちょうど年頃の女性に育った当時、ブルターニュ公国では大問題が起きます。

跡を継ぐべき男系男子がいなくなってしまったのです。

これを聞きつけたフランス王国は、「跡継ぎがいないんじゃしょうがないよね! ウチが一緒に治めてあげるよ!(タダで領地が増えるぜゲッヘッヘ)」と言ってきました。

 

結婚による国土譲渡をチラつかせて……

むろん、ブルターニュの人々にとっては当然納得がいきません。
そこで担ぎあげたのがアンヌでした。女性ではあっても男系の血を引いていたので、跡を継ぐ資格があると言い張ったのです。

しかし、フランス王国も他の国も、「そんな屁理屈が通るか!」と認めようとはしません。
そこでアンヌの父・フランソワ2世は、アンヌとの結婚=ブルターニュ公国の譲渡をちらつかせて、たくみに外交を行います。「お主も悪よのう」……とでも言いたくなりますね。

が、フランス王国との戦争に負けてしまい、さらにフランソワ2世も亡くなってしまったため、結局フランス王の意向を無視することができなくなってしまいました。
最後の抵抗なのか、アンヌはハプスブルク家の人と結婚します。結果、火に油を注いだだけで、完全に問題を回避することはできませんでした。当時のハプスブルク家は、フランス王国と敵対していたからです。

さらに、ブルターニュの味方になってくれそうな国は軒並みトラブル続きで助けに来ることができなくなっていました。
我々に馴染み深い表現をすれば、「四面楚歌」ですかね。
こうしてアンヌは、フランス王シャルル8世と結婚することになります。

 

婚約者が送り返されたり、最初の結婚がなかったコトにされたり

上記の経緯からしても、シャルル8世の人となりは何となくおわかりいただけるかと思いますが、この王様、アンヌと結婚するためにそれまでの婚約者を送り返しています。その女性は、小さい頃からフランスで育てられていたのに、です。
あらゆる意味でサイテーやな。

アンヌの最初の結婚は、教皇によって「あれはナシで」と取り消されました。こうしないと正式にシャルル8世と結婚できないからです。
これまでの流れでも、アンヌにとってはかなり屈辱的ですが、ここに来てさらにもう一つサイテーな条件が加わります。

「もしアンヌがシャルル8世の跡継ぎを産めなかったら、次のフランス王とも結婚しなければならない」

一応シャルル8世のためにフォローしますと、別に彼がアレな趣味だったわけではなく、こうすることでアンヌが「ブルターニュ女公」を名乗れない&ブルターニュ公国の再独立を防ぐ、という目的でした。

アンヌは子どもを授かることはできたのですが、6人生まれて6人とも幼いうちに世を去ってしまい、結局次の王とも結婚しなくてはなりませんでした。
次のフランス王はルイ12世という人で、シャルル8世の遠い親戚にあたります。

 

ルイ12世との結婚でブルターニュ女公を名乗れるように

このような屈辱的な状況でしたが、シャルル8世の死後、結婚から数年後にアンヌは初めて里帰りをすることができました。
地元ブルターニュでは彼女を盛大に歓迎する人がまだ多くいたため、少しは慰めになったかもしれません。

また、ルイ12世と結婚したときに「ブルターニュ女公を名乗ってもいいよ」という契約に切り替えられたことで、アンヌは再びブルターニュの主となります。
実質的にはルイ12世が主権を持っていましたが、書類にサインするのがアンヌだということだけでも、対外的にはだいぶ違いますからね。

ルイ12世とはそれなりに心の通った夫婦だったらしく、彼が危篤に陥った際には、自らブルターニュの地を巡礼し、快癒祈願をしています。
ルイ12世との間にも7人子供を産んだそうですから、よほどですよね。残念ながら、2人の娘しか育たなかったのですが……。

女の子しか育たなかったことで、またしてもアンヌの身の上はきな臭くなってきます。
アンヌはルイ12世との間にできた娘・クロードにブルターニュ女公の座を継がせようと考えていました。
しかし、フランス王国では女性に王位継承権がないため、クロードの将来の夫の方針によっては、ブルターニュは完全にフランス王国に吸収されてしまいます。

 

建物や通りの名前に使われる人気のブルターニュ

これを防ぐため、アンヌはクロードの夫をハプスブルク家の人にしようとしました。が、フランス王国の貴族たちは「何でウチの王家の親戚がいるのに、外国人と王女を結婚させなきゃいけないんだ! そうしたらウチらが外国の支配下に入ってしまうじゃないか!!」と大反対。
そりゃそうだ。

結局クロードは、フランス王家の血を引くフランソワ1世と結婚し、ブルターニュはフランス王国からの干渉から抜けることができなくなりました。
自治権などは持っていたので、完全に併合されたわけではなかったのですけどね。

こういう経緯があったため、ブルターニュではアンヌを「フランス王の支配に抗った女傑」として見ているそうです。
建物や通りの名前にも使われているとのことなので、よほど人気があるのでしょうね。近年にも新しく銅像が作られているそうですし。

日本でいえば「乃木坂」の由来に成った乃木希典あたりでしょうか。立場がだいぶ違いますけれども。
何にせよ、「地元の英雄」を誇れるのは良いことですね。

長月 七紀・記

参考:アンヌ・ド・ブルターニュ/wikipedia ブルターニュ公国/wikipedia

 

 


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