ブルネイを出航する戦艦武蔵/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

戦艦武蔵の発見!海底に眠る旧海軍の軍艦たち「戦艦大和」は鹿児島沖に

歴史は基本的に過去を調べるものではありますが、現在も作られ続けるものでもあります。

2015年の3月2日――戦艦武蔵の沈没地点が発見されたとき、そのように感じた人も多かったのではないでしょうか。

長い間「この辺だろう」といわれ、ようやく見つかったのです。

2日に発見→3日に公式発表だったようなので、当コーナーでは2日の出来事として進めさせていただきます。

※ポール・アレン氏が発見した、海底で眠る戦艦武蔵

 

ポール・アレン氏の財力と根性で発見!

武蔵といえば、ミリタリーファンでなくてもなんとなく聞いたことがあるような、旧海軍でも有名な船ですよね。

現在、沈んでいるのは、日本の領内ではなくフィリピンの内側にあるシブヤン海。皆さまお察しの通り、武蔵、最期の戦いが、フィリピン近海で行われたからです。

沈んでいるポイントは、武蔵の乗員を救出した船の記録や、乗務員による記録、地元民の口伝など、複数の説がありました。どれも大きく離れてはいませんでしたが、この海域は潮の流れが早く、なかなか特定できていなかったのです。

発見したポール・アレン氏ほどのお金と根性がなければ、たぶんずっと見つからなかいまま眠っていたのでしょう。

今も引き上げるかどうかという話が出ているようですが、費用や保存のことを考えると、おそらくそのままになるのではないでしょうか。

武蔵の姉妹艦・大和をはじめ、大多数の船が沈没地点から少しずれた位置に眠っています。


※こちらがポール・アレン氏のツイート。カタパルトについて日本語で記されたマニュアルらしきものが映っている

 

戦時中、武蔵と大和の存在は知らされておらず

大和といえば某宇宙戦艦なアニメで知られます。

あの作品が作られた当時、元ネタの大和の沈没地点は不明だったのだそうで。

製作中か制作後に見つかって、スタッフがハンケチを噛むような思いをした……なんて、ホントかウソかわからない話もあります。

大和は今、日本の領海内である鹿児島県坊ノ岬沖の南方(徳之島西方)に沈んでいます。

なぜ、そんなところで沈んでいるのか? というと沖縄へ向かう途中だったからです。

海岸に船体を設置(擱坐)して、アメリカ軍の沖縄上陸を阻止する予定でした。

ところが、その途中で米軍に捕捉され、
・延べ1,000機による米軍機の空襲
・魚雷12本
・大型爆弾7発
・小型爆弾(無数)
を浴びて沈没します。

米戦闘機の攻撃を受ける戦艦大和/wikipediaより引用

こちらもやはり引き上げるかどうかという話が出ましたが、巨大すぎる船体と費用の面から立ち消えになりました。

その代わり?に、旧海軍の施設が多かった場所であり、大和が建造された呉市に、大和ミュージアムこと「呉市海事歴史科学館」が作られています。

この例にならうとしたら、武蔵の引き上げができなくても、武蔵と縁が深い長崎に記念施設が作られるかもしれません。

他にも、沈没地点がはっきりしている船はいくつかあります。

同じ戦艦でいくと「長門」と「陸奥」でしょう。

実は戦時中、大和と武蔵の存在は国民に知らされておらず「日本軍の戦艦」といえば長門と陸奥でした。この二隻も姉妹艦です。

 

長門の最期はアメリカの核実験だった……

「長門」は、運用コストの高さや、その他諸々の理由であまり戦闘をさせてもらえず、終戦まで生き延びました。

ボルネオ島ブルネイ泊地に停泊中の戦艦長門/wikipediaより引用

それが祟って、戦後、太平洋のど真ん中でアメリカの核実験に使われてしまっています。

しかし、アメリカの監視がある時間帯にはかろうじて浮いており、監視がない深夜にひっそり沈んでいったのだとか。
船体に触れることはできませんが、すぐ近くまでダイビングできるため、人気スポットになっているそうです。

「陸奥」は、広島湾・柱島に停泊中、謎の爆発を起こし、やはりあまり戦闘をしないまま沈んでしまいました。

戦艦陸奥/wikipediaより引用

今でも原因はわかっていませんが、シゴキに耐え切れなかった乗員の手によるもの……というやりきれない説もあります。

さすがに一乗員でそこまでできるのか?という疑問はありますが。

 

海底から引き上げられ再利用された「梨」と「三笠」

「船は沈んだら終わり」

そんなイメージが強いですが、実は「沈んでから引き上げられて再利用された船」というのも、複数あります。

日本の例では、以下の二つが有名です。
※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-明治・大正・昭和
-

×