『日本史』執筆者ルイス・フロイスの生涯 外から目線で織田信長等を描き、日本に身を埋めた宣教師

「生まれた国が一番」という人がおそらく大多数だと思いますが、中には他の国で一旗揚げる人もいます。
となると、移った先で歴史に名を残すような活動をした人も出てくるわけで……。
本日はその中から、戦国時代に日本へやって来た人の中でも、一・二を争う有名人と思われるあの人のお話です。

1569年(永禄十二年)4月8日は、織田信長がルイス・フロイスに京都居住を認めた日です。

フロイスは、「信長公記」と並んで信憑性が高いといわれている一次史料「日本史」の著者として有名な人ですね。
今回はこの人の生涯とともに、「日本史」の中身も見ていきましょう。

絵・富永商太

絵・富永商太

 

インドのゴアでザビエルに出会う

フロイスは1532年にポルトガルの首都・リスボンで生まれました。
9歳でポルトガルの宮廷に入っていたということですから、元々それなりの身分を持った人だったのでしょう。

となれば将来の出世も約束されたようなものですけれども、何故か彼はピチピチ(死語)の16歳でイエズス会に入ってしまいます。宮廷で何があったんでしょうか。
後々「日本史」ほどの大作を書き上げる割に、自分自身の日記などはないのが不思議なところです。散逸してしまっただけですかね。

まあ下衆の勘繰りはともかく、イエズス会に入ってすぐ、フロイスはインド・ゴアに向かいました。いきなりトばされたわけではなくて、当時ゴアはイエズス会の拠点になっていたからです。「アジアへ布教するなら、アジアで宣教師を養成すればいいよね」という考えもあったのでしょうね。

ここでフロイスはフランシスコ・ザビエルに出会います。

イラスト・富永商太

絵・富永商太

 

31歳でついに訪日許可をゲット!

ザビエルはおそらく「ワタシはこれからニッポンに行くところデース。アナタもニッポンの話を聞いてみマスカー?」(※イメージです)とでも誘いかけたのでしょう。
フロイスはザビエルのお供をしてくれることになっていた日本人・ヤジロウ(またはアンジロウ)とも知り合い、まだ見ぬ極東の島国に大いに興味を惹かれたようです。
フロイスがゴアに来てから、ザビエルが日本へ出発するまでおおよそ1年くらいあったようですので、いろいろな話を聞いたのでしょうね。

とはいえ、当時のゴアで日本語や日本文化について知る機会は皆無ですから、フロイスはまずお勤めに精を出します。
そして13年後、29歳のときに司祭となりました。また、その筆力と語学の才能を高く評価されて、布教先との連絡役を任されます。
これも真面目に勤めた結果、31歳のとき、ついにフロイスは日本へ布教しに行けることになりました。

この頃にはザビエルは亡くなっていますし、他の宣教師による日本での布教が思うように進んでいないことに対して、イエズス会のお偉いさんも「どげんかせんといかん」と思っていたのでしょう。

その辺のお話はこちらで→過去記事:ザビエル以外にも多数いた戦国時代の宣教師たち ニッポン好き!嫌い!
……日本に馴染みすぎて布教を忘れてそうな感じの宣教師もいますね。
もしかしたら、フロイスはイエズス会の秘蔵っ子みたいな感じだったのかもしれません。

 

自ら日本語を勉強するマジメさと不思議さ

そんなこんなでついに来日したフロイスですが、その直後から他の宣教師にはなかなか見られない行動に出ています。なんと、自ら日本語を勉強し始めたのです。

「布教するんだから当たり前だろ」

と思われる方も多いでしょうが、実は1579年の時点でもイエズス会士の中で「日本語を一定以上使いこなせる」人はたった5人しかいませんでした。
フロイスが来日した時点では、一人か二人いればいいほうだったでしょう。

フロイスは語学が得意だったとのことなので、ただ単純に興味を惹かれて日本語を学び始めた可能性もありますが、これは注目すべき点のような気がします。
「パン」や「カステラ」など日本語に浸透したポルトガル語があるように、当時フロイスも「日本語はポルトガル語に少し似ている」と思ったのかもしれませんね。

その熱意に惹かれてか、フロイスは来日の翌々年に京都に入り、他の宣教師や日本人の修道士とともに布教活動を始めます。ときの将軍・足利義輝が比較的キリスト教に寛容だったので、幕府のお膝元で堂々と布教をすることができたのです。
しかし、その義輝が永禄の変で暗殺されてしまったため、フロイスらの立場も怪しくなってきました。

 

「信長は地球が丸いことを理解した」

堺へ避難し、じっと再布教の機を待つことにしたフロイス。
永禄の変から四年が経過し、新しく将軍になった義昭と共に京へやってきた信長に会う機会を得て、そこから宣教師生活が一変します。
会見場所は二条城の建築現場だったそうですから、物々しい対面というよりは「信長様、南蛮の宣教師が参っておりますが(ついでに)お会いになりますか?」というような、その場の流れによるものだったのでしょうね。信長は二条城の普請現場を自ら監督していたそうですし。

さらに信長は新しもの好きかつ、理路整然とした話を好みますから、フロイスの話にも大いに興味を惹かれたと思われます。
記録の中にも、「信長は地球が丸いことを理解した」「目覚まし時計を献上したが、『壊れたら修理できなさそうだから返す』と言われた」(意訳)といった話があります。

おそらく、信長とフロイスは利害関係以外にも、馬が合ったのでしょう。
「日本史」の中でも、信長は非常に好意的に書かれています。

「とあるキリシタンの家臣が愛人と同居していたので、信長は『キリスト教の教えに反してるんじゃないのか』と咎めた。後日再び愛人と住んでいることがわかったので、信長はその家臣をクビにした」(意訳)など、信長がキリスト教に合う考え方をしていると見えたからでしょうかね。

信長は部下の女性関係には割と厳しいほうで、「二条城建築中に人夫が女性に絡んでいたので、信長がキレて首をはねた」(意訳)という話もあります。
これがもしフロイスに会ったのと同じ日だったら、そりゃフロイスとしては「不埒な輩に厳しいこの人は、きっとキリスト教を認めてくれるに違いない」って思いますよね。

フロイスは「日本史」の中で、豊臣秀吉については割と酷評しているのですが、キリスト教への理解度の他に、女性に対する態度が違ったからなのかもしれません。

©富永商太豊臣秀吉はげネズミ

 

バテレン追放令で肩身の狭い思いをするも……

こうして信長と知遇を得て、布教や住まいを保証されたフロイスは、その後諸国で日本の記録を取りながら、後輩のイエズス会士と信長の折衝役を務めました。

一日10時間も書いていたこともあるそうですから、フロイスはこの仕事や日本が心底好きだったんでしょうね。

この記録が後世に「日本史」としてまとめられるのですけれども、当時の地名や人名がローマ字で書かれているため、他の記録には書かれていないような読み方がわかるようになったものもあります。

しかし信長が本能寺で斃れ、秀吉の世になると、伴天連追放令によってフロイスを含めた宣教師たちの肩身は一気に狭くなってしまいました。
それでも日本を去り難かったのか、長崎で記録と布教を継続。その後も聚楽第に行ったことがありますし、一時はマカオに行ったのに再来日しているくらいなので、既に日本に骨を埋める気でいたのかもしれません。秀吉もフロイスらについては、それ以上のことをしようとはしていませんし。
そして二十六聖人の殉教(秀吉によるキリシタン処刑)の記録を書いた後、フロイスは65歳の生涯を閉じました。

 

長崎あるいは熊本あたりに墓がある!?

が、どうしたわけか、彼がどこに埋葬されたのかサッパリわかっていません。
これほどの功績がある人なのに、何だかしっくりこないですよね。亡くなった場所は長崎なので、長崎のどこかにあるだろうとはいわれているのですが。

もし秀吉がキリスト教憎さで「フロイスの墓を作ることはまかりならん!!」と言っていたらいったで、それなりの記録が残るでしょうし……それ以前にとっ捕まって獄死していた可能性だって高いですよね。

もう一つ、「フロイスの遺稿はマカオ司教座に送られた」という点も不思議です。
どうせなら司教座も何もない異教の地である日本より、遺稿とともにフロイスの棺もマカオに送って、そこで埋葬するほうがキリスト教的に良さそうな感じがしませんか?
熊本県天草市五和町御領にコスメ・デ・トーレスのものらしきお墓があるとのことなので、断定はできませんけれども。

謎が謎を呼び続けますが、もし見つかったとしたら、先日のシドッティ同様、一大ニュースになるかもしれませんね。
長崎近辺で一山当てたい方は、フロイスのお墓を探してみてもいいかもしれません。徳川埋蔵金を探すよりは可能性高そうですよね。一攫千金になるかどうかはわかりませんが。
……調べきれてないだけだったらスイマセン。

長月 七紀・記

 

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイス・フロイス
https://ja.wikipedia.org/wiki/フロイス日本史
http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/download.php/kc10202.pdf?file_id=6670


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