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ローマ その日、歴史が動いた

ヨーロッパ文明の祖・王政ローマができるまで 起源はトロイア王国の末裔だったのね!?

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「先史時代」という言葉がある通り、人類の歴史は文物が残っているかどうかとは関係ありません。
が、やはり古い時代から今日まで残っているものがある場所は、大きく尊敬されます。本日はその一つ、誰もが知っているあの町・あの国が、どのように始まったのかを見ていきましょう。

紀元前753年4月21日は、ロムルスが古代ローマ王に即位したとされている日です。

「どこの誰だよ」というツッコミが来る前に、さっそく事の経緯を見ていきましょう。
以下、人名の長音(ー)は基本的に省略して表記します。べ、別にいちいち打つのが面倒なわけじゃないんだから! 勘違い(ry

【TOP画像】狼の乳を飲むロームルスとレムスの銅像/wikipediaより引用

 

トルコ西岸にあったとされるトロイア王国の末裔が

古代ギリシアと並んでヨーロッパ文明の祖とされるローマですが、実はローマの地へ最初に都市を築いたのは、ローマ生まれの人ではありません。
もっと東、現在のトルコ西岸にあったとされるトロイア王国の末裔・アイネイアスという人です。

といっても、この人は「父親はトロイア王家の一員」なのはいいのですが、「母親は女神ウェヌス(=アフロディテ)」なんていわれているので、実在性については「……」という感もあります。
が、我らが日本の歴史も国生みや天孫降臨の神話から始まっているので、他所様のことはアレコレ言わないことにしましょう。
多神教のよしみということでここはひとつ。

さて、トロイアで歴史とくれば、その名がついたトロイア戦争です。
トロイア戦争そのものは、ものすごく乱暴に言うと「女絡みでトロイアvsギリシア諸国連合の戦争が起き、奇想天外な計略(トロイの木馬)によってトロイアが負けた」という流れになっています。
アイネイアスもこの戦いに参加していましたが、木馬の奇計によりあえなくトロイアは敗北。王家の人々は皆殺しにされてしまいました。
アイネイアスはかろうじて家族とともに脱出し、安寧の地を求めて船旅に出ます。

トロイアの木馬の行進/wikipediaより引用

 

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シチリア島に辿り着いたアイネイアス一行

そこにローマ神話のボスかつ浮気王のユピテル(=ゼウス)がお告げを下します。ちなみに、トロイア王家の先祖がユピテルだといわれているため、アイネイアスにとっても先祖です。
「トロイア再興にふさわしい土地を見つけ、お前が新たな国を作りなさい」と。
アイネイアスは神のお告げに従い、その地を目指しました。

途中で美女といい感じになったり、船が難破したりといった放浪の末にアイネイアス一行はシチリア島にたどり着きます。ここに女性や子供を残しているのですが、当時のシチリアは平和なところだったんですかね。現代は……。

その後イタリア半島の西岸、現在のローマ南方に着いたアイネイアスは、現地の王女ラウィニアと結婚しようとします。が、既に婚約者がいたため、その相手と戦争をすることになりました。
そして争いの末、ローマの原型となるラウィニウムという都市を築いたのです。奥さんの名前をつけた町、というとなかなかコメントに困りますね。学者先生方の間でも、新種の植物などに奥さんや家族の名前をつけることがありますけれども。

 

イタリアの原型となる都市ができ、後に定番の後継者争いも

さて、冒頭で出てきたロムルスの名が出てくるまでには、もう少しかかります。
アイネイアスの死後、息子のアスカニオスがラウィニウムを継ぎましたが、しばらくしてラウィニアにラウィニウムを譲りました。
アスカニオスはラウィニウムからさほど離れていない位置にアルバ・ロンガという都市を築いたそうなのですが、それならなぜわざわざラウィニウムを出て行ったのかがよくわかりません(´・ω・`)
母(もしくは義母)と仲が悪いとかなにか問題があったのなら、普通は王様が相手を追い出しますよね。神話に整合性を求めるのもナンセンスですけれど、何故かここだけぼかされているのが気にかかるところです。
母ではなく、弟(もしくは息子)のシルウィウスに譲ったという説もありますので、余計わけがわかりません。

まあその辺はともかく、こうしてローマ、ひいてはイタリアの原型となる都市ができました。
アルバ・ロンガではアスカニオスの跡をシルウィウスが継ぎ、シルウィウスの子孫たちが王位を継いでいきます。
そして12代めの王様・プロカが亡くなったとき、その息子たちの間で王位を巡る争いが起きました。だから後継者は生前に決めておけと。

一度は弟のアムリウスが勝つのですが、兄のヌミトルの孫たちが納得しませんでした。この孫が、ロムルスとレムスです。

 

森の中で狼によって育てられたと伝わるが……

実は、ロムルスとレムスはかつてアムリウスによって殺されかけていました。が、殺害を命じられた兵士が二人を哀れみ、こっそり川に流して助けたとされています。
この辺はイエス・キリストや白雪姫などに似ていますね。少なくともどちらかは、ロムルスとレムスの話をモチーフにしているのでしょう。

その後しばらく、ロムルスとレムスは森の中で狼によって育てられたといわれています。「アマラとカマラ」みたいな話ですね。
まあ古代のことですし、ロムルスとレムスの場合はその後の成長ぶりからして、本当に狼に育てられたというよりは、「狼のような野蛮人に育てられた」という比喩表現と見るほうが現実的でしょう。
狼に育てられた後、羊飼いに拾われたといわれていますし。

TOP画像に掲載した2人の銅像は狼の逸話を描いております/wikipediaより引用

二人は羊飼いとして育ちましたが、あるとき弟のレムスがアムリウスの部下とケンカしてしまい、宮殿に連行されてしまいました。そのときの話の中で、ロムルスとレムスは「自分たちの祖父が、王位を継ぐはずだったヌミトルだ」ということを知ります。
そして、ロムルスは親族や仲間の羊飼いたちを率いて、囚われている弟と祖父を救出し、祖父を王にするべく立ち上がりました。

「羊飼い」というと何となくあどけない少年を連想しますけれども、当時の羊飼いは屈強だったんですかね。
まあ、聖書のダヴィデとゴリアテの話も「少年が大男を倒す」というモチーフは同じなので、当時のテンプレみたいなものだったのかもしれません。

 

新しい街を作るため、チームを2つに分けたのが根源だった

殺したはずの甥たちが生きていることを知ったアムリウスは、今度こそ二人を殺そうと算段しますが、あえなく討ち取られてヌミトルが王位に就きました。

順当に行けば、ヌミトルの後にロムルス、場合によってはロムルスの次にレムスがアルバ・ロンガの王になっていたことでしょう。
しかし、何らかの理由によって、兄弟は別の場所に新しい都市を作ることにしました。「アルバ・ロンガが人口過密になっていたから」とか、「ヌミトルに追い出された」とか、これまたいろいろな説があります。
後者だとしたら「助けてくれた孫に冷たいじーちゃんェ……」という気もしますけれど、ロムルスとレムスもこの後ケンカして争うことになるので、結局仲間割れは避けられなかったかもしれません。

兄弟ゲンカのきっかけは、二人で「新しい町を作るには時間が掛かるから、二つのチームに分けて分担作業をしよう」と決めたことでした。これがいつしか競争のようになってしまい、感情の悪化を招き、さらにその対立が周囲にも飛び火して、ついに血を見る事態となってしまったのです。

このドンパチの中でレムスが亡くなったため、結果的にロムルスが王政ローマ最初の君主となります。
ロムルスは罪悪感が強かったのか、レムスを手厚く葬りました。「ロムルスとレムスが決闘してロムルスが勝った」という説もありますので、その場合は余計に後悔したでしょうね。

ロームルスとレムス/wikipediaより引用

 

そして王政ローマは始まり、すべての道が通ずるように

「その後ロムルスは良き王となり、ローマは永遠の都になりました……」と続けたいところですが、残念ながら現実はそう美しい話ではありませんでした。
ロムルスは元老院の創設や法律の発布などもしましたが「うちには女性が少なすぎるから、よそから連れてこよう!」というアレな発想で「サビニの女達の略奪」という事件を起こしてしまっているのです。

これは「ローマの近所にあったサビニという都市から、女性が多く連れ去られて無理やりローマ人と結婚させられ、子供を産まされた」というもの。近代の戦争犯罪も真っ青です。
一応最初は穏便に頼んでいたらしいのですが……それで断られたからって、無理やり連れてきたらダメですよね。

ロムルスは女性たちの元を自ら訪れて、生活や諸々の権利を保証することなどを話し、また夫になった者たちも罪悪感からかサビニの女性たちに優しく接したと言われていますが、どうだったやら。

当然のことながら、この一件によりローマとサビニの間で戦争が起きます。
しかし、既にローマ人との子供を生んでいた・もしくは身ごもっていたサビニ人女性たちは、「きっかけは不本意だったけれど、今はもう私たちは家族なのだから、どうか争いをやめてください。お腹の子の父を失ったり、未亡人になったり、親を失ったら、みんな不幸になってしまいます」と訴えました。
この涙ながらの懇願に戦闘は終わり、ローマがサビニを吸収する形で事は解決します。

一応サビニの王様とロムルスの二君連合のような形だったそうなので、ローマ側にも最大限の配慮をしようとする意思はあったのでしょう。
それならそれで、最初からロムルスの妃をサビニから迎えるとかすれば、そのお供でたくさんの女性がついてきたでしょうに……という気もしますが。ローマの人がブチ切れるような断り方されたんですかね。
ローマ側の言い分では「サビニ人は傲慢だから、こっちが何をしても問題ない」そうですけれども……いや、その理屈はおかしい。

実に後味の悪い話ではありますが、こうして王政ローマが始まり、共和制ローマ、ローマ帝国と続き、やがて「全ての道はローマに通ず」と言われるほどの発展と文化を築いていくのです。

もちろん、その過程は輝かしい物だけでなく、幾多の争いもありましたけれども、それはどこの国でも変わりませんね。

長月 七紀・記



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参考:ロームルス/wikipedia 古代ローマ/wikipedia ローマの建国神話/wikipedia 世界の古典つまみ食い

 

 

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