平安貴族の「通い婚」はどんな手順で進んだか? 嫉妬と憎悪の「妻問婚」

「卵が先か鶏が先か」という言い回しがありますが、人間の場合に置き換えると「子供が先か、夫婦が先か」となりますかね。
進化の過程からするとおそらく親である鶏や夫婦のほうが先という気がしますけれども。

哲学上の定義はともかく、4月22日は「良い夫婦の日」だそうです。

「4(よい)」「22(ふうふ)」の語呂合わせとのことですが、他にも11月22日が「いい夫婦の日」だったり、1月31日が「1(あい)」「31(さい)」で「愛妻の日」だったりと、類似の記念日が複数あったりします。
……ちなみに、旦那さんに対する日はないようです。(`;ω;´)
当コーナーは全国のお父さんと旦那さんを応援したいと思います。

【TOP画像】紫式部日記絵巻/Wikipediaより引用

 

平安貴族は「噂」と「ラブレター」から恋が始まる

さて、歴史上にはさまざまな形態の夫婦がありました。
現在のような一夫一婦制を別とすると、日本人がパッと思いつきやすいのは、平安貴族の「通い婚」=「妻問婚」でしょうか。夫婦が同居せずに、夫が妻の家を訪ねて行くというものです。

あれって、そもそもどういう経緯で夫婦になるのか?

と、疑問に思われた方もおるかもしれませんが、結婚の前の段階から追っていくと、こんな感じになります。

平安貴族 恋愛・結婚の手順

男性がどこかから「◯◯家の上から△番目の姫が美人らしい」などの噂を聞く

男性から女性にラブレターを書く

女性の親がラブレターの内容や男性の官位・身分などを考えて、娘にふさわしい相手をある程度絞り込む

親の認めた相手に女性が返事を書く

しばらく手紙のやり取りが続く

男性が御簾(すだれ)ごしに会いに来て女性と話す

何回か通って話す

男性がその気になったら、女性の寝室に忍び込んで(年齢制限回避のため省略)

三晩続けて通い、結婚成立・お祝い

とまぁ、だいたいこんな感じです。

 

身分が低かったり身寄りがなければ夫と同居することも

こういう手順を踏んでいれば、一応お互いにすだれ越しで顔をうっすら見ているので、「見知らぬ人にいきなり襲われた」ということにはならない……ということになっていました。

むろん、源氏物語・末摘花(すえつむはな)のように、「明るいところで見たら……(´・ω・`)」ということもあったでしょうね。
当時の明かりはろうそくや紙燭(しそく・こよりに油を染み込ませて火をつけたもの)くらいしかありませんから、男性が通ってくる夜の時間帯に、お互いの顔をはっきり見ることはできなかったのです。

ともかく、こうして名実ともに夫婦になると、夫がたびたび妻の家に通うようになります。子供が生まれたり、出世して夫が自分の家を建てられるようになったりすると、同居することもありました。

また、妻に身寄りがなかったり、夫に比べて妻の身分が極端に低い場合は、比較的早く同居を始めるケースも多かったようです。
また、同居するにしても寝殿(母屋)は正室、その他の「対」(別館のようなもの)は側室という区分けがありました。
「寝殿に正室がいるのに、同じ屋敷の対に新しい女性をすぐ住まわせて、正室の怒りを買った」なんて話もありますね。

あるいは「夫が複数の妻を持つことが当たり前とされていたからこそ、通い婚という形態が成り立っていた」と見ることもできます。一夫一婦制の場合、他の異性のところに恋愛的な意味で通ったら、ただの浮気・不貞ですもんね。

 

『嫉妬していた』『苦しんでいた』という例は枚挙に暇がない

古今東西、女性は「パートナーに自分と家族を一番大事にしてほしい」と思うのがフツーの感覚。
一夫多妻制が常識だった平安貴族の女性たちも、夫の他の妻に『嫉妬していた』『苦しんでいた』という例は枚挙に暇がありません。

例えば、藤原道長の側室・明子(高松殿とも)。
彼女は醍醐天皇の孫姫なのですが、道長の正室・倫子が宇多天皇の孫、かつ父親が左大臣(臣下で二番めにエライ大臣)だったため、比較されてあまり大事にされませんでした。
明子は父親が失脚してしまったため道長の本宅に住ませてもらえず、明子の子供たちもろくに出世させてもらえない……という散々な目にあっています。
倫子より先に明子が道長と結婚していた説もあるので、余計に哀れです。

時代が前後しますが、右大将道綱母(うだいしょう みちつなのはは)といわれている女性も、夫の放埒ぶりに苦しめられた一人です。彼女は道長の父・藤原兼家に嫁いでいて、やはり兼家の正室・藤原時姫や、他の側室たちにかなり嫉妬し、兼家に恨みを抱いていたようです。

彼女は情の濃い女性だったらしく、それだけに負の感情も相当のものでした。
著作『蜻蛉(かげろう)日記』を見ると、よ~くわかります。男性が読むと、ちょっとホラーに感じられるかもしれません。そのくらい恨みつらみが書いてあります。他のことも書いてありますけども。

 

奔放(?)に恋愛を楽しんでいた貴族たちもいた

明子や右大将道綱母のような女性は、決して少数派ではなかったでしょう。
子供がいれば元服や裳着(※)までは父親が身の振り方を考えなくてはなりませんから、「子はかすがい」となったことも多いでしょうが……子供をよすがにひたすら夫を待つだけ、というのも哀しいものです。
特に、既に同居している場合や身寄りがいない場合は女性が自分の意志で出て行くことはなかなか難しいため、思い悩んでいた人も多かったと思われます。

では女性は泣き寝入りするばかりだったのかというと、ごく僅かながらに例外もいます。
先日ご紹介した和泉式部(過去記事:和泉式部 恋多き女流歌人は 親王や貴族を虜にする女子力を持つ小悪魔系)は、自ら恋や結婚を楽しんでいた代表例でしょう。

また、紫式部の娘・大弐三位(だいにのさんみ)も、恋愛を積極的に楽しんでいたタイプです。
大弐三位は紫式部よりも父の藤原宣孝に似ていると言われているのですが、その宣孝は「神詣でに派手な服装で行って罰が当たり、九州に左遷された」という笑えないエピソードを持っています。
父の明るいところと、母の賢さ両方を持った女性だったのかもしれませんね。

皆さんご存じ「源氏物語」は、こういった平安貴族の結婚形態をほぼ網羅しているので、そういう視点で読むとまた面白いかもしれません。紫の上や明石の方といった主要人物だけでなく、髭黒の大将の北の方などの脇役の動向まで注目すると、より奥深さがわかるというか、よくもまあこんなに多くの夫婦を描いたものだと思えます。

庶民については時代や地方によってかなりばらつきがあるので、まとめるのはなかなか難しいところがあります。

そもそも「夫婦」という形態よりも「村の中で子供が生まれればそれでよし」という価値観のところもままあったようですしね。
現代の感覚からすると「OH……」という気もしますが、常識は移り変わるもの。もちろん、現代で同じことをしようとすると諸々の問題や犯罪として扱われますので、良い子も悪い大人もやってはいけません。

 

エジプトでよく見られた兄妹・姉弟婚

さて、次は日本だけでなく、世界史上にも存在した結婚形態をもう少し見ていきましょう。
古代の支配者層によくみられた結婚形態として、「兄妹(もしくは姉弟)婚」があります。エジプトの諸王朝の例が有名でしょうか。
黄金のマスクや呪いで有名なツタンカーメンとアンケセナーメン、絶世の美女(ということになっている)クレオパトラ7世と弟のプトレマイオス13世などが兄妹・姉弟婚です。

これた、エジプトでは王=神様という扱いだったので、「王が他の家の人間と結婚すると、神の力が弱まってしまう。それは困る(´・ω・`)」(超訳)と考えられていたことによります。
例外もありますし、それぞれのファラオには側室もたくさんいたので、近親婚が絶対的なものというわけでもありませんでした。つまりフリーダム。

現代では遺伝上の問題が起きる可能性が高いため、法律で禁じられています。

 

レビラト婚とソロレート婚とは?

兄妹・姉弟婚同様、現代ではあまり行われなくなった婚姻形態としては、「レビラト婚」と「ソロレート婚」というものがあります。

レビラト婚は、「夫が亡くなった場合に、残された妻が夫の兄弟と結婚する」というものです。

有名な例では、ヘンリー8世の兄・アーサーと結婚していたキャサリン・オブ・アラゴンが、アーサーの死後ヘンリー8世の王妃になっています。
日本では儒教の影響で江戸時代に忌み嫌われるようになったものの、戦国時代まではレビラト婚もままありました。
初代薩摩藩主・島津忠恒(家久)の正室・亀寿は、最初の夫であり忠恒の兄・久保(ひさやす)が亡くなった後、忠恒に再嫁しています。
……どちらも二人めの夫がアレすぎる例を挙げてしまいましたが、きっとそんなのばかりではなかったと……思いたいですね……。

また、戦後に未亡人となってしまった女性のうち、夫の兄弟と再婚するという人も珍しくはなかったようです。これは、夫が将校ではなかった場合には遺族年金が出ないため、未亡人の経済的困窮を防ぐという目的がありました。

ソロレート婚はレビラト婚の逆で、「妻が亡くなった場合に、夫が妻の姉妹と結婚する」というものです。婚約中に妻(予定)が亡くなったときなどによく行われました。
明智光秀の妻・煕子(ひろこ)が婚約後に疱瘡にかかり、顔に痕が残ってしまったために妹を身代わりにしようとした、という逸話がありますが、これはソロレート婚がごく普通に行われていたことからきたものでしょう。事実かどうかはさておき。

実際にソロレート婚が行われた例としては、昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公・杉文などがいます。文自身も夫に先立たれた後、姉の夫だった楫取素彦と再婚しました。
これまた儒教の影響か、江戸時代中もソロレート婚は広く受け入れられていたようです。

レビラト婚もソロレート婚も、主な目的は「両家の結束を続ける」ことですが、それまでも義理の家族だった相手ですから、全く知らない他人と新たに付き合いを始めるよりは、お互いにいろいろわかっていてよかったかもしれませんね。
ビミョーな空気にはなるでしょうけれども。

 

依然として「児童婚」「誘拐婚」も残っている

また、現代も存在はするものの、人権問題になっているものとしては「児童婚」「誘拐婚」があります。
これはもう言うまでもありませんが、結婚の大前提である「両性の同意」が全く考慮されていない点がよろしくありません。
幼い子供では「けっこん? なにそれおいしいの?」状態でしょうし、誘拐婚に至ってはそもそも誘拐そのものが犯罪です。
誘拐婚については「お互いの家が結婚に同意してくれなさそうなので、わざと誘拐婚のように見せかける」というたくましいカップルもいるそうですが、それはごくごく稀な例でしょう。

こういった結婚形態がある地域は、だいたい女性の人権も軽んじられていることが多いですよね。結婚形態そのものを変えるか、「女性にも人権がある」という概念を広めないかぎり、根絶されることはないでしょう。
嫁ぎ先で大事にされるならまだしも、周囲の都合で結婚させられて、「子供を生む機械」扱いされるだけの一生など、万物の霊長に生まれた意味がありません。
誘拐婚については少しずつ改善の傾向がみられているそうで何よりなのですが、このままうまくいくかどうか……。

どんな形態や経緯で結婚したにせよ、縁あって一度夫婦になったからには、お互いとそれぞれの家族を大切にして、仲良く連れ添っていただきたいものです。
でないと非リア充の涙がただの塩水になってしまいますので(`;ω;´)

長月 七紀・記

参考:夫婦/Wikipedia 結婚/Wikipedia レビラト婚/Wikipedia ソロレート婚/Wikipedia

 


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