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5月1日は労働者の日・メーデーはいつドコで始まった? 日本は幸徳秋水の平民社がキッカケ

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人類に上下関係が生まれたのは、いったい何年前のことなのでしょう。
原始共産主義などではその時代を理想とすることもありますが、やはりリーダーと部下という関係やグループがあってこそうまくいくことが多いですよね。
もちろん、全てがうまくいくというわけではありませんが……本日はその一例、とある問題を解決するための運動に関するお話です。

5月1日は「メーデー」です。

カタカナ語の割に世界史の教科書には出てこず、日本史の教科書には出てくるという何とも不思議な日ですが、それには諸々の理由がありました。
まずはメーデーの起源から見ていきましょうか。

【TOP画像】日本で初のメーデー/Wikipediaより引用

 

もともとはヨーロッパで豊穣祈念のお祭りだった

実は、メーデー自体は労働運動と関係ないところから生まれています。
元はヨーロッパで5月1日にその年の豊穣を祈念するお祭りとして行われていたものでした。名称の由来もそのまま”May day”だそうです。シンプルイズベスト。

また、春の訪れを祝うという意味もあったとか。日本だと5月は初夏というイメージも強いですが、ヨーロッパの大部分はもっと寒冷ですから、まさに待ち望んだ日のお祭りといった感じで始まったのでしょう。

豊穣といえば農業、農業も労働ですから、今のメーデーと関係がないわけでもありませんね。

現在のような労働運動としてのメーデーが始まったのは、1886年のことです。
アメリカ・シカゴで労働者から雇用者に対し、「8時間を仕事、8時間を休息、残りの8時間を好きなことに使わせろ」という至極まっとうな要求の元、大規模なストライキが行われました。
当時は12~14時間労働が標準だったので、かなり大胆な要求といえます。

……現代の日本人からすると、「通勤や仕事中の食事休憩などはどこに含まれるんですか?」とツッコミたくなってきますが。もしこれを仕事の8時間に含めるとしたら、実働時間は5~6時間かそれ以下になってしまいますよね。
雇用者激おこ不可避。
そのへんははっきりしませんが、しばらくの間労働者と雇用者の確執は続きます。現在も続いてますが、こまけえこたあいいんだよ。

上記のシカゴでのストの後、ヘイマーケット事件という虐殺事件が起き、双方ともに簡単には引けなくなってしまったのです。
アメリカでは「ヘイマーケット事件と近い日だとちょっと……」という理由で、メーデーではなく9月の第一月曜をレイバーデーという別の記念日にしているほどですから、よほど堪えたのでしょう。
メーデー自体は1890年にはヨーロッパにも広まっていたので、決して無意味な犠牲にはならなかったのですが。

 

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幸徳秋水の平民社 その茶話会が起源

さて、次は日本のメーデーについてみていきましょう。

日本では、1905年5月1日に開かれた平民社の茶話会が起源だといわれています。平民社とは、幸徳秋水らが作った新聞社で日露戦争反対をきっかけに創刊されましたが、同時に社会主義を是としていたため、労働問題にも目を向けたものと思われます。
翌1906年以降、労働者による街頭演説や集会が5月1日に開かれるようになり、1920年には約1万人ほどが集まる大きな運動になっていました。

この間の日本の経済は、大変浮き沈みの激しいものでした。
皆さんご存じの通り、日本は第一次世界大戦のとき主戦場ではなかったため、被害を受けることなく輸出によって儲けることができたのです。
しかし、第一次世界大戦が終わってしばらく経った1920年3月には、反動で戦後恐慌となり、株価が1/3に下がるという、まさに大暴落を経験。
理由はいろいろありますが、一番大きいのはヨーロッパの企業が息を吹き返したことです。単純に言えば一気に同業者の数が増えたわけですから、苦戦するのも無理はありません。

特に、銀行や繊維業は大打撃をくらいました。繊維業=製糸業=女性従事者が多かったことになりますから、1920年のメーデーには女性の参加者も多かったようです。

 

戦後恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌が続き……

もちろん銀行や繊維業だけでなく、鉱山や造船業、商社、重化学工業なども大きな煽りを受けました。
ほぼ全ての業界で労働者たちが厳しい状態に置かれたら、そりゃあ労働運動のひとつも起こしたくなりますよね。
そこに1923年(大正十二年)の関東大震災、1927年(昭和二年)の昭和金融恐慌が続き、日本経済は更に苦しくなっていきます。

1930年を過ぎると徐々に回復傾向になりましたが、今度は第二次世界大戦で戦争の主役になってしまったものですから、またしても労働者や会社はどん底に叩き落されました。
お上の指示通りにやって、うまくいくならともかく現実はアレですし……。

本題とは関係ありませんが、即位の翌年からずっと経済問題と軍部のアレっぷりに悩まされたであろう昭和天皇のお気持ちは想像を絶しますね。

戦時中は他の運動同様に、治安維持という名の規制によりメーデーを始めとした労働運動も禁止され、しばらくの間鳴りを潜めることになります。
そしてメーデーが再開されたのは、第2次世界大戦が終わった翌年でした。

再開されたメーデー。この時点で第17回だった/Wikipediaより引用

 

なかなか祝日にはなれないなぁ

戦後といえば、国民ほぼ全てが食料を求めて苦労していた頃です。「米よこせ」「働けるだけ食わせろ」と主張する市民たちが皇居前広場に集まり、一時は皇居内にまで入ったとか。
……この時期、皇居の中に米が積まれていたわけではないのですが、そういう冷静なことを考えられない状況だったということですね。

これには日本政府もGHQも困り、とりあえず皇居前広場での集会を禁じたものの、それでメーデーが終わったわけではありませんでした。

GHQが帰った1952年には、デモ隊と警官隊が衝突して死傷者が出る事態となっています。
国鉄関係の諸々の事件などもそうですが、戦後~バブル期あたりまでの日本人って結構物騒ですよね。今がかつてないほど平和だということかもしれませんが。

その後もメーデーは毎年開催され、1984年にはメーデーの祝日化要求が採択されました。
5月1日が祝日になれば、「祝日同士に挟まれた平日は祝日になる」という法律上、ゴールデンウィークが長くなるというメリットもあったからです。

が、その後の不況などにより、今日に至るまで実現していません。不況になったら祝日より仕事か賃金を増やしてほしいですものね。
世界ではメーデーを祝日としている国も珍しくありませんが、日本の場合それでなくても祝日が多いですしね……。また、メーデーだからという理由で祝日にしたところで、実際に休める人はそうそう増えないでしょう。
あっちを立てればこっちが立たず。何とも歯がゆいものです。

祝日になるかどうかはさておき、とりあえず一般人の生活が無理なく成り立つ程度の労働環境を整えてもらいたいものですね。

長月 七紀・記

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参考:メーデー/Wikipedia ヘイマーケット事件/Wikipedia レイバー・デー_(アメリカ合衆国) ヨーロッパの五月祭/Wikipedia

 



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