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その日、歴史が動いた アメリカ

アメリカ大陸横断鉄道、完成までの黒歴史 本当は怖い「線路は続くよどこまでも」

更新日:

大きなことをやり遂げるには、何かしら犠牲がいるものです。
それは労力だったり、時間だったり、他の何かだったりするでしょう。
しかし、当事者が払うならともかく、関係ないはずの人が支払わされるとしたら……ぞっとしない話ですよね。残念ながら、現実にはそういう例も多々あります。
本日はその一例である、とある大きな公共施設のお話です。

1869年(明治二年)5月10日は、アメリカ横断鉄道が完成した日です。

史上有数の大事業だけに、プロジェクト◯的な諸々の感動的なストーリーがありそうですが、調べれば調べるほど(´・ω・`)な顔になるようなポイントのほうが多いような……。
順を追って見ていきましょう。

【TOP画像】アメリカ大陸横断鉄道、開通式の様子/wikipediaより引用

 

ユニオン社とセントラル社が東と西から

横断鉄道の構想は、1859年ごろからあったといわれています。
が、南北戦争により議会の承認が伸び、着工は1863年になりました。
南北戦争が終わったのは1865年なので、このときもまだバリバリ内戦中ですけども……よくそれで議会が許可を出したものですよね。米国事情も複雑怪奇です。

この大事業、ひとつの会社や政府だけが頑張ったところでどうにもなりません。そのため、二つの鉄道会社が作られました。

ユニオン・パシフィック鉄道社と、セントラル・パシフィック鉄道社です。

前者がネブラスカ州オマハから西へ、後者がカリフォルニア州サクラメントから東へ工事を進めることになりました。便宜上、東から西へ向かうほうを「東スタート」、西から東へ向かうほうを「西スタート」と呼ばせていただきますね。
「横断」の割に東端が中途半端な位置のような気がしますが、これはオマハまでは既に白人が多く入植しており、交通網もそれなりに作られていたからだと思われます。

アメリカ大陸横断鉄道/wikipediaより引用

 

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インディアン移住法により非道な行為も繰り返された

この二つの会社は「どちらがより長い線路を引けるか」という競争になり、最終的にはユニオン・パシフィックが640kmほど長く作ることになりました。
東スタートのほうにはトーマス・クラーク・デュラントというあくどい商人が噛んでいて、自分の土地や投資先が有利になるようなルートを作らせたのだそうで。ゲスい。

また、東スタートの工事では途中でインディアンの土地を横切ることになり、抵抗するインディアンをブッコロすためにスナイパーを用意したり、バッファローを大量に殺したりといった非道なこともされていました。
しかもこのときインディアン移住法(インディアンの土地をぶんどって白人開拓者に与える法律)が成立していましたので、既にインディアンは無理やり移動させられた先にいたのです。つまり、白人の都合によって二回も追い出したことになります。サイテー以外に言葉が出ません。

インディアンも一枚岩ではない……というか、小さな部族がたくさんあるので、中には工事に協力した部族もいました。が、対価よりも失ったもののほうが大きく、結局インディアン側が得をした点はありませんでした。

開通記念式典へ向かう「ジュピター」号/wikipediaより引用

 

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本当は怖い「線路は続くよどこまでも」

また、ユニオン・パシフィック鉄道社の現場には、アイルランド人移民が多く参加していたことが特徴です。
1840年代に複数回起きたじゃがいも飢饉によって、少しでもお金がある人はアメリカなどへ亡命していたからです。

どのくらいひどい飢饉だったのかというと、「じゃがいも飢饉のせいで、アイルランドの人口は170年以上経った今でも回復しきっていないくらい」です。ついでに言うと、他の穀物や食肉は普通に採れていました。が、当時のアイルランドは全域がイギリスの支配下にあったため、税としてぶん取られてしまい、地元の人の口には入らなかったのです。
そういう地獄絵図から抜けだそうとしてやってきた人が、東スタート現場にたくさんいました。

過酷な現場の中で、アイルランド人の中からいつしか苦境をジョークに変えようとする者が現れたようです。
そして、”I've Been Working on the Railroad”という歌ができました。たぶんメロディーを聞けば、日本人のほとんどは知っていると思うので、音源貼っておきますね。

日本では「線路は続くよどこまでも」とされている曲です。
英語版の歌詞はもっと悲惨なのですが、これはいつものような超略や超訳ができません。メロディーの明るさと歌詞の内容がグロテスクなほどミスマッチです。あまりに現場が厳しくて、ヤケになってしまったんでしょうか……。

 

発明直後のダイナマイトで労働者の死を招く

一方、西スタートのセントラル・パシフィック鉄道のほうでは、のっけから大きな障害が立ちふさがりました。

北米有数の豪雪地帯であるカリフォルニア州・シエラネバダ山脈で、雪と寒さと硬い地盤が待っていたのです。
シエラネバダ山脈は今でこそヨセミテ国立公園などの絶景で有名ですが、当時は交通の難所でした。1846年には、東部からやってきた開拓民のグループがここで越冬しようとして、寒さと飢えのために人肉食にまで及び、半壊しています。
ちなみに、東スタートも西スタートも、着工は1月の初めでした。当時の計画立案者が何を考えていたのか、本気で理解に苦しみますね。なぜ雪山の工事を冬に始めようとするのか……。

しかし、自然の脅威に対して力でゴリ押しするのが白人……というか、19世紀の考え方です。
このときは雪や寒さのせいで落ちた作業スピードを取り返すため、ダイナマイトで発破して岩をぶち抜こうとしました。発破自体はできましたが、巻き込まれて労働者の死者が増えるという最低な事態を招いています。労災ってレベルじゃねーぞ!

そもそもダイナマイト(ニトログリセリンを使った爆弾)が発明されたのは1865年であり、こうした工事に使った前例も少ない上、扱いをわかっている人間もまだまだ少ない時期でした。そんな段階でよく手に入れて使ったものです。

 

セントラル社には中国からの移民が多く参加していたが……

また、セントラル・パシフィック鉄道にも、東スタート現場と同じく移民が多く参加していました。こちらはアイルランドからではなく、中国からです。
当時ボロボロだった清王朝から新天地を求めてアメリカにやってきていた中国人たちは、カリフォルニアの鉱山などで働いていました。西スタート現場で安く使える労働力として、カリフォルニア中から中国人移民が集められたのです。

しかし、ちょうど横断鉄道が完成した頃から「何だよあの黄色人種ムカつく」(意訳)と言われ、やがて中国人移民排斥法が成立し、中国人を始めとした黄色人種は追い出されることになります。都市部で犯罪が増えたから、という点もありましたが、他からの移民も多い中で、なぜ黄色人種だけを狙い撃ちするんでしょうか。

アメリカに限りませんが、この「白人以外がいいとこ見せるとすぐ排除したがる」悪癖をどうにかしてくれませんかね。現在もあっちこっちの分野でやってますけども。
近代国家を名乗るなら、旧時代の象徴である差別意識も改めてほしいものです。

多数いた中国人労働者たち/wikipediaより引用

 

犠牲の大きさもまた歴史的レベルだった

かくして(主に白人以外に)さまざまな被害をもたらして、アメリカ横断鉄道は完成しました。

それまで東部と西部の間を数ヶ月かかって移動していたのが、3日強で済むようになったのですから、とても有用なものであったのは確かです。

しかしアメリカ政府は、この鉄道を経済活動や旅客の輸送だけでなく、インディアン迫害のためにも利用しました。「窓からバッファロー撃ち放題」という宣伝文句を出し、インディアンにとって食料や衣服などを作る材料となるバッファローを激減させてしまったのです。

当然インディアンの多くは激怒しましたが、既に度重なる戦争で虐殺されていた彼らが、それ以上有効な行動を取ることはできませんでした。やがて白人からの食料配給を受け入れざるを得なくなり、インディアンの自立は大きく損なわれることになります。

発展に大きく寄与したのは確かですが、それに伴う犠牲の大きさもまた、歴史的なレベルになった出来事でした。

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長月 七紀・記
参考:大陸横断鉄道/wikipedia 線路は続くよどこまでも/wikipedia インディアン移住法/wikipedia ジャガイモ飢饉/wikipedia 中国人排斥法/wikipedia

 




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