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その日、歴史が動いた 中国

遣唐使でおなじみ「唐」ってどんな国? 女性や外国人、宗教にも優しい自由な風土は「貞観の治」から始まった

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「時の流れは残酷なもの」とはよく言われる表現ですが、歴史でもこれが当てはまる状況は多々ありますよね。
今でこそ先進国のイメージが強い国でも、100年前はアレな感じだったり、逆に今あまりいいイメージがない国が、すさまじい先進国だったということもあります。
本日はその一例として名が挙がることが多そうな、あの国が最も評価されていたであろう時期のお話です。

618年(日本では推古天皇二十六年)5月20日は、唐王朝の最初の皇帝・李淵が即位した日です。

日本史でも「遣唐使の行き先」ということでちょくちょく出てきますので、中国の王朝の中では名前を知られているほうでしょうか。
本日はこの王朝が始まった経緯から見ていきましょう。

初代皇帝・李淵/wikipediaより引用

【TOP画像】8世紀前半、唐と周辺地図/wikipediaより引用

 

随・煬帝の母方イトコで血筋は高かった

李淵はもともと、かなりいい身分の生まれでした。
これより前の時代には皇后を出せるような家柄だったそうですから、日本でいえば、藤原氏みたいな立ち位置でしょうか。
李淵自身は煬帝の母方のイトコということもあってか、地方の役人・軍人や領主などを歴任し、モンゴルや中央アジアにいた民族・突厥(とっけつ)との戦いなどで活躍していました。

もしかすると、李淵自身には積極的に皇帝になるつもりはなかったのかもしれません。
しかし、既にボロボロになっていた隋に見切りをつけた次男・李世民や他の高官に「あなたこそ新しい王朝を切り開くにふさわしい」と言われ、行動を起こすことになります。

とはいえ、真っ向から武力行使するような方法はとりませんでした。煬帝が旅先で亡くなった後、一度は煬帝の孫・楊侑を立てています。そして、楊侑から禅譲(譲位)を受けるカタチで李淵が新しい皇帝になりました。

(お約束通り)後に楊侑は殺されますが、まぁ、大乱にならなかったあたりは中国史ではマシなほうですかね。春秋戦国時代とか三国時代と比べれば……。

また、他の地方領主でも皇帝を名乗るものが現れましたが、それらに対しては武力で平定。そのまま建国者として頑張りました……と続けたいところですが、思わぬ方向から次の火種がやって来ます。

李世民は他の皇帝を名乗る者を討伐する際、一番働いたということで周囲から「二代目の皇帝になるべき」とみなされ、強硬手段に出始めたのです。

 

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息子の世民が兄弟ブッコロス! そして理想的な政治を……

李世民の動きに対し、李淵の長男・李建成と四男・李元吉は「父上、世民と周りの奴らがヤバイですよ」(※イメージです)と進言しました。

が、李淵が動く前に世民が兄弟をブッコロしてしまったため、世民に皇帝の座を譲らざるを得ない状況に……。

「トーチャン情けねーぞ……」とツッコみたくもなりますが、元々簒奪した相手である楊侑でさえすぐには殺せなかった李淵です。しかもその頃には60歳になっていましたから、我が子相手に戦争をおっぱじめる気にはなれなかったのでしょう。
李淵は譲位後、政治から離れて静かに暮らし、71歳で亡くなりました。

こんな経緯で即位したとなると、世民(即位後は太宗)はさぞ暴政をしたような気がしますよね。しかし、実際は真逆でした。

太宗は軍事に政治に精を出し、やがて「貞観の治」と呼ばれる理想的な統治を行うようになるのです。
その様子は「貞観政要」という本にまとめられ、徳川家康などが参考にしたといわれています。間接的に、日本史にも影響を与えたわけですね。

 

規制のゆるい江戸時代というイメージ

さて、ここでついでに唐という国がどんな感じのところだったのかをさらっと見ておきましょう。
李淵や世民の時代だけでなく、唐王朝全体を通した話になりますが、まあその辺細かく区切るとわかりづらいですし。

一言で表すとすると、唐王朝の時代は「規制のゆるい江戸時代」というのが的確かなと思われます。
特に女性や外国・宗教に対しては、中国史上屈指のゆるさなのです。身分ある女性が自由に外出したり、男性と会うこともできたそうで。
中国史で女性というと纏足(てんそく。詳しい説明は)のイメージが強いですが、纏足は唐の末期に始まったものなので、唐王朝全体としては女性も比較的自由な時代といっても良いかと。

「女性の足は小さいほうが魅力的」という価値観により、少女の頃から足に布を巻いて足を小さくするという習慣。実質的には女性の外出を妨げるためでもあった。

また、この時代は外国人が行商だけでなく唐の国内で店を営むこともできたといいます。唐の女性と結婚することも可能でしたが、母国へ連れ帰るのだけはNGだったとか。
ただし、唐で客死した外国人の財産は唐の物になったそうです。現代からするとひどい話ですが、当時は母国の家族にきちんと返せる保証もなかったでしょうから、これは仕方ないですね。

 

外国人の増加につれて宗教も入ってきた

外国人が多くなったことに関連して、唐には複数の宗教も入ってきました。
ネストリウス派キリスト教、イスラム教、マニ教、ゾロアスター教などの寺院もあったそうです。
イスラム教以外は「何ぞそれ」と思う方もいらっしゃるでしょうから、簡単に紹介しておきますね。

・ネストリウス派キリスト教
イエス・キリストには「神」と「人」二つの部分が存在していたとする、キリスト教の一宗派です。処刑の際に死んだのは人の部分だけで、神の部分は変わらず存在している、と考えるのだとか。
このため、聖母マリアはイエスの人の部分だけの母とし、「神の母」と呼ぶことは認めません。
431年に行われたキリスト教の会議によって「お前ら異端」と言われたため、この宗派の人々はヨーロッパや中東を離れ、東へ向かった末に唐の国へやってきたといわれています。

・ゾロアスター教
アケメネス朝ペルシア(BC550年~BC330年に中東を中心とした地域にあった国)で生まれた、二元論を中心とした宗教です。
善の神アフラ・マズダと悪の神アーリマンが戦い、最後には善の神が勝って世界を作りなおすという、割とわかりやすい教義を特徴としています。
善=光=火という連想で、神殿では炎を拝むため、日本語では「拝火教」とも呼ばれます。
現代の信者は世界で10万人ほどだそうですが、ロックバンド・クイーンのボーカルだったフレディ・マーキュリーが信仰していたことで、多少知名度が上がったような、そうでもないような。

・マニ教
ササン朝ペルシア(226年~651年ごろ中東にあった国)で生まれた宗教です。
キリスト教・ゾロアスター教・仏教・道教・ミトラ教(ローマ帝国でキリスト教が広まる前に信仰されていた多神教)などが混ざり合ったような教義だったとか。
一神教と多神教を混ぜつつ、二元論的な面も強いという一見するとワケワカメな感じです。
しかし、「イエス・キリストや釈迦など他の宗教の創始者も全て同じ神の使いである」とする考え方は、イスラム教創始者のムハンマドに大きな影響を与えました。
イスラム教でも「アブラハム・キリスト・ムハンマドは全て、同じ唯一の神の預言者である」としていますから、そういった意味で歴史や宗教の世界に大きな影響を与えたと診ることもできるでしょう。

 

李白・杜甫・白居易 偉大な詩人も輩出している

こんな感じで、さまざまな宗教の寺院やら教会やらがあちこちに作られたといいます。想像するとカオスですね。

福建省(台湾の向かい側にある省。烏龍茶で有名なところ)ではマニ教がよく信仰され、後の元の時代に栄えたそうで、その流れで現在もマニ教寺院が存続しています。
皇帝家である李氏が道教の始祖・老子を祖先としていたため、国としては道教を推していたようです。
後の皇帝・玄宗(楊貴妃で有名な人)が遣唐使に対し「仏教だけじゃなく道教も勉強してってよ」(意訳)と発言したこともあるんだとか。

これは例によって私見ですが、日本では災害が多いために、不老不死を目指す道教が肌に合わなかったのかもしれません。いくら修行しても、災害に巻き込まれればあっという間に無になってしまうわけですから、死後の安寧を願う仏教のほうが合う気はします。
竹取物語でも、かぐや姫が帰った後の帝が「あの姫がいないなら、不死の薬なんて意味がない」と言って、不死の薬をわざわざ富士山で燃やすよう命じていますしね。
竹取物語の成立は平安時代=唐が滅びた頃ですけども、こまけえこたあいいんだよ。

人の出入りが増えれば、それだけ多くの価値観や思考が生まれ、文化の発達にも影響します。
特に漢詩については、唐の間に著名な詩人が多く現れました。李白・杜甫・白居易(白楽天)など、日本人にお馴染みの詩人は時期こそ違えど、ほとんどが唐の時代に活躍した人です。

こうして、西暦三ケタの時代とは思えないほど国際的・文化的な国になった唐でしたが、いつまでもその繁栄は続きませんでした。
ある女性とその一族によって、唐の国とその後の中国の価値観は大きく変えられてしまうのです。
そのお話はまたいずれ。

長月 七紀・記

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参考:李淵/wikipedia 唐/wikipedia

 

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