リヒャルト・ワーグナーは私生活が意外にだらしない? 「ワルキューレの騎行」で知られる偉大な作曲家の素顔

年を取れば取るほど、失っていくものってありますよね。
新しい物を見た・知った時のワクワクする感じとか、自分が悪い時に「ごめんなさい」を言う勇気とか。まあ、人によっては若い・幼いころからそういうものがない人もいますが……。
本日は有名な人の中から、そんな感じのエピソードが多い例をご紹介しましょう。

1813年(日本では江戸時代・文化十年)5月22日は、リヒャルト・ワーグナーが誕生した日です。

「ワルキューレの騎行」を始めとした作品の数々や、あの厳しそうな写真の表情でご記憶の方も多いのではないでしょうか。
その生涯のほうも、表情に負けず劣らず激しいものだったようで……。

【TOP画像】リヒャルト・ワーグナー/Wikipediaより引用

 

ベートーヴェンに憧れて音楽家を目指す

リヒャルトは、まだ統一前のドイツにあったザクセン王国という国で生まれました。
ワーグナー家は別段音楽家の家系というわけではなかったが、両親が音楽好きだったこともあり、リヒャルトや兄弟たちも音楽の道に進んだのだそうです。
中でもリヒャルトは、15歳の時にベートーヴェンに憧れて音楽家を目指すことになります。

最初はベートーヴェンの交響曲(オーケストラで四つの章があるめっちゃ長い作品)をピアノに編曲して出版社に持ち込んだりしたが、まだクオリティが足りず断られてしまいました。

18歳でライプツィヒ大学に入ったものの、うまく行かず中退。教会所属の音楽家に弟子入りして作曲を学び、19歳で交響曲とオペラを書いたとされています。

その後ドイツ中央部の町・ヴュルツブルクで市立劇場の指揮者になったのですが、それだけでは満足できず、引き続き作曲を続けました。が、これまたうまく行かず、しばらくは生活苦にあえぐことになります。
将来の立派な身なりの写真からは想像もできませんね。

 

女優と恋に落ちて結婚……するも

21歳のとき、マクデブルクという町の劇団指揮者となり、ミンナ・プラーナーという女優と恋に落ちました。彼女の所属していた劇団が解散し、ケーニヒスベルク(現・ロシア領)に行くことになったため、同行して結婚し、経済的には貧しかったが幸せだった……と思いきや、夫婦仲も次第に悪くなってしまいました。
パリに出ても認められなかったため、経済事情からの不和でしょうか。愛情だけじゃ生活はできないですからね……(´・ω・`)

しかし、29歳の秋に故郷にほど近いドレスデンで、彼のオペラ「最後の護民官リエンツィ」が大成功を収めます。ここからリヒャルトの作品は度々評価されるようになり、それに伴って知名度や収入も増していきました。
ミンナは早まったことをしたもの……と見ることもできますが、当時の平均寿命や社会通念的に、20代後半まで芽が出ないことをやり続けるのは酔狂としか思えないでしょうから、無理もないことです。

また、今や世界中で知られているベートーヴェンの「第九」を大々的に演奏しようとしたのも彼の功績です。
実は当時「第九」はほとんど演奏されていませんでした。俗な言い方をすれば「マニアだけが知っているドマイナーな曲」という扱いだったのです。
当然奏者たちからも大反対されましたが、リヒャルトは徹底的に練習やリハーサルを行い、見事な演奏をしてみせました。これ以降、「第九」は名曲として世に知られるようになっていくのです。
……つまり、それまでの演奏家や指揮者がよほどダメだったんじゃ……ゲフンゴホン。

最初の妻ミンナ・プラーナー/Wikipediaより引用

 

三月革命で指名手配を食らってスイスへ亡命

こうして音楽家としての地位が確立した……かに見えましたが、ときはナポレオンに揉まれまくった後の19世紀です。1848年、35歳の時にリヒャルトは「ドイツ三月革命」と呼ばれる大騒動に参加してしまいました。

この辺の話はややこしいので、またいずれ改めて取り扱いたいと思いますが、ドイツ側から見た感じをものすごく乱暴に言うと「フランスで王様廃止する感じになってるっぽい。俺らも王様打倒して何とかしようぜ!」みたいな感じです。
不特定多数のノリと勢いって怖いですよね。日本も米騒動でたびたびやってますが。

このドタバタにより、リヒャルトも指名手配をくらい、9年もの間スイスへ亡命することになってしまいます。
この間に代表作の一つ「ローエングリン」を書いているのですが、作品だけはドイツへ入れたようで、作曲者だけが演奏を聞けないという切ない事態になってしまったとか。

ついでにこの間、「メンデルスゾーンは金にがめついユダヤ人の血を引いているから、芸術家になんてなれない」(意訳)というものすごい暴言の含まれた論文を書いています。現在だったら確実に人権問題ですね。

さらに、この頃はプライベートでも複数の女性とアバンチュールをしていたので、そういう意味でも人間的にどうなの……という気はします。奥さんのミンナとはドイツに帰国するまで別居しており、再会もできたのですが、結局よりを戻すことはなかったとか。

芸術家には常識はずれの言動をする人が多いですけれども、ワーグナーの場合は、突飛というより単に我が強い感じの行動がどうにもこうにも。

 

派手な異性関係による借金が原因で演奏できないだと!?

とはいえ、性格よりも才能が評価されるのが芸術の世界です。
51歳のとき、同じく(?)アレな言動で有名だったバイエルン王・ルートヴィヒ2世に招待されます。
当時リヒャルトはコジマという女性と不倫をしていたことがわかり、バイエルンには居着きませんでしたが、金銭的な援助は多く受けました。

現在も残っているバイロイト祝祭劇場は、ルートヴィヒ2世の援助で作られたものです。
「ワルキューレの騎行」を含むオペラ「ニーベルングの指環」はこの劇場で初演されました。が、リヒャルトは自分で演出したにもかかわらず初演が気に入らなかったらしく、再上演を望んでいたとか。
別の演出家に頼んでより良いものにして欲しかったのか、それとも歌手や奏者を変えたかったのかはわかりませんが、どちらにしろはたから聞いていい気分にはなりませんね。

しかも再上演ができなかったのは、リヒャルト自身の借金の多さが大きな理由になったというのですから、余計にです。
奥さんとうまくいかないところまではまあいいにしても、複数の女性と付き合ったりするから余計にお金がなくなるのでは……。

リヒャルトは自分でも女性への依存傾向があることを自覚していたようで、最晩年にそういった論文も書いていました。内面が弱いからこそ、極端に他人を攻撃したり、派手な異性関係をわざと作ったりしたのかもしれませんね。
そう捉えれば哀れにも思えますけれど、付き合わされるほうもたまったものではありませんねえ……。

何というか、人間素直が一番ということでしょうか。

長月 七紀・記

参考:リヒャルト・ワーグナー/Wikipedia

 








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