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その日、歴史が動いた 江戸時代

発見&命名したのは日本初の薬学博士・田原良純 フグ毒の正体はテトロドトキシンだ!

更新日:

 

危険とわかっていても挑戦したくなる……という状況ってありますよね。ロシアンルーレットしかり、「一個だけ激辛なたこ焼き」しかり。命のかかわらないものであれば、誰しも一度は経験しているのではないでしょうか。

とはいえ、それも度が過ぎると周りの人に迷惑をかけたり、自らの命や立場が危うくなってしまったりします。本日は美味なものとして知られながらも、同時に危険性も持ったアレに挑んだ、とある研究者のお話です。

安政二年(1855年)7月6日は、日本最初の薬学博士・田原良純が誕生した日です。

これだけだと「ふーん」で終わってしまいそうですが、実はとあるものの研究に関する第一人者です。いったい何をどうして歴史に名を残したのでしょうか。

【TOP画像】photo by *Yaco*さん

 

東京医学校(東大医学部の前身)で薬学を学ぶ

田原は、佐賀藩士の家に生まれました。

安政二年といえば、既に倒幕に向かって少しずつ進んでいく時代。おそらく田原も物心つく頃には、藩士として生計を立てていくのは難しいと思っていたでしょうね。
15歳のときに東大の前身の一つ・大学南校に入ってドイツ語や鉱山について学び、一度は工部省(鉱山やインフラを担当するお役所)で働きました。

しかし、工部省で何かあったらしく、21歳の頃には辞職して東京医学校(東大医学部の前身)で薬学について学び始めます。

これは個人的な予測ですが、田原が工部省に勤め始めたあたりから、全国で鉱山に関する問題がちょくちょく出てきていたので、鉱毒の中和や公害病の治療などに興味を持ったのかもしれません。
偉人のことを調べるときによくある話で、彼の功績については調べればすぐ出てくるのですけれども、「なぜそうしようと思ったのか」といった心情的な経緯についてはあまり記録が残らないんですよね。

まあその辺はともかく、田原は真面目に勉学に取り組み、26歳で東京医学校を卒業しました。

小石川植物園内に移築されたかつての東京医学校本館/wikipediaより引用

 

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そしてフグ毒の解明に乗り出した

卒業後、田原は内務省衛生局に勤めるようになります。
ここでお雇い外国人のヨハン・フレデリック・エイクマンというオランダ人と出会い、彼の指導を受けて国産食品の栄養分析などを行いました。
これによって国民に「何をどのくらい食べるべきか」という基準が少しずつ広まることになります。家庭科の授業や生活習慣病の治療(指導)で言われるアレですね。

かくして「鉱山から食品」という割とスゴイ転身をした田原は、地道に努力を続けて出世。そしてあるとき、「欧米では植物成分の研究が進んでいるが、動物成分はまだのようだ」ということに気づきました。

当時は「欧米に追いつけ追い越せ」の時代ですから、少しでも日本が欧米と渡り合っていけることを示さなくてはなりません。
そのためには、欧米の功績を追い越すか、欧米でまだ行われていないことを成功させるか、どちらかの道を選ぶことになりますよね。

そこで田原は、現在でも有数の生物毒である、フグ毒の解明に乗り出します。

トラフグ/wikipediaより引用

 

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「テトロドトキシン」というフグ毒の名称は田原がつけた

フグの研究は、もちろん一筋縄では行かず、途中で別件によるドイツ留学なども挟んでいるため、20年以上かかりました。
その間に薬学博士を取得したり、試験所の所長をこなしながら技師をやっていたりするので、本当に真面目かつ器用な人だったんでしょう。

そして52歳のとき、とうとうフグの卵巣からフグ毒を分離させることに成功します。

「テトロドトキシン」というフグ毒の名前も、田原がつけたものです。「テトロド」はフグ科の学名からきており、「トキシン」は毒そのものを表しています。

テトロドトキシン/wikipediaより引用

もちろん分離させただけではなく、田原は次にテトロドトキシンの薬理作用を研究し始めました。
テトロドトキシンに限らず、強力な毒であればあるほど、うまく使いこなせば薬になるもの。他の例では、食中毒の原因として有名なボツリヌス菌が有名でしょうか。
近年話題になった「ボトックス注射」は、ボツリヌス菌をごくわずかに注射することによって筋肉を萎縮させ、しわの解消などに役立てるというものです。
ちなみに、ボツリヌス菌は1gで100万人を殺せるほどの毒性を持ちます。ついでにいうと、土や海・川・湖といった自然界に広く存在します。

地球ってこんなに怖いところだったんですねgkbr

他にも、鎮痛・鎮静剤として有名なモルヒネの原料がアヘン(ケシ)だったりしますね。
医薬品以外の例では、「ペロッ」で有名な青酸カリが金属の精製などで使われいたりと、まさに「薬も過ぎれば毒となる」という格言そのままの例はたくさんあります。
そもそも「薬」とされているものも、人間以外の生物にとっては毒になったりしますしね……蚊取り線香とか。

 

存命中に正四位を授けられる名誉

その後も田原は医薬品の研究に生涯を捧げ、特に第一次世界大戦中には活躍しています。
海外から医薬品が入ってこなくなってしまったので、代替として使える薬を研究していたのです。その数は200種類以上ともいわれています。

これらの功績により、60歳のときには正四位を授けられました。
正四位は華族以外で偉大な功績を挙げた人が対象ですから、本人の存命中に与えられるのは相当の名誉です。田原の実績が早いうちから認められていたことがよくわかります。

田原の死後、フグ毒のより高度な精製や化学式の解明が進められてきましたが、解毒法は未だに見つかっていません。

以前もこちらの記事(過去記事:美味しいものには毒があ……ってたまるか! ふく(ふぐ)の日)でお話しましたが、フグはきちんとプロの方に調理してもらってくださいね。

というか、都道府県資格になっているような技術を素人がそう簡単に会得できるわけがないですが……(´・ω・`)

長月 七紀・記

参考:田原良純/wikipedia 東京工業大学 テトロドトキシン/wikipedia

 

フグ毒を更に知りたいという方はコチラ!

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